湯船
いつからだろう、毎日湯船に浸からなくなったのは。お風呂が好きで水が好きで、こんなことなら羊水に居りゃよかったなと思うくらいだったのに今は2日に1回浸かれば多い方だ。
休みの日は、休みを感じるためだけに朝から風呂に浸かる。実家は戸建てで、風呂場に小さな窓があった。そこから入る陽の光が好きだった。
シャワーだけで済ませるというのを覚えてから湯船に浸かる機会が減った。大人になったということかもしれない。
時間がないわけではない。スマホも本もコーヒーもビールだって風呂場に持ち込めるのだから時間がないというのは理由にならない。居間でできる運動以外の大抵のことは風呂場でできる。
なんとなくもったいない気がするというのが一つの理由な気はする。一人で一回分の風呂を使うというのがなんとなくもったいない。
もったいない。はたして何がもったいないのか。おそらく性格的に、なんとなく水がもったいないのだ。金額とかではない。物質量としてたった一人で一回分の風呂水を使い、上がるときに捨てる。これがもったいなく感じる。
だからなんだという話だ。自分を労ったっていいじゃないか。これが癒しになるのなら、なんら問題はない。
歳をとるとなかなか癒されるものというのが無い。好きなものと触れ合う時間というものがない。そうした中でお金をかけてでも自分で自分の機嫌を取るというのはとても意義のあることではないだろうか。
だから風呂はもったいなくない。そう言い聞かせて風呂に入ろう。
最近、温素という入浴剤にハマっている。温泉とまでは言わないが、ホテルの大浴場の気分を味わえる。少しぬるっとした湯質がちょっと贅沢な気分にしてくれる。
3種あるが琥珀の湯が好きだ。というかこれしか使っていない。ほんの少し他の入浴剤より高いが数十円くらい贅沢したっていいはずだ。
毎日湯船に浸かれば機嫌も良くなって体調も良くなるだろうなあと思ったりもするが、大体考え込んでしまうので手放しで良いこととは言えない面がある。
頭を働かせすぎるのは良くない。考えすぎない生活がしたい。この辺はお酒を飲まないとうまくいかず、結局は眠るしか逃れる方法がない。
早く眠るのがいいんだろうが、自由時間が惜しい。
どうにかして仕事を辞めてもう少しゆったりとした生活がしたい。
それこそ、毎日朝晩湯船に浸かれるような。
ああ、風呂から出たくない。
しかし風呂の方がそれを許してくれない。
最初はあたたかいくせに、コロッと態度を変えてしまう。
飽きられるのか、最後には冷たくされてしまう。
なんだ、今までの女と一緒じゃないか。
こっちがどれだけ頑張ったって変わらないのは知っている。
お前の心はもうここには無いもんな。
わかったよ、出るよ。お前も出ていけよ。
そこに留めていた栓を抜くと、今まで黙ってそこに居たのが嘘のように勢いよく出ていった。
空っぽになっていくのを見ながら、やっぱり少し惜しい気がした。
もうなくなってしまったけれど、香りも温もりも、まだ私の体に残っている。