お墓参りをする理由は、”ココ”にあった!
はじめに
お彼岸やお盆が近づいてくると考えるお墓参り。いつ行けばいいのか考えてみてもなかなか答えが出ません。宗教や宗派によっても違うのかもしれませんし、お坊さんによっては“いつでも思い立った時、都合の良い時にお参りください”と話される方もいます。
一般的には年間を通して、お墓参りの回数は16回を数えるといいます。時期と優先順位は「①お盆、②お彼岸(春、秋)、③年末、④命日(祥月命日:亡くなった日)、⑤月命日(毎月の亡くなった日)」の順番になるそうです。
しかしながら、こうした年中行事が日本にあることの意味は、仕事に追われ、日常生活の雑事に追われている私たちにとって、忘れがちの亡き親や祖先を思い出させてくれる先人達からの「生活の知恵」になるのかもしれません。
日本古来から伝わる墓石の歴史についても様々とあるようですが、今回は「季節の行事」ということのみでは割り切れない意味を追いかけていきましょう。
1、お墓はただの石塊ではない
日本では縄文時代から死者を埋葬する習慣がありました。弥生時代になると甕棺(かめかん)、木管、石棺などに遺体を納め、埋葬されるようになります。
古墳時代に入ると、一部では支配者の権力を示すために巨大な古墳が数多く作られるようになりました。その結果、大化の改新の翌年(646年3月22日)に「簿葬令(はくそうれい)」が発布されます。
この法律は、今までのお墓づくりに莫大な規模の費用をかけ過ぎたことへの戒めとして、墳墓の規模や葬儀の儀礼を縮小簡素化するために制定されました。これにより身分ごとにお墓の規模や工事に携わる人数、工期日数また葬具などを細かく規定したといわれています。しかし一方で、一般民衆のお墓はというと、共同の埋葬地に土葬をして、その上に盛り土をしたり手頃な石を置いたり、木の杭を建てていたようです。
平安時代に入ってからは、一部の特権階級ではすでに石を加工し、お墓を建てていたことが書物からも読み取れます。
鎌倉・室町時代には仏教が広く普及し、戒名や位牌などの習慣も取り入れられました。この頃の日本のお墓の形は「五輪塔」と呼ばれるものです。五輪とは宇宙のすべてを形成する五大元素(地・水・火・風・空)を指します。「人が亡くなると肉体は五大に還元し、死者を成仏させ、極楽浄土へ往生させる」という教えをもとに模られた五輪塔は仏教的な意味を持つ歴史あるお墓の形といえるでしょう。
現在、多く使用されている一般的なお墓の形である角柱の三段墓は、江戸時代中期から普及した形です。また、江戸時代になると檀家制度が敷かれ、ご先祖様に対するご供養やご葬儀・お仏壇・お墓などの仏事が生活の中に定着し、庶民の仏教に対する信仰が確立しました。
明治維新により、檀家制度は法律上での根拠を失いますが、庶民とお寺の結びつきは強く、仏葬も引き継がれ現在に至っています。また、明治時代になると都市への人口が集中したこともあり、東京の青山霊園をはじめ、大正時代には多磨墓地(現在の多磨霊園)など大きな霊園もつくられるようになりました。
このように、お墓の形は様々に変化してきましたが、何千年も前から死者を埋葬し、供養する形は変わっていません。先祖を敬い、生きている人のしあわせを願うお墓は今も私たちの暮らしの中に存在しているはずなのです。
お墓を大切にするということは、親祖先を大切にすることと同じです。
“今ここ”に私がいます。あなたも“現に存在”しています。この自分自身の肉体と精神というのは、例えていうならば、木を切った時に現れる年輪に示されるように、親祖先から積み重なったものに他なりません。
私たちの肉体には、親祖先の魂が宿り、血液を通して脈打っているのです。その自覚が自然と生命の源に深く感謝をさせ、頭をさげさせるのでしょう。この意識が墓参の基になければ、墓石は石塊と化してしまうかもしれません。
2、“スナオな心”になる入り口
「両親に対してスナオ(素直)になり、もし親が他界していれば墓を大切にする」ということは前項から捉えていただけたでしょう。しかし“スナオ”になりたいと思っても、どうしても不平不満がすぐに出て困るということもあると思います。ついつい口答えをしてしまい、あとで「やってしまった…」と後悔をしたり情けなく感じたり、自分が嫌になってしまったりする場合もあるのではないでしょうか。
聖人と言われるような知徳に優れ、理想的な人物として崇拝されるような立派な方々はさておき、両親に対して髪の毛一本ほどの不満を持ったことがないという方は少ないでしょう。いや、一人もいないかもしれません。
それでいいのです。長所ばかりで短所がなく、完全無欠だとしたら、もうそれは人ではなく神様か仏様です。しかし私たちや両親は人間なのです。
中国の思想家、孔子のような聖人でも「心の欲するところに従えども矩を踰えず」と、自分の心に思うことをそのまま行っても、道徳の規範から外れることはないという心境に70歳になってようやく至ったくらいです。
それほど難しいことなので、私たち凡人は毎日、腹を立て、愚痴をこぼし、不平不満を持ちながら暮らしても、全くおかしいことではないのです。
しかしそうは言っても、無茶苦茶な生活を続けていては、いつまでたっても進歩も成長もありません。だからこそ、私たちはスナオであろうと意識をすることが大切なのです。
そして「悪かった」「違っていた」と気がついたら“すぐに詫びる”ことを行動の指標にしていくことがスナオになる入り口となるのです。
3、能力開花の近道
2012年12月1日、NHKのオーディオドラマで『思い出さずに忘れずに』という作品がありました。心が行き違った父と娘が絆を取り戻そうとする様を通して、家族再生を描く作品です。
【あらすじ】
何となく世間から愛され許される、得な人生を歩んでいる父。基本的には真面目なのだが、人から頼まれると断りきれない性格で、株や相場に手を出しては失敗を繰り返すという欠点がある。そのため、娘が18歳の時に父と母は別居した。三年前に母が亡くなった時に再会し、以降、細々と付き合っている。娘は、母の死を受け入れられずにいる。あるきっかけでお互いの気持ちを吐露し合う娘と父。やがて、娘はいかに自分が親から愛されていたのか気付き、母の喪失を乗り越えようとする。二人が再び親子になろうとする姿を通して描かれる、家族の再生の物語。
出典:http://www.nhk.or.jp/audio/old/prog_fm_former2012.html
「思い出さずに忘れずに」との言葉は、自分の名前のようなもので、「特別に思い出そうとしなくとも、忘れてはいない」という意味として、両親のことをいったのだと考えられます。
前項【あらすじ】に「娘はいかに自分が愛されていたのか気づき」とあるように、子供の立場から両親に対して感じたことが描かれています。
実際生活においても、自分の生命のふるさとは両親であることに間違いはないのです。これはわかりきった答えではありますが、認識されていないことが多いようです。ちょうど太陽のありがたさを忘れてしまうようなものかもしれません。
「生きている」というのは、大変素晴らしいことです。どんなに惨めで、辛いことが多くても、生きているということは、向上できるということなのです。
子供を産み育て、事業を残し、この世になんらかの『生きてきた跡』を刻むことができる。今はまだできていなくても、これからできるのです。自分一代で、何もできなくても、自分の血と心が、子供たちに流れて大きな仕事を成就してくれることでしょう。この素晴らしい存在にしてくれたのが、両親です。これだけ考えてみても両親に感謝せずにはいられないのではないでしょうか。
「親心を感謝できない人は何一つできない」という話を耳にしたことがあるなら、それはこのことをいうのです。その両親を思う気持ちが目に見えない「きずな」によって発展し、自分自身の能力が高められていくのです。
人間は誰しも生まれながらにして生きる力や物事を成し遂げる力が与えられています。この力は両親を通して、その肉体とともに授けられたものです。
頭が良いとか、優秀な技術を持っているとか、一芸一技に優れているとかいうのはその人の努力はもちろんながら、自然に授かった両親からの贈り物であることを自覚すべきでしょう。
そして本当に両親を大切に尊敬し、感謝していくときに、眼には見えない「きずな」によって、私たちの能力は高まり強くなっていくのです。そうすれば個性はより輝きをまし、家が栄え、次世代の子供達に受け継がれていくことでしょう。
最後に
人は互いに支え合って生き、生かされて今があります。これまで多くの愛情を注がれて生かされてきた私たちの生命は、他の人々や物の恩恵を受けてきました。
なかでも父母から受けた“生成の恩”、“愛育の恩”を感じることが、私たちに宿った能力を十二分に発揮するための鍵になります。
これまでの恩を全て返すことはできないかもしれませんが、私たちは両親に孝を尽くすことからはじめてみてはいかがでしょうか。それは祖先に繋がることと同意です。意識しやすい3項目を最後に提示して締めくくります。
① 両親を喜ばせること
② 両親の辛さ悲しさを心から知ること
③ 両親を無条件に受け入れること
直接的な行動ができなくても、心の中で両親を想うだけで伝わるのも親子です。
不思議に感じる方々もいるかもしれませんが、私たちの生命は見えない“きずな”によって繋がっているのです。
この夏の墓参を機会に、親祖先に対して尊敬と感謝の気持ちを向けてみてはいかがでしょうか。