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【相田みつを 佐々木正美】育てたように子は育つ
心に響いたものの抜粋となります。
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これは子どもを育てるために必要な最高の愛、
最も自然な愛のある態度である。
子どもが最も安心して成長していける親や教師や大人のありようである。
子どもに最も大きな自信を与えることができる大人の姿である。
私たちは相手が花であれば、どんな花にでも、
その色や形や咲く季節などを気にかけることなく、
それぞれが十分に美しいと感じることができる。
そのように、子ども一人ひとりをそのままで十分に美しい
と感じることができるような感性を、
私たちも一人ひとり磨きをかけて、子どもを迎えてやりたいと思う。
私には、この「信ずる」が快く響く。
「認める」ではなく「信ずる」というのが何ともいい。
子どもは認められているより信じられているほうが、
ずっと生き生きすると思う。
こちらの価値観を修正して相手を認めるのではなくて、
子どもの存在そのものをそのまま信じていてやるのである。
信じるとは、信じる者にとってもこの上ない安らぎである。
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子どもに限らず草花でも農作物でも、
何でも育てることが上手な人は、待つことが上手な人だと思う。
待っていることに喜びや楽しみを感じていられる人である。
しかし待つことの喜びは、日常の努力と相関する。
最善を尽くしているという実感があれば、
待つことの楽しみは最大になるであろう。
そして、結果を問わない気持ちができていれば、
待つことは安らぎでもある。
子どもを育てるとき、努力と結果を問題にするならば、
先の結果よりも努力の「今」に共感をしてやりたい。
休息の「現在」であれば、その現在を静かに見守っていてやりたい。
休息が終わって活動を再開するのを、いつまでも待っていてやりたい。
はた目には待っていてやったことが無駄だったように見えても、
かけがえのない親子のような関係の者にとっては、
苦楽を分かち合った者にしか分からない存在の重みの感動が必ず残る。
だからじっと待っていてやりたい。
深夜に帰る子どもを寝ないで待っていてやること、
雨の日に傘を持たずに出けた子どもを、
駅の改札日で傘を持って待っていてやること、
子どもを育てることも農作物を育てることも、
「育てる」ということは、そうしたことの積み重ねである。
子どものために、そういう日々の営みの連続に、
ひそかな誇りのある喜びを感じ続けていてやりたいと思う。
子どもの中の自律性や自立性は、待っていてやるからこそ育つ。
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私はこんな子どもを持ちたいと思う。
いつもほどよい努力をしている子を。
しかし、決して努力の程度や結果は問わないでいてやりたいと思う。
努力をしてよい結果が出れば、それは最高だが、
たいして努力をしないでもよい結果に恵まれるような幸運な子どもよりも、努力をしてもしてもよい結果が得られない子どものそばにいられることに、本当に大きな幸福を感じていることを十分に伝えてやれる
親や大人でいたいと思う。
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これこそ、子どもへの最高の愛情の表現である。
すなわち無条件の承認である。
条件をつけない愛情である。
こういう愛情が与えられれば、
子どもは必ず生まれ持ったものを豊かに開花する。
しかし私たちは、大抵、条件つきでない愛情を与えることができない。
これができればほめてあげる、
あれができれば喜んであげる、
これができないから腹が立つといったぐあいである。
そして、その条件が大きければ大きいほど、
子どもは相手に対する不信感を大きくして、
自分への劣等感も大きくしていく。
「こういうことができるに越したことはないが、
できなくたっていいんだよ」とか
「そういうことができればいいけど、
いつからそれができるようになるかは、
自分で決めて努力すればいいんだ。
いつまでも待っていてやるから。
できなくたって、いいんだよ」、
せめてこれくらいのメッセージにしておいてやりたいものだと思う。
『そのままで いいがな』は、
私がいちばん好きな相田さんのことば。
本書の題名にしたかったほど好きなことばである。
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ここでもう一度強調しておきたいと思う。
短所のない人間もいないが、長所のない人間もいない。
だから子どもたちには
「いのちいっぱいに生きればいぞ」と、
ただそれだけ言ってやればよいのに、
私たち大人は、他に余計なことを言って、
道を見失ってしまう子どもにしてしまう。
「どのような道」でもいいのに、
この学校でなくてはだめだ、とか言ってしまう。
教育とは、
あらゆる子どもが必ず持っているその子固有の長所を見つけて、
それに感動してやること、
そしてそのことを子どもに伝えてやることだと思う。
短所を探し出して直してやることなど、
本当はしなくてもよいことだとさえ思っている。
容易なことでは直せないし、
その前に子どもの人格を、
元も子もない状態に壊してしまうことが多い。
相田さんのことばに
「花はただ咲く/ただ/ひたすらに」
(『にんげんだもの』所収)
というのがある。
子どもが、自分のことを好きになれるように育ててやりたい。
それもできるだけそのままで、
ありのままの自分を好きになれるように。
だから「そのままでいいがな」と言ってやりたい。
人生の最初から言い続けてやりたい。
こちらの内容は、
『育てたように子は育つ』
相田みつを いのちのことば
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発行所 株式会社PHP研究所
訳者 司馬遼太郎
2007年12月11日 初版第1刷発行
を引用させて頂いています。
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