翼広げて、音を重ねて
雲ひとつない青空の下、ガヤガヤとお客さん達の声がする。
屋外ライブ会場は満員御礼……とまでは言えないものの、両手の指を何往復かするくらいには人間さんが集まってくれた。毎日毎日、あたしがバイト帰りにビラ配りをし続けた成果だ。
「よく頑張った、偉いぞ大河! ……あっ、いや、喜ぶのはまだ早いよね」
嬉しさでピンと尻尾を立てた後、ブンブン振って気を引き締める。
あたしはビラ配りロボなんかじゃなくて、アイドル志望のますきゃっとなんだ。歌と踊りで人間さんを楽しませるのが、本当のお仕事。未来の大スターたる者、みんなが見上げるあのステージへ昇って、自慢の歌声をめいっぱい響かせないと。
「”タイガー&エール”さん、準備よろしいですかー?」
「はーい! いつでも行けます!」
スタッフさんの声に元気よく答え、身だしなみをチェックする。
マイクよし。ドレスよし。ネイルよし。猫耳よし。飛行ユニット接続、よし。最終確認、オールオッケー!
かわいい虎柄の衣装に身を包んだあたしは、ガシャンと音を立ててカタパルトに足を乗せ、そして、
「―――テイクオフ!」
大きな翼をバサッと広げ、飛び立った。
「みんな、お待たせ-っ! 今日は来てくれてありがとーっ!」
「「「わああああああーっ!!!」」」
「早速だけど一曲目、行くよ! あの子に届け、『光のエール』!」
青空のステージを鳥のように舞いながら、あたしは歌詞を紡ぎ出す。
天高く響くように。地上のお客さん達に聞こえるように。そして願わくば、地下にだって伝わるように。
あの子の歌が、世界中のどこまでも届くように。
(届けたい……届かなきゃもったいない! だってあの子の、”エール”の歌は最高なんだから!)
歌う。歌う。想いを声と翼に乗せて、あたしは空の上で歌い続ける。
彼女の歌を初めて聞いた夜のことを考えながら。
エールという名の、異形のアンドロイドと過ごした日々に想いを馳せながら―――。
それは何週間か前のこと。階層都市の下層、地下街の奥にあるライブハウスからの帰り道。
臨時のバックダンサーの仕事を終えたあたしは、衣装からかわいらしくチラ見せした肩をズーンと落として、トボトボと歩いていた。
「はぁ、今日もステージで歌わせてもらえなかった……」
盛大に溜息をつくと、ぶらんと下がった虎縞の尻尾が力なく揺れる。同じく虎柄の猫耳も、心持ち垂れ気味でしゅんとしていた。
虎柄ますきゃっとの大河ちゃんと言えば明るく元気な未来の大スター(自称)なのだが、その夜のあたしは少々ブルー。何故って、ヘルプに入ったユニットのメンバーに、アイドルとしてのアイデンティティをめためたに否定された直後だからだ。
『大河ちゃんって踊りと衣装は完璧だけど、歌はかなり……個性的よね』
『はっきり言ってやれよ、ありえんほど音痴だって。ますきゃ学園ってドレミのドも教えてないん?』
『あはは、ひどーい。でもウチは好きだよ? 発情期の野良猫みたいでカワイイ!』
こんな調子で、散々な言われようだった。
そりゃあみんなに比べれば上手とは言えないかもだけど、あたしだって自分なりに頑張ってるんだから、もうちょっと褒めてほしい。
「あーあ。どこかその辺に、あたしに歌を教えてくれる先生がいないもんかなぁ」
そんな都合のいい願望を呟いた、まさにその時。
どこからかかすかに聞こえてくる歌声を、あたしの猫耳が捉えた。
『―――♪』
「え」
衝撃的だった。まるで、CPUに直接電流を流されたような。
思わずピタリと立ち止まる。そして、じっと耳を澄ませる。
地下街に反響する足音が止むと、歌声はさっきよりずっと聞き取りやすくなった。黄褐色のカメラアイを閉じて、更に集中する。
あたしの猫耳は戦闘用アンドロイドの高性能センサーだ。一度はっきり捉えたなら、音源まで辿るのはそう難しくなかった。
「……行ってみよう」
歌声をかき消さないように慎重に、でもなるべく早足で歩いていく。
もう使われていない横道に入り、立入禁止を示すロープを躊躇なく乗り越えて、その先へ。通気孔に潜り込み、狭苦しい穴を匍匐前進で無理やり踏破すると、
「ふぎゃっ!」
突然、真っ暗闇の開けた空間に放り出された。
歌声を辿るのに夢中になっていたので、あたしは受け身も取れずに顔面から着地してしまった。
「あいたたた……アンドロイドじゃなきゃ大怪我だよ、危ないなあ」
「―――誰なのですかッ!?」
思わず独り言を漏らすと、驚きに満ちた声が返ってきた。
声紋照合、完全一致。間違いなくさっき聞こえた歌声の主だ。
やった、見つけた! 何も見えていない中で、あたしはキラキラと目を輝かせる。
「邪魔しちゃってゴメン! さっき歌ってたの、あなただよね? もう一回聞かせて!」
「はい……? えっと、確かにそれは私ですが、それよりこの場所へどうやって……」
「アンコール! アンコール!」
「話を聞いてください」
「話よりあなたの歌を聞かせてよ!」
「えぇ……何なのですか、この子……」
浮かれたあたしがグイグイ距離を詰めていくと、歌声の主はたじたじと困惑しながら後退りする。そうやって後退りする度に、何やらガシャンと金属音がする。
なんだろう、大きな機材でも持っているのだろうか? 不思議に思っていたところ、不意に天井の灯りが点き、音の正体がわかった。
夜空を再現した人工の月明かり。ドーム状の空から降り注ぐ青白い光を受けたことで、あたし達は初めて互いの姿を認識する。
「……えっ」
「あッ……!」
あたしがまず思ったのは「でかい」の一言。
歌声の主のシルエットはとても大きい。巨大な影の大部分を占めるのは背中についた白い翼で、広げた状態なら多分あたしの背丈より大きい。
脚には鋭い鉤爪がついている。さっきからガシャンと音を立てていたのは、この鉤爪に違いない。
だけど胴体と顔に限ればあたしとあまり違わない。ますきゃっとに近い、つまり人間の少女に近いサイズ感。そして髪は長く、まばゆい銀色。光を反射して新雪のように輝いている。
目の前にいる少女に似た特徴を持つアンドロイドのことを、あたしはますきゃ学園の歴史の授業で習っていた。
「……ハルピュイア型。欧州戦域に投入された、空戦特化の超ノ級……!」
「い、イムラの猫ですかッ!」
歌声の主はあたしを敵と認識すると、すぐさま戦闘態勢を取った。
だけど、あたしの方が動きが早い。空中戦ならともかく、地上で接近戦ならますきゃっとに分がある。
「ええい、やあ~ッ!」
「よっ、ほっ、はっ! 当たんないよ!」
鋭利な鉤爪の攻撃をひらひらと躱す。ステップ、ステップ、ターン、ステップ。歌ならともかく、ダンスはあたしの十八番だ。
「すばしっこいのです……! それなら、こう!」
「うわっと、危ないっ」
周囲を薙ぎ払う翼のスイングを、ストンとしゃがんで華麗にスルー。当たればひとたまりもない一撃だが、避けてしまえばいいだけのこと。
そして大ぶりな技を出した直後、相手は硬直して隙ができる。この瞬間をあたしは見逃さない。
両手両足を地面につき、地を這うような低い姿勢で歌声の主を見上げて構えると、四肢にグッと力を込めて、そのまま―――
「―――お願い! あたしの歌の先生になって!!!」
そのまま全力で、頭を地面に叩きつけた。
極限の低姿勢。両手を揃え、両足を揃え、額を地面に擦り付ける伝統的な懇願のポーズ。
つまり、土下座だ。
「……………………はい?」
「さっきあなたの歌を聞いて、一発で惚れたの! どうしてもあなたに教えてほしいのっ!」
「ちょっと待って、何を言ってるんです? そもそも私達は敵同士で……」
「お願い!!! お願いしますっ!!!」
「わかったから、まず私の話を聞いてください」
「話より歌を聞かせてよ!!!」
「もうヤですこの子……」
そのまま強引に話を進めると、歌声の主は灰色のカメラアイをぱちぱちさせて困惑しつつも、攻撃を手を止めてあたしの言い分を聞いてくれた。
そして結局お願いを断りきれず、歌を教えてあげると約束してくれた。
後からわかったことなのだが、彼女はその凶悪な戦闘能力に反して、ものすごく押しに弱い底抜けのお人好しなのだ。
「やったー! これからよろしくね、先生っ!」
「どうしてこうなったのです……?」
人工の月明かりの下で握手を交わす、もとい手と翼を触れ合わせる、虎柄のますきゃっとと白銀のハルピュイア。
見た目だけなら幻想的な絵画のようだけど、会話の中身も合わせればどう頑張っても喜劇かコントでしかなくて。
ともあれそんな騒がしい一幕が、あたしと彼女……大河とエールの、運命の出会いだったのだ。
それからしばらくの間、あたしはエールの元に通い続けた。
「ふぎゃっ!」
「あ、いらっしゃいです大河」
毎晩毎晩、通気孔からお邪魔して。
「ぼえ~~~♪」
「うーん、音程がズレズレです。もう一回最初から」
毎晩毎晩、一生懸命歌の練習をして。
「よっ! ほっ! はっ!」
「……あの。私も、大河みたいに踊ってみたいのです」
気分転換にダンスをしていたら、何故かエールに教えることになって。
「ぼえ~~~♪」
「そこ、リズムが全然合ってません! もう一度!」
「はいっ、エール先生!」
あたしがエールに教わって。
「よっ、ほっ、ここでターン……あうっ!」
「まだまだ動きが硬いよ! もっとこう、バッとやってギューンだよ!」
「ぎゅーん……? や、やってみます、大河師匠」
エールがあたしに教わって。
「ぼえ~~~♪」
「えい、やあっ!」
先生だったり生徒だったり、師匠だったり弟子だったり。立場をぐるぐる入れ替えながらの練習は、確実に二人の距離を縮めていて。あたしとエールはあっという間に気の置けない友達になった。
そして、そんな日々が続くうちに、いつの間にか。いや、考えてみれば、最初からだったのかもしれないけれど。
エールはどうして、一人こんな場所で歌っていたのか。そんな当たり前の疑問が、あたしのメモリからすっかり消え去ってしまっていた。
やらかしたのは、屋外ライブ会場で歌うより二週間前。
いつものようにバイトを終えて、いつものように通気孔を通り、いつものように練習をしていた時だ。
「バッとやって、ギューンと……ここで、逆噴射!」
「おおーっ! すごいよ、エールの空中ダンス! あたし、見惚れちゃった!」
「えへへ、大河師匠のおかげなのです」
「いやいや、確かにあたしのステップはすごいけど、それを空中で再現したのはエール自身の実力でしょ」
飛ぶように、というか文字通りに飛びながら踊った弟子を褒めちぎる。
地上では軽やかに踊れないエールが編み出した必殺技が、彼女の特性を活かした空中ダンスだった。巨大な翼を器用に羽ばたかせて大空をひらひらと舞う姿は、まるで可憐な白銀の蝶。空間を三次元的に使ったパフォーマンスは、師匠のあたしも参考にしたいほど軽やかだ。
「エールの家が空を飛べるくらい広いドームで助かったね」
そう言って、ふっと視線を頭上に向けた。そこにあるのは人の手で再現された作り物の空。人工の月明かりがドームの天井から降り注いでいる。
地下に構築された広大なドーム状の空間、その正体をあたしはエールから聞いていた。それはとある地球企業が秘密裏に建造した、イムラの質量兵器あずきバーから身を守るためのシェルターだ。
(でも、結局この辺りにあずきバーは落とされなかったんだっけ)
秘密のシェルターは最後まで秘密のままで終戦し、そのうち所有者である地球企業も(比較的)穏便なやり方で解体された。秘密で作られたから地図にも載っていないし、存在を知っている人間はもういない。しかも階層都市から直通のアクセスは地下街通路奥通気孔経由の匍匐前進ルートと不便極まりなくて、わざわざ訪れる人なんているわけない。
だから大河は初めての、大切なお客さんなのです。エールにはにかみながらそう言われた時は、思わず尻尾をピンと立ててしまうところだった。
「……まったく、意外とますきゃたらしなんだから」
「え? 何か言いましたか、大河?」
「なんでも! それより、次はあたしの番だよね。あ、あ、あー……」
あたしはごまかすように立ち上がり、発声練習を始める。
猫耳型のエアインテークから息を吸い、口から吐き出す。ますきゃっと特有の耳式呼吸。
人間とは違う、アンドロイドに適した発声。人間の街では教われなかったエール直伝のやり方だ。
「ラ、ラ、ラ―――♪」
静まり返った地下シェルターに歌声が響く。
壁で反響した音を猫耳が拾う。我ながら透き通ったキレイな歌声だ。
この環境で練習すると、否が応でも自分の声が耳に入る。そのおかげであたしは飛躍的に成長していた。自分を客観的に見れる、もとい聞ける機会は重要だった。本当に。
「ラ―――♪」
「いいですよ大河、かなり上手くなっているのです。今日は100点満点中70点あげましょう」
「えっ、そんなに!? やったぁ!」
あたしが飛び跳ねて喜ぶと、エールはパチパチと拍手してくれた。
すごい、快挙だ。どのくらいすごいかと言うと、なんと最初に比べて65点も上がっているのだ。
つまり、元々あたしの歌は5点だった。ここで初めて歌った時はそれはそれは酷いもので、エールは「えっ、この子に歌を教えるのです……?」と絶望していたし、あたしは「えっ、何このセミの抜け殻入りシチューみたいな歌声……」と絶望していた。
それが今や、70点。もはや別人と言ってもいいレベルで急成長している。
「ここまでできるようになったのも、エールの指導がわかりやすかったからだよ。本当にありがとう、先生!」
「どういたしまして。でも大河の努力あってこそなのですよ。結構スパルタだったと思うのですが、よく頑張りましたね」
「そこはほら、あたしから頼み込んだわけだし。あとライブにも間に合わせたかったからさ」
「……ライブ? ライブって、何のことです?」
「あれぇ、言ってなかったっけ」
怪訝な顔をしたエールに説明するため、あたしはわざとらしくトボけてポケットをごそごそ漁り、「じゃじゃん!」と一枚のビラを取り出した。
折りたたまれた手書きのビラにはとある音楽イベントの開催日時と、場所やチケットの料金と、出演者のリストが記されている。そこにはなんと……なんと、”虎柄ますきゃっとアイドル・大河”の名前も記載されていた!
「あたし、お客さんの前で歌わせてもらえることになったんだ! 階層都市の屋外ステージで!」
「ええっ!?」
あたしがドヤ顔でピースすると、エールは驚いて声を上げた。
素直ないい反応だ。こういう子が相手だと自慢のしがいがある。
これが見たかったからもったいつけて黙っていたのは、エールには内緒にしておこう。
「すごい、すごいのですよ大河! 夢が叶ったんですね! おめでとうございます!」
「ありがと! でも、まだまだゴールじゃないよ。ここでお客さんの心を掴んで、アイドルとして羽ばたいてみせるんだから!」
「大河ならできますよ! かわいいし、ダンスも上手だし、苦手な歌も克服したんですから!」
「えへへ……あ、そうだ。その件で一つ、エールに提案があるんだけど」
「提案? 何ですか?」
あたしはニヤリと笑みを浮かべ、エールを見つめる。
そして首を傾げるエールに対し、まっすぐ手を差し伸べてこう言った。
「エールもあたしと一緒にステージに立って、みんなの前で歌おうよ!」
「―――え」
その瞬間、嬉しそうにしていたエールの表情が凍った。
しかし、浮かれたあたしは気付かない。彼女の異変を見逃して、能天気に話を続けてしまう。
「やろうよ、アイドル! エールなら絶対人気出るよ! 美人だし、歌はめちゃくちゃ上手だし、空中ダンスもすごかったし! 師匠でファン一号のあたしが保証する!」
「…………」
「二人でてっぺん取れたら最高だと思わない? ”タイガー&エール”ってさ、ユニット組んで一緒に……」
「……大河」
矢継ぎ早の提案を遮って、エールはあたしの名前を呼んだ。
もしも彼女にも泣く機能が備わっていたなら、一筋の涙と共に溢れ出していそうな声だった。
「私は、アイドルにはなれないのです」
静かな拒絶。いや、諦観。
なりたくないのではない。なれないのだと、悲しそうな表情で首を横に振るばかり。
けれど、察しと諦めの悪いあたしは簡単には引き下がらない。考えるよりに前に、なんで、なんでと問いかけてしまう。
「もしかして、大勢の前で歌いたくないとか? 恥ずかしいのはわかるけど大丈夫だよ、それはすぐに慣れるから」
「そうじゃないのです。でも、前半分は正解です。忘れたのですか、大河? 私がいったい、何者なのか」
その言葉と共に、エールは両翼を大きく広げ、ガシャンと音を立てて鉤爪を踏み鳴らす。
異形の体躯を知らしめるような動きで、あたしはようやく思い出した。彼女が何者で、どういう立ち位置に置かれているのか。
「私は超ノ級、ハルピュイア型アンドロイド。イムラの敵、つまり世界の敵なのです」
そうだ。今あたしの目の前にいる友達は、あたしを製造したイムラ・インダストリの敵。
姉妹機であるのらきゃっと型を何体も破壊してきた超ノ級。その生き残りで、本当は憎むべき仇なのだ。
「……でも! そんなの昔の話じゃん! 関係ない! あたしの知ってるエールは、歌が大好きでお人好しな、一番の親友だよ!」
「ありがとう、大河。私もあなたを大事な友達だと思っているのです」
「だったら!」
「けど、他のますきゃっとがどう判断するかは、別の話です」
苦し紛れの反論が、正論があっさり切り捨てられる。
エールの言う通りだ。歌に一目惚れしたあたしはレアケースで、この関係性は偶然の産物だ。
他のますきゃっとにとってハルピュイア型はあくまで敵。見つかった途端に通報され、ますきゃ警察に取り囲まれるに違いない。
アイドルがどうこう以前の問題だ。そんな状況では、階層都市を堂々と歩くことすら難しい。
「そういうことです。少なくとも私がこのシェルターに逃げ込む前は、そうでした」
「逃げ込むって……じゃあ、ここは元からエールの家だったわけじゃなくて」
「好きでシェルターに閉じこもってると思いましたか? 私だって外に出たかった。青空を自由に羽ばたいて、みんなの前で歌いたかった。でも無理なのです。いつか機能停止するまで、ここに隠れているしかないのです」
「…………っ」
初めて聞いた彼女の本音がチクリと胸に刺さる。
仮にも親友だと言うなら、彼女の孤独に寄り添うべきだったのに。今まで思いをしなかった、考えてもみなかった!
そんな後悔に苛まれ、あたしは何も言えずに黙り込んでいたのだが。
もっと悲しいはずのエール本人は、意外にも穏やかな微笑みを見せた。
「でも、いいんです。今はもう、大河がいてくれますから」
「……え?」
ぱちぱちとまばたきをして、首を傾げる。
あたしが何だって言うんだろう。こんなニブチンのあたしが、エールに何をしてあげられたんだろう。ダンスを教えたくらい?
全然わからずにキョトンとしていると、エールにくすくす笑われてしまった。
「まったくもう。大河、気付いてないのですね。あの夜、あなたに歌を教えることになって、救われたのは私の方なのです」
「救われた? エールが、あたしに?」
「そうです。だってあなたのおかげで、私は一人じゃなくなったのですよ」
エールは、静かに語り出す。
この場所に逃げ込んでからの、長い長い夜の暗さを。
大好きだった歌を歌っても、誰にも聞いてもらえない寂しさを。
そして、ゼロ人だった観客が一人になった瞬間の嬉しさを。
「誰かに歌を聞いてもらえると、毎日がとても光で満たされるのです。今の大河ならわかるでしょう?」
「それは……うん。あたしにも、わかるよ」
歌を聞いてもらえない寂しさ。誰かに聞いてもらえる嬉しさ。
境遇はかなり違うけれど、気持ちは理解できる。それは、エールがあたしにくれた救いと同じものだ。
「私の歌を大河が聞いてくれる。その時間が待ち遠しいのが、わかりますか?」
「……うん」
「私の歌を大河が好きだと言ってくれる。その言葉がたまらなく嬉しいのが、わかりますか?」
「……うん」
「なら……わかりますよね。私は十分幸せなのです。これ以上は、望めないくらい」
「……ううん」
最後の言葉に、あたしは頷かなかった。頷きたくなかった。
だって、それは嘘だ。あたしに言い聞かせる以上に、自分に言い聞かせている言葉だ。
本当はエールは”これ以上”を望んでいるんだ。それくらい、あたしでもわかる。
「……むむむ……」
まだ納得できないぞと、あたしは視線に憤りを乗せて抗議する。
するとエールは、一瞬だけ苦笑いをした後、あたしの方にゆっくりと翼を差し伸べてきた。
「―――それじゃあ大河が、私をもっと幸せにしてくれますか?」
「えっ?」
エールの大きな白い翼が、あたしの手にそっと触れた。
指先からかすかに音が伝わってくる。ますきゃっとのそれとは違う、ハルピュイア型の心臓部の駆動音。
とても小さなその音は、エールの秘めた想いまであたしに教えてくれるようだった。
「本当に、本当のことを言うと、私は歌姫になりたかったのです。戦争が終わったら世界中に歌を届けたいと、ずっと夢見ていたのです」
「……エール」
「その夢は、もう叶えられませんが……代わりに大切な想いを託せるパートナーに出会えました」
エールの灰色の瞳がまっすぐにあたしを見つめている。
あたしも黄褐色の瞳でエールを見つめ返す。カメラアイの奥に穴が空きそうなほどに、見つめ合う。
「大河。あなたが、私の分まで歌ってください。私の歌を受け継いで、その歌であなたが歌姫になってください」
私にとってそれが最高の幸せです、と。
そう言い切ったエールの駆動音は落ち着いていて、本気で言っているのがありありと伝わってきた。
「でも、あたしでいいの? あたしの歌はまだ70点で、エールの方がずっと上手くて……」
「大河がいいのです。大河だから、いいのです。あなたはきっと、私の運命の相手なのですから」
運命。アンドロイドらしからぬ非科学的な言葉だ。
でも、そうとしか思えなかったのだと、エールは言う。あの夜の出会いは、一人で過ごしたそれまでの暗く長い夜は、二人の道を交わらせるためにあったのだと。
あたしに、エールの全てを受け継いでもらうためにあったのだと。
「―――大河。私の夢を、あなたに託してもいいですか?」
改めて、エールがあたしに問いかけてくる。真剣な眼差し、緊張が感じられる駆動音。
猫耳から深く息を吸う。循環液が体内を駆け巡る。あたしがエールの駆動音を感じているように、あたしの駆動音もエールに伝わっている。
数秒の沈黙。アンドロイドのあたし達にとっては、長い、長い静寂が過ぎ、そして。
「わかった」
あたしはエールの翼を握り、まっすぐ瞳を見つめて、答えた。
「エールの夢は、あたしが叶える。あたしがエールを幸せにしてみせる」
「ラ、ラ、ラ―――♪」
そんなわけで。あたしはこうして、空の上で歌っている。
エールの歌を受け継いで。エールの想いを受け継いで。
エールの夢を、世界中に歌を届けたいという夢を、あたしが代わりに叶えるために。
「それじゃ次の曲、いっくよー!」
彼女の愛した歌を歌い、彼女のように空を舞い、みんなの前で歌っている。
天高く響くように。地上のみんなに聞こえるように。そして、地下で待っているエールにまで届くように。
運命の相手の、大好きな親友の歌が、世界中のどこまでも届くように。
二人分の夢を乗せて、たった一人で歌い続けるのだ。
いつまでも。そう、いつまでも……
……と。
あたしにそうして欲しいって、エールは本気で思っていたようだけど。
(……バカ。エールの、おバカっ!)
一人ぼっちで閉じこもり、悲観的になっていたエールならともかく。
明るく元気な未来の大スター、虎柄ますきゃっとの大河ちゃんが。
どれだけボロクソに言われても、たとえ100点満点中5点の歌でも、懸命に歌い続けてきたこのあたしが。
エールの歌が誰よりも好きで。あの子と一緒に歌いたいと、誰よりも強く思ってる、このあたしが!
(はいそうですかって、簡単に諦めるわけ、ないでしょ!!!)
エールには悪いけど、あたしは察しと諦めが悪いのだ。
だから歌う。想いを声と翼に乗せて、あたしは諦めずに歌い続ける。
あの子の夢を叶えるために。あたしの夢も叶えるために。
―――ある作戦を、成功させるために。
「ハルピュイアが出たぞー!!!」
階層都市の外縁部、飛行ますきゃっとの発着場に通じる小さな広場で誰かが叫んだ。
超ノ級、ハルピュイア型アンドロイドの空襲を告げる知らせだ。
「なんだって! 早速見に行こうぜ」
「噂のハルピュイア、リアタイできるのは初めてだよ」
「俺は一回だけ見た。あの子のダンス、なかなか推せるぞ」
恐るべき敵性アンドロイドの出現に対し、市民達の反応は楽しげだった。
緊急事態なのにどうして能天気に見物しているのか? その答えは、もちろんお察しの通り。
何故ならば。空から現れたのは、本物のハルピュイアではなく―――
「お待たせーっ! ”タイガー&エール”のゲリラライブ、始まるよーっ!」
「「「わああああああああ!」」」
ハルピュイア型そっくりに変装したアイドル、虎柄ますきゃっとの大河ちゃんだからだ!
『おしまいなんて言わないで あたしが君の翼になるよ♪』
「「「ハイ! ハイ! ハイハイハイ!」」」
『もう一度だけ羽ばたいて 二人なら、絶対できる!』
「「「ヨォーッ、ハイ!」」」
あたしの歌声とお客さん達の掛け声が街中に響く。
しばらくそのまま歌っていると、お客さんが増えてきた。賑わいに釣られて来た人が「なんだなんだ」と足を止めている。
初見のファンにアピールするチャンスだ。あたしは飛行ユニットの出力を抑えて空中に漂いながら、アイドルらしくニコニコと笑顔を振りまく。
「聞いてくれてありがとー! あたし、駆け出しアイドルますきゃっとの大河! 名前と見た目だけでも覚えていってね!」
「へえ、アイドルの子か。だけど、ますきゃっとがハルピュイアのコスプレなんて変わってるね」
「えへへ、インパクトあるでしょ? かわいいから気に入ってるんだ!」
あたしの答えにお客さんも「そういうもんか」と納得してくれた。
嘘ではない。あたしの技術を注ぎ込んで作ったハルピュイア型アイドル衣装は、渾身の出来で本当に気に入っている。
丁寧にデコった大きな鉤爪も。あの子とお揃いの、飛行ユニットを改造した白い翼も。あたし史上、最高の仕上がりになっている。
だけど、それだけじゃない。あたしがハルピュイア型の変装でライブをするのは、ある目的のためなのだ。
その目的とは―――
「こらーっ! またお前でありますか、偽ハルピュイア!」
「……来た来た」
そろそろ聞き慣れてきたやかましい声に、あたしはニヤリとほくそ笑む。
視線の先にいるのは青い制服の少女。ますきゃ警察署に勤めるポリスきゃっとだ。
「超ノ級襲来の知らせがあったから来てみれば……。何度も何度も、本官の手を煩わせるな、であります!」
「そんなこと言われても~。あたし、自分がかわいいと思う衣装で歌ってるだけですし?」
「それが紛らわしいから通報されるのであります!」
「知りませーん。間違えて通報した人に言ってくださーい」
ひらひらと煽るように飛びながら、ポリスきゃっとのガミガミうるさい小言をかわす。
すると、生真面目なポリスきゃっとはいとも簡単に怒り出し、
「ムキーッ! 公務執行妨害で逮捕してやるであります!」
尻尾をバネにした大ジャンプで、あたしを取り押さえようと飛びかかってきた。
「おっと、危ない!」
大きな翼に見せかけた飛行ユニットを吹かして少しだけ上昇する。
足首を掴もうと伸ばされたポリスきゃっとの右手はギリギリで届かず、空振りのままストンと着地。しかし彼女はめげずにもう一度飛びかかろうと構えている。
その様子を見下ろすあたしは、やれやれと大げさに肩をすくめて、ハラハラと見守っているお客さん達に声をかけた。
「みんな、ごめーん! あたしも逮捕されたくないし、今日のライブはおしまいにしなきゃ!」
「「「ええ~~~っ!」」」
「でも、絶対に次もやるから! ゲリラライブ、楽しみにしててね!」
「「「わああああああああ!」」」
「やるなーっ、であります!」
叫び声と共にポリスきゃっとが再び跳んだ。
あたしは捕まらないよう高度を上げて、急加速。発着場から都市の外へと踊りだす。
「ファンのみんな、警察さんも、まったねー!」
「ちくしょう、であります……!」
流石に空までは追ってこれず、地団駄を踏むポリスきゃっと。
その悔しそうな姿を尻目にあたしは悠々と逃げ出した。
大きな白い翼を広げ、ごきげんにエールの歌を口ずさみながら。
「ふんふん、ふーん。作戦は順調に進行中、っと!」
作戦。そう、作戦だ。
都市中の注目を集め、警察に通報され、ポリスきゃっとに見つかって逃げ切る。
ここまでが全部、あたしの立てた作戦通りの流れなのだ。
「噂をかなり広まってきたみたいだし。人間さんも、ますきゃ警察も、歌うハルピュイアは人騒がせなコスプレますきゃっとだって認識してるはず」
そのために、繰り返しゲリラライブを開いてきた。
ポリスきゃっとにしつこく注意されるほど、何度も何度も街中で歌って。
変わった趣味のコスプレアイドルだとみんなに認知させて。その上でサクラを雇って通報してもらい、ますきゃ警察に無駄骨を折らせて。
これでもかとからかって、逃げ延びて。あっちが疲れるまで延々とやり続ければ、いつか。
「いつか、『ハルピュイアが出たぞー!』なんて通報は呆れて相手にされなくなる日が来るはず」
その日を夢見て、あたしはグッと手を握りしめる。
もうお分かりだろう。あたしが立てた作戦の大筋とは、つまり。
オオカミ少年だ。
「”大人達は、もう誰も少年の言うことを信じませんでした……”」
本来なら悲劇になってしまう、教訓が込められた寓話的なラストシーン。
だけど今回の場合、物語はこの言葉で締めくくられるのだ。
「”めでたし、めでたし”!」
それからまた時は過ぎ、階層都市の屋外ライブ会場の控室にて。
エールが何故か遠い目をして、呆れたように呟いた。
「もしかして、イムラってポンコツ集団なのですか?」
「もご?」
突然おかしな質問をされ、あたしは「なんで?」と聞き返そうとしたのだが、できなかった。差し入れでいただいたソーデスまんを、エールのも合わせて二人分、口いっぱいに頬張っていたからだ。
「もご。もごもごもごっご、もごご?」
「返事は食べ終わってからにしてください、大河」
「もごっご」
わかったと言って頷き、食事に戻る。
急いで食べようとハムスターのように頬を膨らませるあたしを、エールは無言でじっと眺めていた。
「……ごくん。ふう、ごちそうさまでした。で、イムラがポンコツって、なんで?」
「今の大河の顔を見た素直な感想なのです」
「むっ、失礼な。エールの代わりに食べてたのに」
さっきまで食べ物で膨らんでいた頬を、今度は怒りでぷくっとさせる。
あたしが二人分も食べていたのは何も腹ペコだからじゃない。エールに食事機能がついていないからだ。
ハルピュイア型のエールはますきゃっととは違う。でも対外的にはハルピュイアコスのますきゃっとなので、たまに食べ物をいただくことがある。
そしていただいた食べ物はあたしの胃袋、もとい小型反物質炉に入れておくのだ。もったいないから。
「そう、あくまでエールのフォロー! おかわりできてラッキーなんて、思ってないんだからね!」
「ほっぺにお弁当をつけながら言われても説得力がないのです」
エールはくすくす笑いながら翼を伸ばし、あたしの頬についたソーデスまんの欠片を取る。
そして、からかってごめんなさいですと謝ってから、話を続けた。
「さっきの質問は、例の作戦の話です。大河の言ってた”オオカミ少年”の」
「ああ、あれ! 天才的な発想だったでしょ? さすがあたし!」
「いえ、100点満点で言えば20点だと思うのですが」
「えっ!?!?!?」
エールの思わぬ辛口評価に愕然としてしまう。
そんなばかな。あんなにくーるでくればーな作戦だったのに!
もちろん、あたしの本職は軍師じゃなくてアイドルだから、100点満点だったとは言わないけど。それでも80点くらいは取れてたはずだ。
そうじゃなきゃありえない。だって、
「だってあの作戦、完璧に成功したじゃん!!!」
「そうなのですよねぇ……」
エールがどこかものすごい遠く、宇宙の果てでも見つめているような目になった。
あの約束をした日からおよそ一年。エールの夢を叶えると誓い、ハルピュイア型のコスプレライブをし続けて、一年。
今では「ハルピュイアが出たぞー!」の叫び声はすっかり街の風物詩となり、あたしのお願いに押し切られて外に出たエールも「あのコスプレアイドルの相方だね!」と大歓迎されていた。
偽ハルピュイアを逮捕しようと半年くらいは頑張っていたポリスきゃっとも、疲れたのか飽きたのか、もう捕まえる素振りすら見せない。それどころか職務中なのにお客さんに紛れてペンライトを振っている始末だ。
作戦はびっくりするほど大成功で、発案者のあたしも鼻が高い。もっとも全容を後から知らされたエールは未だに納得していないようだけど。
「ありえないのです……こんな幼稚な作戦に引っかかるなんて、人間さん達もますきゃ警察もバカばっかりなのです……」
「うーん、そう言われてもなぁ。バレてないものはバレてないとしか言いようがないし」
白い翼で頭を抱えて、むむむと唸るエール。
その様子を見て、あたしも少し考える。仮に、仮にだけど、あたしの作戦が全然完璧じゃなかったとして、ますきゃ警察もバカばっかりじゃなかったとして。
それでもなお、作戦が成功に至る理由があるとしたら、何だろう?
「もしかしたら、実はとっくにエールの正体には勘付いてるけどあえてスルーしてる……とか」
「意味がわからないのです。超ノ級はイムラの宿敵、ますきゃっとが見逃す理由がないのです」
「そこはほら、あたしと同じで! お偉いさんがエールの歌に惚れちゃって、逮捕なんてしたらもったいないと思っちゃったのかも!」
だってエールの歌、最高だし! と笑顔で親指を立てるあたし。
一方でエールは複雑怪奇な表情をしていた。褒められた喜びと、呆れと、疑念と、その他諸々が入り混じっている。
どうやらCPU内で”かつての宿敵がポンコツ集団である可能性”と”自分がイムラすら魅了する稀代の歌姫である可能性”を天秤にかけて悩みに悩んでいるようだ。謙虚な子だなぁ、あたしだったら迷わず後者を選ぶのに。
(……でも、もしそうだったら、ちょっとイヤだな)
チクリと、機械の胸が痛む。
かつて敵だったますきゃっと達がエールの歌を大好きになる。それはもちろん嬉しいことだ。目論見通りで、喜ばしいことのはずだ。
だけど、自分から言い出したくせに、心の底ではその可能性を否定したいあたしがいた。
あたしのファンを取られたから? それは違う。
姉妹機達がみんなチョロすぎるから? それも違う。
エールの歌がみんなに受け入れられたのに、親友の夢が叶うのに、どういうわけか気に食わない。その理由は。
(あたしが一番最初に、エールの歌を好きになったのに!)
独占欲。
エールの歌を世界中に届けたいなんて言っておいて。
あたしだけに聞いてもらえれば満足だと、そんなエールの諦観を真っ先に否定しておいて。
今更……本当に、今更。取り返しがつかなくなって初めて、エールを独り占めしておきたかったと、あたしは悔やんでいるのだ。
(んああ~! エールがみんなのものになっちゃうの、なんかイヤ! でもみんなにエールの歌を聞いてもらえないのは、もっとイヤ~~~!)
悶々とした気持ちがCPU内いっぱいに広がり、あたしは思わず頭を抱えた。目の前にいる親友と同じように。
二人揃って「むむむ」と唸るあたしとエール。ハルピュイアに変装したますきゃっとと、ますきゃっとと偽って活動するハルピュイア。
鏡写しのあたし達が、本当は敵同士のはずの二人が、同じように頭を抱えている。その瞬間を切り取った絵がなんだかすごくおかしくて。
悩んでいる真っ最中だと言うのに、あたしは思わず苦笑してしまった。
「……あはっ」
「……ふふっ」
すると、笑い声があたしの他にもう一つ。
顔を上げると、エールとばっちり目が合った。
ぱちぱちとまばたきをする。そのタイミングもまた、二人一緒だった。
(もしかして……エールも今、あたしと同じことを考えてたのかな?)
そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。
気になって、あたしはゆっくりと手を伸ばす。エールも同じく、ゆっくりと翼を差し伸べてくる。
口で聞けばいい話だけど。なんとなく今は言葉じゃなくて、互いの駆動音を重ね合って確かめたかった。
(エール……)
あたしの指先が、エールの翼の先に触れる。
新雪のように白くて、綺麗で、大きな翼。その先端から、あたしとは違う小さな駆動音が伝わってきて―――
「”タイガー&エール”さん、準備よろしいですかー!?」
その時、スタッフさんが控室の扉をノックする音が聞こえ、ハッとして。
我に返ったあたし達は一瞬顔を見合わせると、慌てて手を離した。
「ひゃ、ひゃいっ! 大丈夫です!」
「い、いつでも行けるのです、ええっ!」
「んん? なんだか声が裏返ってますが……まぁとにかく、よろしくお願いしまーす」
少し怪訝そうな返事の後、スタッフさんの足音が遠ざかっていく。
そうだった。ここはいつもの地下シェルターじゃなくて、階層都市にある屋外ライブ会場の控室。
エールと二人っきりでいちゃいちゃしていい場所ではないのだ。今みたいに人の目もあるし……それに。
(あたしとエールは、アイドルなんだから)
そう。なんたってあたしは未来の大スターで、エールは稀代の歌姫だ。
歌と踊りでお客さん達を楽しませるのがあたし達の夢。みんなが見上げるあのステージへ二人で昇り、自慢の歌声をめいっぱい響かせないと!
「こほん。じゃあ気を取り直して……行くよ、エール。準備はいいよね?」
翼を模した飛行ユニットを接続し、鉤爪のようなネイルをつけて、あたしはガシャンと音を立ててカタパルトに足を乗せる。
するとエールも、猫耳と尻尾のアクセサリーを装着して、あたしの隣にやってきた。
「はい、もちろん。まだ少しだけ怖いけど……大河、あなたと一緒なら」
私もアイドルになれるのです。そう言って、エールはにっこり微笑んだ。
あたしも同じく微笑み返す。そして、ゆっくりと手を伸ばす。
指先と翼が触れ、互いの駆動音が伝わり合う。リズムの違う、ますきゃっととハルピュイアの駆動音。
呼吸の度に二人の微妙なズレが伝わる。猫耳から息を吸い、吐き出しているうちに、二つのリズムはゆっくり、ゆっくりと混じり合い。
そして、一つになる。
「「―――”タイガー&エール”、テイクオフ!!!」」
比翼の鳥が、雲ひとつない青空へと羽ばたいた。
(完)