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空っぽ

被害者意識があると色々問題が起きるというのは、よく聞く話ではあります。

被害者意識というと思い出すことがあります。

それは小学生か中学生の頃の話です。

そんな大きな話ではなく、日常の中で起きるふとした出来事の中で、

『"弱者"の方が立場が強いんだな』

と思ってしまったことがあったんですよね。

で、それ以来、弱者になろうとしているような傾向がありました。

一応書いておきますが、弱者を演じて嘘をついていたわけではありません。

そういう時は、意図はしているにせよ、本当に弱くなっています。

ーーー

まあ、なんにせよ、意図して弱い人間になることは、被害者意識とも繋がっています。

根っこはほぼほぼ同じなのではないかと思います。

「こんなに弱いんだから、〜してよ。」

と思っているのと、

「こんなに散々な目にあって可哀想なんだから、〜してくれたっていいのに。」

と思ってるのと。

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しばらく前に、この自分の中の被害者意識には氣付いていて、解決したかと思いつつ、どこかで癖が抜け切っていない部分があったんです。

それで、それに氣付いても、さらにその奥に隠れていた部分があって、
それは、この世界に対しても知らず知らずのうちにそれをやってしまっていたということ。

つい最近、そのこの世界に対して持ってしまっていた被害者意識に氣付いたら、なんだか色々と変わりました。

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平たく言えば、空っぽな感じです。

以前は、表層的な感情は色々あっても、真ん中には強い意志があったり目標があったりしました。

が、そういう、芯にあったものが、なんだか無くなったのです。

夢も希望も無いし
絶望も無いし
期待も無いし
落胆も無い

誤解のないよう書きますが、と言って無氣力に生きているわけでもなく目の前に訪れる天命に取り組んで充実した日々を送っておりますので、全くご心配には及びません。

むしろ理想とする在り方により近づいたと言いましょうか。

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さて、空っぽというキーワードが出たところで、ここからが本題です。

円相即ち"丸"は宇宙の全てを表しているとも言われます。

ここからは、その一般的な論理を勉強して書いているのではなく、私の感覚に基づく個人的な解釈なので、
参考くらいに考えて頂ければと思います。

この円相ですが、その中が空っぽというところが重要だと感じています。

と言うと、漢字が通じているから
"空(から)"="空(くう)"と思われがちなので詳しく書いておきます。

私はストレートな意味では"空(から)"="空(くう)"とは捉えていません。

"空(から)"はただ単に空っぽであること、
つまり、そこに何の対象も存在していないことを表していると捉えています。

ただし、その何の対象も存在していないというのは、あくまで現象レベルでの話です。

〈何の対象も存在していないということ〉は、
〈絶対的な"無"〉と言っているわけではないのです。

現象レベルで何の対象も存在していなくても、
潜象レベルの抽象的な場は遍満しています。

そして、"潜象レベルの抽象的な場" = "空"と感じていますので、
"空(くう)"自体は現象レベルの対象が存在するその裏にも遍満しているし、
現象レベルの対象が存在しない場にも遍満していて、
中でも特に現象レベルの対象が存在していない所には"空(くう)"の遍満のみが残っているので、
結果として"空(から)"="空(くう)"というロジック自体は成立し得ると感じています。

ーーー

そんなこんなで、円相の剣を製作しました。

まず、地鐵を細長く延ばし

鍛接して鐶を作りました。

この時点で円相として一度御靈入れをして、
それから全体的に鐶を押し潰して鍛接し刀身と柄を形成しつつ、端に少し鐶を残しました。

ちなみにクナイですか?と聞かれることもありますがクナイではなく、素環頭大刀風の剣です。

そして、焼入れ前の状態でしばらく寝かせてありましたが、このほどタイミングが来たので焼入れをしました。


名前は【鐶之剣(かんのつるぎ)】となりました。


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