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【長田 弘】『空の下』『言葉』『自由に必要なもの』『意味と無意味』

空の下


黙る。そして、静けさを集める。
こころの籠を、静けさで一杯にする。
そうやって、時間をきれいにする。
独りでいることができなくてはできない。
静けさのなかには、ひとの
語ることのできない意味がある。
言葉をもたないものらが語る言葉がある。
独りでいることができなくてはいけない。
草の実が語る。樫の木の幹が語る。
曲がってゆく小道が語る。
真昼の影が語る。ジョウビタキが語る。
独りでいることができなくてはいけない。
時間の速度をゆっくりにするのだ。
考えるとは、ゆっくりした時間を
いま、ここにつくりだすということ。
独りでいることができなくてはできない。
空の青さが語る。賢いクモが語る。
記憶が語る。懐かしい死者たちが語る。
何物もけっして無くなってしまわない。
独りでいることができなくてはいけない。
この世はうつくしいと言えないかもしれない。
幼いときは、しかしわからなかった。
この世には、独りでいることができて、
初めてできることがある。ひとは
祈ることができるのだ。


言葉


悲しみを信じたことがない。
どんなときにも感情は嘘をつく。
正しさをかかげることはきらいだ。
色と匂いを信じる。いつでも
空の色が心の色だと思っている。
黒々と枝をひろげる欅の木、
夕暮れの川面の光り、
真夜中過ぎの月が、好きだ。
単純なものはたくさんの意味をもつ。
いくら短い一日だって、一分ずつ
もし大切に生きれば、永遠より長いだろう。
どこにあるかわからなくても、
あるとちゃんとわかっている魂みたいに、
必要な真実は、けっして
証明できないような真実だ。
人をちがえるのは、ただ一つ
何をうつくしいと感じるか、だ。
こんにちは、と言う。ありがとう、と言う。
結局、人生で言えることはそれだけだ。

一人の言葉は何でできているか?


自由に必要なもの


不幸とは何も学ばないことだと思う
ひとは黙ることを学ばねばならない
沈黙を、いや、沈黙という
もう一つのことばを学ばねばならない
楡の木に、欅の木に学ばねばならない
枝々を揺らす風に学ばねばならない
日の光りに、影のつくり方を
川のきれいな水に、泥のつくり方を
ことばがけっして語らない
この世の意味を学ばねばならない
少女も少年も猫も
老いることを学ばねばならない
死んでゆくことを学ばねばならない
もうここにいない人に学ばねばならない
見えないものを見つめなければ
目に見えないものに学ばなければ
怖れることを学ばなければならない
古い家具に学ばねばならない
リンゴの木に学ばねばならない
石の上のトカゲに、用心深さを
モンシロチョウに、時の静けさを
馬の、眼差しの深さに学ばねばならない
哀しみの、受けとめ方を学ばねばならない
新しい真実なんてものはない
自由に必要なものは、ただ誠実だけだ


意味と無意味


うつくしいものはみにくい
慕わしいものは疎ましい
真剣なものはふざけたものだ
確かなものあるべきものはない
何でもあるしかし何もない
必要なものは不必要なものだ

くだらないものはすばらしい
すばらしいものはくだらない
もっとも賢いものはもっとも愚かなものだ
どんな出鱈目もけっして出鱈目ではない
本当でないことこそ本当のことだ
必要なものは不必要なものだ

正しさは間違いだ間違いが正しい
間違いをおかさぬものは誤たない
誤たぬものは悲しまない悲しまないものは
笑わない笑わないものは笑うものを憎む
憎むものは憎むことを憎むことができない
必要なものは不必要なものだ

意味に意味はない何も語らないために
語り何もまなばないためにまなぶ
読むとは読まないこと聴くとは
聴かないこと知っているとは
何一つ知らないということだ
必要なものは不必要なものだ

われわれ自身をわれわれは信じていない
われわれが得たもの得るだろうものは
すべて失ったもの失うだろうものだ
あなたは誰? ではない問わるべきは
誰があなたなのか? ということだ
必要なものは不必要なものだ

結ぶ言葉はない初めからなかった
大きな松の木の枝の一つずつに
百羽のカラスが飛んできて
百の黒い影をつくった
青空にほかならない
無 のなかに



こちらの内容は、

『一日の終わりの詩集』

発行所 株式会社角川春樹事務所
著者 長田 弘
2021年9月18日 第1刷発行

から引用させて頂いています。


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