18万のおせちと野球の話
18万のおせちというのがおせちカタログに載っていました。バイト先の店(以下バ店)では色んな料理屋さんが手掛けたおせちのカタログが置かれ、10月から予約が始まるらしい。お母さんに見せると「Oh Wow! おっとろせ!」と言われた。
最近の企業は何でもかんでも商品に大谷翔平を印刷しておけばみんな買うだろうと思っているのか?街に出て右を見ても左を見ても大谷翔平、角を曲がると大谷翔平が出てきて電車に乗っても大谷翔平が貼ってある。
野球がこんなに国民的スポーツとされていることについては少々疑問がある。
野球が好きな人たちが野球を楽しむことは全くもって良いことだ。しかしそれは「社会」の中の「スポーツ」部門の「野球」であり、野球どころかスポーツにすらあまりビビっと来るものがない私は新聞の一面が大谷写真集のようになっているとうんざりする。
野球というと甲子園というのがありますね。
甲子園というものが全くわからない。なぜ野球だけがあんなに注目され、高校生の野球の大会というのはあんなに盛り上がるようにしているのだろう。皆がそんなに野球が大好きな前提で話を進めないでほしい。こちとら「コーシエン」という音を甲子園という漢字に頭で変換できるようになってきたのもついこないだである。
しかしコーシエンというのもこれからはだんだん無くなっていく感じがする。今コーシエンコーシエンと騒ぐのは60代くらいのおじさんたちとそのおじさんたちの奥さんたちだけだ。
「あなたの家は野球の中継を一日中流していそうですね」というのはジェネレーション悪口にすらなりうる。あなたの家は野球の中継が流れていそう。台所には模様の入ったガラスの窓があってレースのカーテンがかけてあるんでしょう
「野球に夢中の息子のために早起きしてお弁当を作るママ」というのが一般的だったのも昭和〜平成までのように思える。野球ブームはその世代の人間が減るにつれ右肩下がりであろう。
18万のおせちを買う人は居るのだろうか。
お金持ちで優雅な生活をしているような人であれば料理人を雇って出来立てのお節料理を食べる方がよかろう。18万とはいえ全てがキンキンの冷蔵便で届くのである。若い時にバリバリ稼いだお金が結構あるというような老夫婦だろう。
おせち料理も和洋折衷のようなものからイタリア系だのフランスおせちだのグローバル化しているらしい。文化の行き来が頻繁になるにつれ個々の「文化の原液」のようなものに他の文化の成分が添加されて、文化の固有性は薄まっていく。
18万のおせちも野球も、私が物心つく頃にはきっとノスタルジー