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  ペヤング大好き

 ペヤングが発売されてからもう40余年になる。これを読んでいる方の中にも食されたことがあることだろう。たとえそうでなくとも、コンビニやドラッグストアで印象的な四角形の白い容器を目にしたことくらいはあるのではないか。

 ここで蛇足を承知でペヤングの紹介をしておこう。
 ペヤングとはまるか食品が販売するカップ焼きそばの商品名である。1975年の発売開始以来ロングセラーを誇る、同社の看板商品であるとともにカップ焼きそばの代名詞と言っても過言ではないほど、その名は広く人口に膾炙されている。ちなみにペヤングという一風変わった商品名の由来だが、同社のホームページによると「昔は高価だったカップ麺。若いカップルに二人で一つのものを仲良く食べてほしいという願いから、『ペア』と『ヤング』で『ペヤング』」らしく、微笑ましくも心温まる牧歌的な逸話に心癒されると同時に、反面、1975年の社会と、現代の社会を取り巻く空気の激変ぶり、人心の懸隔(けんかく)を思うとブルージーになってしまう。
 ペヤングが発売された1970年代中盤は、今振り返るとカップ麺業界にとって重要な時期であったことがわかる。
 まず、ペヤングが発売された1975年、東洋水産から「マルちゃん赤いきつね、緑のたぬき」が発売され、翌1976年、日清の「焼きそばUFO」が、同年、同じく日清から「どん兵衛きつね」が発売される。世界最初のカップ麺である「日清カップヌードル」が発売されたのが1971年。それからわずか4年で早くもカップ麺業界は爛熟期を迎え、現在でも大手各社の主力たる看板商品が揃い踏み、群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の様相を呈する。その後の70年代後半のノンフライ麺ブーム、80年代のデカカップ麺ブーム、90年代の生麺ブーム、00年代の低カロリーカップ麺ブーム、そして10年代の袋麺ブーム、といった、数多の流行と覇権の移り変わり、栄枯盛衰を、ペヤングをはじめとしたこれら定番商品はくぐり抜け、今も変わらず人々に愛され、支持されているということを思うと実に感慨深い。これは瞠目(どうもく)に値する。

 今ではすっかり私たちの生活風景の中に溶け込んだペヤングだが、私の住む北陸地方で販売を開始したのは、関東圏から大きく遅れをとることなんと30余年、2008年のことであった。
 2008年、「まるか食品」は、満を持して大阪営業所を設立し、その販路を西日本へと拡大する。関東圏での知名度は絶大であったペヤングだが、こと北陸地方では無名に近い存在であった。私ごとで恐縮だが、ペヤングが当時いかに北陸で無名であったかを知るエピソードを紹介しよう。
 私がペヤングの名を最初に耳にしたのはとある居酒屋でのこと。友人たち数人と飲んでいた私は、隣のテーブル席に座る見知らぬ男が、先刻から意味不明の言葉を繰り返し叫んでいるのに気づいていた。私はいくら飲みの席といえど、少しく度を越した男の声量と、どこの国の言語とも知れない意味不明の言葉の連呼に、はじめこそ閉口したが、すぐに生来の好奇心が芽を出し、男がしたたかに酔っていることをいいことに、無遠慮な視線を投げかけると仔細に観察をはじめたのだった。
 よく注意して聞いてみるとどうも男は「ペヤング」という言葉を連呼しているらしい。どこかで聞いたことがあるようなないような、甚だ曖昧な認識のもと、私はそれがいったい何を指す言葉だったかと記憶のアーカイブをあちこちと探る。だが、酒毒で濁った私の頭はうまく動いてはくれず、早々とその作業を放擲(ほうてき)すると、私は男が発する「ペヤング」という音声自体に惹かれはじめる。その音声の誘引力は、男を「ペヤング」と連呼させることの直接の動機ともなっていることに私は気付く。それは男の「ペヤング」の発声方法を観察すれば判然とする。

 まず男は、待ち受ける愉悦の味を瞼(まぶた)の裏で予感するかのように目を細め、心持ち下顎を突き出して「ぺヤン」と、往年のソウルシンガー(それはアル・グリーンを彷彿とさせた)のようにゆっくりと発声すると、一旦声量を限りなく零(ゼロ)地点にまで絞り、「ン」と「グ」の間に不自然な陥没地帯を創出してみせる。だが、この陥没地帯は「ン」と「グ」の間にできた不条理な分断、空白などでは決してなく、むしろ来るべき「グ」を発声した際の快楽を、最大限にまで昂めるための周到かつ効果的な演出であることがわかる。なぜならば、注意深く耳を澄ますと、「ン」は音声として完全に消失したわけではなく、我々の可聴領域で辛うじて聴取できる低音域を旋回してうなり、引き延ばされることによって「ン」と「グ」の間の連続性が保たれていることがわかるからだ。
 男はこのようにしてニセの陥没地帯を捏造することで我々観衆を欺き、注目させることにまんまと成功すると、その注目自体を発条(ばね)にして引きつけ任意のタイミングで「グ」を勢いよく解き放つ。それは演者と観衆双方に大きなカタルシスをもたらす。


 男は恐らく何度も「ペヤング」と発声するうちに、即興的に編み出したであろうこの独自の発声方法で実に気持ちよく「ペヤング」を連呼するのだった。反復することでこの独自の音楽(あえてこう言おう。)は魔術性を帯び、観衆を、そして演者自身を蠱惑(こわく)する。それはまるでデルタブルースのように、未開民族の呪術のように私の耳に響きわたり、男を即席のシャーマンへと仕立てあげたのだった。
 すっかりペヤングヴードゥーの虜(とりこ)となった私は、男と同じ発声方で「ペヤング」と発声したい欲望に抗うことができなかった。幸いにしてその発声法は誰でも2、3回聞けば習得できる程度の技術的に稚拙なものであった。その結果私は、数分前の私みたく閉口する友人を前にして「ペヤング!ペヤング!ペヤング!」と人目も憚らず大声で繰り返すのだった。ペヤング!

 このようにして「ペヤング」という固有名詞と先に出会った私であったが、この時点ではまだ、ペヤングがカップ焼きそばの商品名であることは知らずにいた。では、このときの私は、「ペヤング」を何であると思っていたのであろうか。なんと私はペヤングを韓流スターの名前だと思いこんでいたのだった。
 居酒屋の男から「ペヤング」という言葉をはじめて耳にしたとき、私はその音声を脳内で、「ぺ・ヤング」と自動的に文字変換した。そしてそのシニフィアンは、韓流スターのシニフィエを私に想起させ、あまつさえ私はその架空の韓流スター「ペ・ヤング」に、メガネをかけ、小太りの歌も踊りも卒なくこなす三枚目然とした具象までも付与したのであった。

 しかし、誤謬(ごびゅう)を改めるのにそれほど時間はかからなかった。当時毎日のようにコンビニに行っていた私が、早晩あの長方形の白い陽気(容器)なヤツに出会うのは時間の問題であった。
 それからしばらく経ったある日、私はいつものように昼飯を買い求めに近所のコンビニへと向かった。その当時の私のコンビニでの立居振る舞いはこんな感じだ。
 まず、店の扉を手で押し開けると、立ち止まることなく左手で買い物かごをサッと掴み、脇目も振らずに店内の最奥へと真っ直ぐ進み、おにぎりコーナーの前で吸い付くようにして足を止める。二段に分けられた商品ラックには、無数のおにぎりが並んでいるが、そのときの気分、予算、腹の空き具合、他の食品との相性、といった諸条件を高速演算で比較検討し、今現在の私がもっとも欲っしているおにぎり、つまりシーチキン味を1.5秒で選ぶと、後ろを振り返りおにぎりコーナーよりも面積も量も充実している菓子パンコーナーの棚を睥睨(へいげい)する。3秒。と、おにぎりを選ぶときよりも倍の時間を要したが、まあ即断の部類に入るだろう、イチゴスペシャルを、充填された空気がパンッ!(ダジャレではない)と音を立て破裂するくらいに荒々しく掴んで買い物かごにぶち込み、まわれ右をして飲料コーナーの扉を開く。練乳臭いだけでちっともコーヒーの味のしない甘ったるい缶コーヒー、出がらしのようなペットボトルの緑茶を次々と買い物かごに放り込み、風を切るようにして後ろを振り返り、今度はカップ麺の商品ラックへと向かう。そして商品ラックの中から当時よく食べていた「エースコック・スーパーカップ1.5倍ブタキムラーメン」を探す。ここまで47秒。私はこの一連の動きを一糸乱れぬ完璧な動作で遂行できたことに満足を覚える。「エースコック・スーパーカップ1.5倍ブタキムラーメン」のおおよその配置場所も頭に入っているので、その視線の動きも動作同様滑らかで無駄がない。だからか、私は自分のことをまるでよく訓練された兵士のようにも感じ、また、ビルの屋上でアタッシェケースからライフル銃の部品を取り出し、それらを手際良く組み立てると足場に固定し、スコープを覗くと、向かいのビルの一室でこれから殺されるとも知らずに呑気に煙草なぞを燻(くゆ)らせている憐れな標的に照準を合わせ、遅疑(ちぎ)なく引き金を引き、側頭部に命中させ一発で仕留めると、来たときと同じ迅速さで銃を解体し、アタッシェケースにしまい、塵一つ残すことなく現場を立ち去る殺し屋の姿と重ねて密かなナルシシズムに酔いしれる。


 阿呆だ。よりによってこんな白昼からかかる妄想に淫するとは、いくら私がトニー・スコットのアクション映画が好きだとはいえ、決して世間に自慢できるものではない。我がことながら慚愧に堪えない。
 しかし、私の視線の運動は、ある物体を捉えたときに停滞を余儀なくされてしまう。
 それは下劣なまでに大きな白いコンテナ状の物体で、当時の私にとって日常の風景と化したコンビニの商品棚に、突如闖入(ちんにゅう)してきた異物以外の何物でもなく、私の目はそいつに釘付けされてしまう。目を凝らして見ると、味気ない野球のベースみたく真っ白な蓋の上に毒々しいまでの朱色と黄色の文字で「ペヤング超大盛」とあり、その横にはやや控えめながら、青地に黄色で「やきそば」の文字が染めぬかれた暖簾のイラストが風にはためいている。その「ペヤング」という文字は、ピンポイントで私に数日前の飲み屋の出来事を思い出させる。あのとき男が、そして私が連呼していた「ペヤング」という言葉。あれは今私が手にしているこのカップ焼きそばのことだったのか!「韓流スター」と「カップ焼きそば」という双方のイメージの隔たりに我が誤謬ながら失笑してしまう。
 「超大盛り」の言葉通り、横23.5×縦17.0の寸法は、これまで私が見たどのカップ麺よりも大きかった。試みに手に取ってみるとずしりとした確かな重みがあり、その重さは自他ともに認める健啖家(けんたんか)の私の胃袋をも満足させてくれることを早くも約束した。それは静かな衝撃であった。
 私は、その質素な真っ白い蓋から、湯気とともに香ばしいソースの匂いが漂ってくるのを感じる。そして私は、人間の食欲を過剰に煽るため、香料を幾重にも重ねた即物的な香気が、挑発するように私の鼻腔を刺激し、渇きに似た食欲を催させることや、水気でふやけた麺を咀嚼したときの頼りない食感、安っぽい油、ソース、青のり、そして胡椒の香りが渾然一体となって口中を満たし、鼻を突き抜けるときのケミカルな香り、嚥下したときの喉ごしのことを思った。それらはどれも私のささくれ立った食欲を鎮め、やがて仮死のような安心感へと導くことだろう。図らずも唾液が次々と分泌された。私は静かに目を閉じると、両手を合わせ「ごちそうさまでした。」と言った。そんな私を隣にいたサラリーマンが凝視しており、私と目が合うと慌てて視線を逸らし、気まずさをごまかそうとしたのか、のし袋と雪見大福を手に取るとそそくさと去って行った。
 私がその日、「エースコック・スーパーカップ1.5倍ブタキムラーメン」の代わりに「ペヤング」を購入したのは言うまでもない。その日を境にしてぺヤニストとなった私は毎日のようにペヤングを食した。買ってきたばかりのペヤングを地べたに立て膝で喰うこともあれば、部屋でウロウロと歩きながら食べたこともあるし、調理した台所で立ったまま一気に掻き込むこともあった。テーブルについて食べたことは皆無だった。

 行儀が悪いというのは百も承知だが、ペヤングのようなインスタント食品はこの食べ方が一番美味しいと思う。インスタント麺を調理する際に発生する麺、ソースの香気によって最大限にまで昂められたあなたの餓(かつ)えを満足させるのに、いちいち別皿に盛り、テーブルに掛けるなどというまどろっこしい手続きをとる必要などあろうか。即席麺(インスタント)とはよく言ったもので私たちの食欲も即座に満たされるべきで、出来たそばから掻き込むのが作法というものだろう。そう、これは作法なのだ。フランス料理にはフランス料理の、和食には和食の作法があるように、ジャンクにはジャンクの作法があってしかるべきだ。
 隣人、家人が寝静まった深夜深更に家に帰り、酒の酔いも醒めぬまま深夜のテレビショッピングをBGMにして即席麺を台所で頬張るのは、即席麺を一番美味しくいただくシチュエーションのひとつである。できれば、体に良くないものを食べているという後ろめたさを感じながら、背中を心持ち丸め、その背徳感までも調味料にしてふりかけ、心ゆくまで愉しんでもらいたい。

 そんなふうにしてペヤングを食べ続けるうち、理由もなく無気力になっている自分がいることに気づいた。体調もなんだかすぐれなかった。夢遊病者のように虚ろな意識のままコンビニにへと行き、ペヤングを買い求める。そしてコンビニに出てハッと我にかえる。「アレッ、なんで俺ペヤング買ってんだろう。まっ、うめえからいいじゃん。細けえことは気にすんな。エビシンゴナビーオーライ。オホホ。」
 いつしか私の部屋は、ペヤングの空き殼と焼きそばソースの匂いでいっぱいになった。服からはいつもペヤングの匂いがしたし、顔はペヤングのように角張り、青白くなった。ペヤングを食べられなかった日は、今度いつペヤングが食べられるだろう、と胸算用した。食品棚に堆(うずたか)く積み上がったペヤングの山を眺めては安堵して眠りにつく日々。ペヤングを食べはじめた最初の三週間は無上の悦びを感じ、その三週間後には無上の安心感を、更に三週間後には無上の悲しみを覚え、見ただけで吐き気を催したほどだ。しかし、しばらくするとまた無性にペヤングが食べたくなってくる。そうして何日かぶりに食べるペヤングは、他の食べ物のように、多様で豊かな味のグラデーションで味覚を楽しませ、胃袋を満たし五臓六腑に滋養が沁みわたるというやり方ではなく、そのどぎつい味つけで、過剰な快楽と安心感を私の脳味噌に直接伝達する。「やっばいなー、ペヤング、ジャンクフードとは言い得て妙だな。だって病的においしすぎるんだよ。」と私は思ったりもし、また、これほどペヤングにアディクトしているのは、居酒屋の男が本物の呪術師で、私にペヤングの呪いをかけたからではないかと本気で考えたりもしたのだった。

 こんなものが心身にいいわけがない。この危険な魔力から身を守るため私は一計を案じた。そして私は、ペヤングを食べることを儀式化して、日常から区別することにした。つまり、ペヤングを食べることをイベントに参加するようにして楽しむのだ。堕落、中毒、悪徳は意識されない。それはまるで空気のように遍在して私たちを取り巻き、気がつくとその渦中にいる。そのときにはもう手遅れだ。私たちはそいつにどっぷりと首まで浸かっている。
 そこで儀式という仮初めの空間を仮構してみる。途端にそこに遊戯性と厳粛性をともなった両義的な空間が現れる。儀式とは通俗性の只中で、通俗性へと堕しないための優雅なる抵抗である。この限定された空間で、受動的な欲望を、正道から逸脱した放埒を手懐け享受する。もちろん供儀(くぎ)という名のチケットは必要だ。何を差し出そう?私は健康と後悔を捧げよう。

 現在の私は、ペヤングを年に一回、多くても二回しか食さなくなった。健康という名の幻想のバビロンに囚われた私は、ペヤングをはじめとするジャンクフード一切を、以前のように恣(ほしいまま)に食べることを自らに固く禁じた。
 年に一回ないし二回訪れるペヤングとの邂逅は、まさに至福のひとときである。ペヤングを食べる日は、有名店を予約するようにして何日も前に決め、当日私は心躍らせながらコンビニにペヤングを買い求めに行く。
 これは儀式であるので当然それに相応しい服装が求められる。これは私の完全なる造語だが「コンビニ服」に身を包んでコンビニに行く。どんな服装が「コンビニ服」を指すのかといえば、部屋着ほどゆるくはなく、かといって外で人と会うには不適格な服装のことを指す。私は、何年も着てヨレヨレになったネルシャツあるいはパーカーを着て、臀部に「wrangler 」と刻印されたパッチが縫い付けられているジーンズ、ダンロップの運動靴を履いてヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「シスターレイ」を脳内で爆音で流しながら近所のコンビニへと向かう。
 儀式に参加した者なら誰しもが感じるであろう選ばれし者の恍惚感に包まれた私は、コンビニの扉を期待に胸膨らませて入店する。その心持ちは数週間前から予約した鮨屋、はたまたフランス料理店なぞを、アレキサンダー・マックイーンのジャケットを羽織り、コム・デ・ギャルソン・オム・プリュスのパンツにマルタン・マルジェラのスニーカーを履いて颯爽と店の敷居を跨ぐときの気分と寸分も違(たが)わない。例の殺し屋の足取りで、陳列された品物を物色したり、商品ラックからペヤングを選んだり、商品の代金を支払うといった一連の散文的なプロセスは、儀式によって詩的に昇華され、私はそれを隅々まで明瞭に意識して享受する。
 家に帰り着くと、未開民族の秘儀のようにしてたっぷりの湯を沸かし、その煮えたぎった湯を慎重に容器に降り注ぐ。しかるべき時間、永遠とも思える180秒、それは私のパルスが213回打つのと等しい数なのだが、それはまた、私たち人類が空間の概念を応用して過去、現在、未来と任意に分割したり、まるで金銭を勘定するようにして足したり引いたり計画したり投機したりなどして捉えた気でいる「永遠の今」のイリュージョンたる「時間」、私たち人類が「永遠の今」の中に賢(さか)しらな思い上がりででっち上げた概念=「時間」=180秒でもあるのだが、そいつをなんとかやりすごし、湯を切り、付属のソース、胡椒、青のりの順に容器に投入してかき混ぜる。炊きたての米や、新蕎麦のほのかなやさしい香りとは対極の、毒々しい情緒もなにもあったものではないデジタルなソースの匂いが、鼻腔を暴力的に突き刺す。そうやって出来上がったばかりのペヤングを私は、台所で立ったまま全身を味蕾(みらい)にして夢中でかき込む。熱気で咳き込むのもこの際一興だろう。私は目の前のペヤングのことだけしか見ず、感じず、動物と化す。サバンナで獲物の肉を喰う獅子もきっと今の私のような気持ちなんだろう。情緒ゼロ。趣ゼロ。新学期操行ゼロ。そしてものの五分足らずでペヤングを平らげてしまう。呆気ないものだ。目の前には、底に茶色のソースや野菜屑が点々と散らばった薄汚れた空き殼があるだけだ。その空き殼の空洞は、そのままペヤング型の私の心の空虚さそのものとなり少しだけ心が夕焼けになるが大丈夫だ。また一年後に会おうぜ。そしてまた私は、健康という名のバビロンへと鎖を繋がれに戻るのだった。

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