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私についた、あなたの足跡

プリングルスのサワークリーム味を食べながら、色々な人の色々な記事を読む。積み読になっている本にも手が伸びる。

そんな有意義な午後に限って、どうでもいい人間から電話がかかってきたりする。同じ中学を卒業しているからという理由で私を後輩と呼ぶ人間だ。
大人になってから出会った人間が「どこ中?一緒じゃん!じゃあ後輩だね!」なんて理解に苦しむ。
同郷なのは認めよう。後輩であることも百歩譲って認めるとして、今もなお後輩と類されるのはどうにも腑に落ちない。
つまり、私はこの人が得意ではないのだ。

この人の声のする携帯電話をキッチンのテーブルに置き、私はコーヒーを淹れる。感覚はラジオだ。つまらないけど、喋らせるだけ放置して、気持ちよくなったら勝手に終わるラジオだと思わないとやりきれない。
そんなラジオから、ある一言が聞こえてきた。
面と向かって否定するのは余りにも面倒くさいので、「ごめん、洗い物するから切るね」と終話ボタンを押し、こうしてノートに吐き出している。


『他人がどう思うかに気を遣うのを辞めたら生きやすくなった』

40歳にもなると、色々捨てるのが簡単になってきて、捨てて得た気付きというのがたくさんあるだろう。殆ど全ての人間が、気付きの言語化が進むのがこの年代なのかもしれない。

私はこの発言をする人間の人間性によっては、許せない。
他人と違うことが多く、妥協点を見出しながらも、なんとか生きてきた私を「都築さんって変わってるよね~」とか「都築ちゃん、変ww」と踏みにじってきた人種が「人と違うのを受け入れると人生は楽」とあたかもライフハックやら人生の真理のように大きな顔をして言う。

私の人生にはあなたに踏まれた跡がたくさんついている。

にも拘らず、踏みつけられる側に回ろうといけしゃあしゃあ、語るのだ。

彼女を想像すると、(イマジナリー彼女ではあるが)
多分今の彼女に許容できない行動をすると、それも「変だ」とか「変わってる」「普通じゃない」って言うのだろう。
そう、結局、自分の範囲より外のものを変だと踏みつける気持ちがあるにも関わらず、昔より受け入れられることをデカイ顔して言う。
過去の行いを棚上げしてドヤっている彼女を、私は「やっぱ嫌いだな」なんて思うのだ。


甘ったるいコーヒーをチビチビ飲みながら、chilll系ミュージックを流す。

人と同じが出来なかった私が、人と同じを目指すのを辞めたのは
彼女のような人間に「お前もようやくここまで来たか」と謎の師匠や仙人ムーブをカマす為だったのかもしれない。
やらんけど。

息子に怒ってしまっていた私が、親になった息子に「子育ては怒っちゃだめよ」なんて言ってたらおかしいだろう
元々人と違う自分を受け入れてる苦労人か
人の言うことに流されて人を傷付けておきながら、人の言うことに流されて個性とか言い出すタイプの2種類しかこの世にはいないのか
地獄だな

いやぁ、まぁ、これは私の願望と、センパイとやらへの単なる愚痴なので聞き流してくれると助かる



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