2024年 秋のトマム旅行(1日目の前半)
はじめに
今年の6月に続いてのトマムですが、9月29日(日)と30日(月)に行って来ました。もちろん、せっかくの北海道ですので周辺の土地も回りました。
「たった一泊だけど、濃厚な二日間だったね」と妻も言ってくれた旅行になりました。
1.前日まで
"無職" あるいは "家事手伝い"(還暦間近で) となって、はや3カ月が経過します。妻によくボヤくのですが、「毎日が日曜日」なんてとんでもない、一日いちにちが忙しくて時間の大事さがわかる、という日々を過ごしています。
旅行出発の前日も創業スクールでビジネスプランについてみっちりと仕込まれ、30余名の仲間達と切磋琢磨してきました。
自宅があるのは終着駅の近くなので、電車内は座れて助かりますが、それでもヘトヘトになって駅前に出たら妻が車で迎えに来てくれてました。
旅行の荷物は、大半は準備ができていましたので(一泊旅行の気楽さです!)、洗濯とスマホ充電をしたら早々に床に就きました。
2.出発
疲れも手伝って熟睡して、3時前には起床しました。
洗濯物を室内に干して、簡単な掃除をして、水筒用のお茶を煮だしたところで4時頃となり、妻を自家用車の助手席に乗せてセントレアに向いました。
新東名高速道路に入るところの掲示板に、工事による岡崎付近での通行止め情報が出ていましたが、東名高速の側のようで新東名は滞りなく走行できました。走り慣れた道なので、5時過ぎにはセントレアの駐車場に到着し、5時30分からチェックイン、セキュリティーゲートをくぐり2番搭乗口の前で7時のフライトを待ちました。
Peachには珍しく、定刻になっても搭乗口に現れない乗客がいたようで、5分ほどドアが閉まるのが遅れましたが、その後は特に問題なく飛行してくれました。天候の影響で結構揺れた時もあったようですが、私は夢うつつだったのであまり覚えていません。
3.到着
新千歳空港の到着は定刻より20分早いとのアナウンスが着陸前にあり、空港の誘導路で飛行機が停止して少し待たされました。5分遅れで出発して20分早く到着とは、パイロットはスピード違反並みの飛ばし方だったのかと思いましたが、とにかく無事に着いて何よりです。
預かり荷物を受け取って、空港の玄関を左に折れてレンタカー会社の送迎乗り場でワンズレンタカーのバスを待ちました。9時30分頃には手続きも終えてドライブ開始となりました。車はトヨタのパッソでした。
正直…アクセルを踏んでもあまり力が出ないようで、ハンドルもユルユルで、今いちな感想を持ちました。コンパクトサイズのレンタカーに文句を言ってもしょうがないのですが…。
いつかは、自分の車で北海道を走ってみたいと強く思いました。
4.中札内の美術村
最初の目的地は、帯広市の近くにある中札内村の美術村です。新千歳空港からは160Km、道東自動車道を使って2時間くらいのドライブでした。
今年6月の旅行で、"六花の森"には行けたのですが、時間の関係で、すぐ近くの"美術村"は諦めていました。今回はそのリベンジです。
パッソのナビでは「中札内美術村」や「美術村」がヒットしなかったので、住所を入力してなんとか辿りつけました。う~ん、トヨタだなぁと根拠なく思う私はスズキの愛好者です。
駐車場のすぐ側に、防風林で護られた芝生に親子連れと思われる方々が遊んでいました。来たすぐ先から心洗われる風景に、すっかりやられてしまいます。「受付はどっち?」と妻に尋ねると、入場無料なのでどこから入ってもいいんだよと、教えられました。
妻は、帯広在住の時に来たことがあるそうです。
気が付いたら木片を並べた歩道を歩いていました。
ところどころに頭が"く"の字に曲がった釘が残っている木もあり、ちょっと気になりました。
雑木林の中にそれぞれの画家の美術館があり、名前のとおり「村」を成していました。相原求一朗美術館は、昭和初期の銭湯を移築したそうで、確かにここに湯船があったのでは?と思える広間に、絵が展示されてました。
この美術村は六花亭が支援しているのですが、やはり六花亭と縁の深い「サイロ」という児童の詩集に表紙絵を描いていた真野正美(坂本直行の跡を継いだとのことです)の美術館もありました。そこで、リッチランドというサイロの形をしたサブレを頂いたのですが、個包装の表に子供の詩が書かれていました。
六花亭の芸術や来訪者への真摯な思いに、深く感じ入りました。
5.寄り道
駐車場に戻り、あとはトマムを目指すだけだったのですが、妻にお願いしてちょっと寄り道をしました。すぐ近くの、旧広尾線 ”幸福駅”です。
2017年の旅行で行っており、何を今更という感じなのですが、どうしても確認したいことがあったのです。
美術村のシラカバ並木を縫っていた木道なのですが、所々に打ち込まれていた太い釘は、鉄道のレールと枕木とを固定する釘(犬釘)ではないかと思ったのです。おいそれと、それを確かめることはできませんが、幸福駅に広尾線の廃線跡があるのは知っていましたので、じっくりと見ることができました。後でネットで調べたのですが、美術村の木道そのものが広尾線の枕木を使っているそうです。
謎が解けたので、安心してトマムへ向かいました。
6.トマムへ(次の稿に続きます)
トマムの宿泊でも、とても濃い体験ができました。
それをこの投稿で書き続けると字数が多くなってしまいますので、稿を改めて報告させてもらえたらと思います。
少し、お待ち下さい。