ねずみさんは武田ドラキャップの夢を見るか?
19時75分、つまり少し遅めの20時ちょうど。推しの配信をリアタイするため、僕はいつものように動画配信サイトを開いた。
《こんきゃーっぷ!》
ご認識解読班の挨拶がコメント欄を勢いよく流れていく。
バーチャル美少女・武田ドラキャップの配信が始まったからだ。
「こんばんは、こんばんは、武田ドラキャップです。みなさん、本日も配信を見に来てくださってありがとうございます」
白髪赤眼で猫耳の美少女が、画面の中でふわりと踊った。
彼女こそが武田ドラキャップ、月面から来た銭湯用Androidを名乗る動画配信者だ。
戦闘と言えば銭湯、アンドロイドと言えばAndroidになるような”ご認識”がとても多かったため、彼女のファンはご認識解読班と呼ばれている。
もっともそれは約5年前、配信初期の話。最近のドラちゃんはご認識もずいぶんマシになり、流暢に話せているのだが。
「夜汽車」
そう思った途端に「よいしょ」の新しいご認識が出た。《サツドラ》だ。
「……よいしょ。さてさて、今夜はみんなでこの一年の配信について語るの会です。改めて振り返ってみると、本当に色々ありましたね」
ドラキャップの言葉を受けてご認識解読班がわいわいと語り出す。
今年はコラボや企画が多かった、とか。コスプレ写真がかわいかった、とか。流行りの大作ゲームをたくさんやった、とか。
彼女の活動は幅広く、ご認識解読班の好みも十人十色なので、話題は到底一つに絞りきれない。
しかし、特に強く印象に残っている出来事はいくつかあった。
例えば、待望されたあのぬいぐるみの発売だ。
「1/1ウソデス、そろそろお手元に届いた頃でしょうか? 是非かわいがってあげてくださいね、そうしたらわたしの苦労も報われますから」
どこか遠い目をして呟くドラキャップ。コメント欄には《ウソデス》の顔文字スタンプが溢れ返る。
ウソデスとは、ドラキャップチャンネルにいつの間にか現れたマスコットだ。ドラキャップがご認識した後に「うそです、うそです」と慌ててごまかす仕草がその名前の由来とされている。
この謎の黒い生き物の造形はシンプルながらバランスを取るのが難しく、理想のぬいぐるみを作るために何度も何度もリテイクを重ねていた。
試行錯誤が大変だったとドラキャップが苦労を語った配信は、ご認識解読班にとっても記憶に新しい。
「他には、そうそう、地名を当てるゲームの配信もありましたね。あれは楽しかったし、わたしの賢いところをみなさんのお見せできたので、またやってみたいですね」
次にコメント欄から拾われたのは、とあるゲーム実況の話題だった。
世界のどこかにランダムで飛ばされて、撮影された周囲の画像から現在地を推測し、ピタリと当てるゲームだ。
標識や看板の文字、植生や歩行者の服装などヒントは様々だが、ドラキャップは写り込んだ自転車のメーカーからお国柄を推測し、見事に的中させていた。
《誤差10メートルまで当たっててサツドラだった》
《ドラ!ちゃん!べりべりくればー!》
ご認識解読班も揃ってドラキャップの賢さを褒めちぎる。
普段はポンコツ、のうすじ扱いすることも多いのだが、この配信の時ばかりは彼らも舌を巻くしかなかった。
「ふふふ、ありがとうございます。みなさんたくさん褒めてくださったので、わたしもちょっとサービスしてあげましょうか」
ドラキャップはそう言うと、急にカメラに顔を近づけて、頬ずりをした。
モニター越しに彼女の熱が伝わってくるかのような錯覚を覚え、僕は一瞬で限界オタクになってしまう。
《あっあっあっ》
《あああああああ》
《ドラちゃんすき……》
語彙力を失ったご認識解読班のコメントが、雪崩のように画面を埋め尽くす。他の配信者のチャンネルには存在しない謎の機能、動くドラキャップのスーパーステッカーも貼られていく。
サービス精神旺盛な彼女の配信で見られる、いつもお決まりの流れ。こういうところは、武田ドラキャップの配信であっても同じのようだ。
(……ん?)
同じ? いったい、何が、誰と比べて?
自分自身の何気ない感想が、限界オタクの思考に冷水をかける。
小さな疑念が、僕の中で違和感としてじわじわと広がっていく。
広がっていこうと、していたのだが。
「さて、次はこの前着た水着の話をしようかな!」
膨らみ始めた疑念が一瞬で消えた。
画面の中では、ドラキャップがせっかくだからと肌寒い秋に披露したこの夏の新作水着に着替えている。
今は細かいことを気にしている場合じゃない。たまにやりすぎるドラキャップの妖艶な姿をこの目に焼き付けなくては!
《どぶどぶしてきた》
はてな、どぶとは何だろう。
指が覚えていた言葉にまた引っかかったものの、僕はこの時、水着のことしか考えられなかった。
「おや、そろそろ時間ですか」
《いかないで》《いかないで》《いかないで》
ドラキャップが配信終了を匂わせると、ご認識解読班のみんなが別れを惜しむ。
僕も名残惜しかった。彼女の配信はいつだって楽しく、時間の感覚すら曖昧にしてしまう。
まるで、夢の世界にいるかのように。
「じゃあ、最後にもう一つ話題を拾うことにしましょう。では5周年ですから、5年前のバーチャルユーチューバー黎明期について語った話で」
5年前。ドラキャップが5年前と言えば携帯ゲーム機での対戦に通信ケーブルが必要だったくらいの“5年前”を指す場合もあるが、今回は正しい意味での5年前のことだ。
激動の時代だったVtuber黎明期、2018年。最古参のドラキャップは、その時期をVtuberのキズナの時代と呼んでいた。
《あれはエモかった、2018年が戻ってきたみたいだった》
「そうですね、わたしも嬉しかったです。まだ全てが手探りだったあの頃に築いた関係性は、とても濃厚で特別なものだったので」
ドラキャップが月を見上げる。目を細めて、懐かしむように。
降り注ぐ月の光の下で佇むドラキャップ。彼女にとって象徴的な構図だが、アバターやワールドは最新のものに変わっている。
それがなんだかエモーショナルで、僕は思わず見惚れてしまった。
一方で、コメント欄の様子はと言うと。
《濃厚で特別な関係性!?!?!?》
《ドラちゃんと濃厚な関係……》
《誰との関係よ!!!》
このように、一部のご認識深読み班が盛り上がっていた。
彼らはちょっと意味深に聞こえる言葉に対して中学生男子並に敏感だ。
5年間もご認識と戦っていれば、こうなる。仕方ないことなのだ、多分。
「まったくも」
コメント欄を見たドラキャップが、配信用のカメラをむんずと掴んでガンガンと壁に叩きつける。
ご認識解読班からは《ありがとうございます!!!》の声。体罰のはずなのだが、訓練された彼らにとってはご褒美だった。
そうやってひとしきり暴力を振るった後、ドラキャップは改めて口を開く。
「もちろん、ご認識解読班のみなさんとの関係性が一番特別ですよ。だって、わたしの輪郭はみなさんの認識によって作られているんですから」
ドラキャップの輪郭の話。ややメタ的な発言だ。
武田ドラキャップは一般的なVtuberのように中の人の個性をアバターに乗せて発信するスタイルではなく、ドラネコPの作ったキャラクターの核にファンの認識や期待を取り込んで、純粋な創作物としてのバーチャル美少女をしている。
その在り方は特殊だが、だからこそ魅力的だと思っているファンも多い。
「ゼロから始めるバーチャル美少女。そう名乗っていたわたしが5年も活動してこられたのは、みなさんがわたしの魅力を発見して、ドラキャップを形作ってくれたおかげです。いいところをたくさん見つけられるご認識解読班のみなさんを、わたしはいつも誇りに思っていますよ」
ストレートに褒めてくるドラキャップに対し、ご認識解読班は限界を迎えながらも言葉を返す。
《ドラちゃんも解読班の誇りだよ》
《かわいいところをたくさん見つけさせてくれてありがとう》
《ドラちゃんすき……》
僕はと言うと、我ながら口下手で照れ屋なものだから、こういう時は定型文で返すのが精一杯だった。
《チュウ……》
そして、今日何度目かの違和感を覚える。
たった今入力した《チュウ……》という鳴き声は、果たしてご認識解読班としてのものだっただろうか?
小さな違和感が、僕の中でだんだん広がっていく。
「そうそう、5年前と言えば。解読班のみなさん、一番最初のご認識を覚えてますか? 自己紹介のために“武田ドラキャップです”と名乗りたかったんですけど、それが―――」
ドラキャップの声が、どういうわけか遠く感じる。
まるで壁を一枚隔てたかのように、世界がおぼろげになっていく。
だけど、彼女が発する言葉の続きだけはよくわかった。
だってそれは、僕が大好きな名前だったから。
「―――“わたしはのらきゃっとです”になっちゃったんですよ。懐かしいですね」
のらきゃっと。
本当の推しの名前を聞いた瞬間、はっきりと理解した。
今この場所は、僕の脳が“ご認識”してしまったおかしな世界。
つまり、どういうことかと言うと―――
(ああ、夢だこれ)
そう認識すると、僕の意識がおかしな世界から浮かび上がっていく。
ぼんやりと薄れていく視界の中で、武田ドラキャップが「おつきゃーっぷ!」と言いながら手を振っている。
その姿を眺めていたら、僕の中に小さな未練が芽生えた。
(のらちゃんと少しだけ違うバーチャル美少女の配信を、もうちょっと見てみたかったな)
今なら二人の違いを探して楽しむこともできるのに、残念だ。
いや、夢だと自覚したのだから、頑張れば明晰夢にもできるのでは?
そう思い、ムッと意識を集中して、なんとか心地よいまどろみの中に留まろうと悪あがきをしたのだが。
耳元で鳴り始めたけたたましいアラーム音によって、僕の努力は無慈悲に阻止されてしまうのだった。
ジリリリリ―――。
スマートフォンのアラームに叩き起こされ、まぶたを開く。
うっかり配信前にうたた寝をしてしまってもいいように、事前にセットしておいたのだ。
「ふわぁ……なんだか、妙にリアリティのある夢だったなぁ」
パソコンを立ち上げながら、僕は先程まで見ていた夢を反芻する。
のらきゃっとではなく、武田ドラキャップ。ねずみさんではなく、ご認識解読班。マスコットは白いソーデスから黒いウソデスになり、詳しいジャンルも自動車から自転車に。
少しだけ歯車が狂った世界で振り返ったこの一年の配信の内容は、やはり少しだけズレていたけれど、記憶にあるものとそれなりに近かった。
僕の脳内で組み立てられた夢だから、過去に見た配信と似ているのは当然なのかもしれないけれど。それにしたって、そっくり入れ替わってもしばらく気付かないほど、現実味のある世界に感じられた。
「……ひょっとして、今見てる世界の方が夢の中で、本当はあっちが現実だったりして」
ふと『胡蝶の夢』という有名な説話を思い出す。
自分が蝶になって空を舞う夢を見たけれど、本当の自分は蝶の方で、今は人間になった夢を見ているだけではないか……という話だ。
もしかしたら、僕は本当はご認識解読班なのかもしれない。今はねずみさんになった夢を見ているだけなのかもしれない。
寝ぼけた頭をゆらゆらと揺らしながら、ぼんやりと哲学にふける。もしもこちらの世界こそが夢だとしたら、僕はどうすればいいんだろう?
ほっぺたをつねれば起きられるだろうか。でも起きたとして、その先は?
「……な~んて。そんな妄想しても仕方ないよな、うん」
ブンブンと頭を振って胡乱な思考を追い払い、配信を見るため動画サイトを開く。
19時75分、つまり少し遅めの20時ちょうど。
のら時空に突入している。のらきゃっとチャンネルでは平常運転だ。
《こんきゃーっと!》
コメント欄にいつものように挨拶を打ち込む。
ご認識解読班ではなく、ねずみさんとしての挨拶だ。こちらの方がタイプしていて指に馴染みがある。
そのことに少しだけホッとする。やはり僕は、ねずみさんなのだ。
おかしな夢を見たばかりだから、ちょっと不安になっていた。
「ゆうちょ」
白髪赤眼で猫耳の美少女が、聞き慣れた「よいしょ」のご認識と共に画面に現れ、広告再生待ちのダンスを軽やかに踊り始めた。
このkawaiiムーブは確実にのらきゃっとだ。見間違えるはずもない。
今度こそのらのらできると、僕は椅子の背もたれに体重を預け、彼女の配信開始の挨拶を待つ。
すると次の瞬間、スピーカーからこんな言葉が聞こえてきた。
「―――こんばんは、こんばんは。ドラキャップです」
僕は椅子から転げ落ちると、ほっぺたを力いっぱいつねった。
~fin~