親から5万もらった。
姉の一周忌のため帰省した。
姉に対して何の思いもなく、死んでからも何も変わらず過ごしてきた身としては気が進まなかった。面倒くささの方が勝った。
「出ないとダメか」と聞いたが「出てほしい」と頼まれ、断り切れずに参列した。
宗教だの神様だの魂だのっていうものを信仰しているわけでも無いので、毎年死体に対して祈りをささげる行為の意味なんて理解できない。死体を燃やして骨にして、それを詰めた壺に対して祈る。魚の骨と変わらないとまでは言わないが、もう死体とも呼べないものにどんな感情を抱けと言うんだ。
坊さんのお経にも興味はないし、興味が無いと尚のこと何を言っているか理解できない。もにょもにょもにょもにょ大きな声で、学芸会でも見ている気分。それを45分程聞かされる。お焼香のやり方も知らず、適当に2回ふりかけるだけ。何度も経験しながらその意味も知らず、知りたいとも思わない。あんなのに10万近くの金を払うのは何の意味があるんだろう。
親に付き添って参加することがなくなれば、葬式というものに参加もし無くなるだろうなと思った。悪いが親の葬式はやらないと思う。電話一本で火葬して墓に入れといてくれないだろうか。
式が終わり、姉の夫と姪と夫の親と、うちの両親と6人で飯を食いに行った。特に話すこともないので淡々と食った。
特に姪が嫌いだ。元々子供が好きじゃない。それなのに3,4回会っただけの子供に優しくしろと言われる意味が分からない。葬儀の時はうるさくされると進行の妨げになるから面倒を見たが興味など持てない。なるべく避けるようにして過ごした。
姉が生きている間は姉がいるから帰りたくなかった地元が、姪がいるから帰りたくない地元になった。
ひと段落して実家に戻り支度を済ませ、さあ帰ろうかとなった時に母が5万円を渡してきた。いらないと伝えると、「いいから。あげるつもりだったから。」と渡された。何度もいらないと言ったが無理に渡してくるので面倒くさくなって受け取った。
ものすごく気持ち悪いと思った。
高校卒業まで1円も小遣いはなかった。通いたくなかった大学時代の仕送りは月に4万円だった。他に小遣いを渡されるという慣習はない。
結婚して子供がいて、子連れで帰省したときに孫に小遣いなりプレゼントを買ってあげるというならまだわかる。だがそうじゃない。独身で帰省し、姉の1周忌に出席して、金を渡された。
たとえば姉が生きていたらどうだろうか。姉が死ななかったらもらえなかったお金じゃないだろうか。
行き場の無い、子供に何かしてあげたい。何かをすることで親としての役目を果たしていますよという自己満足を得るために捌け口とされているように思えてならない。
そしてこれは、こいつなら捌け口として使ったところで文句言わないだろうという考えが前提にあると思う。
「許してあげなきゃいけない」「受け入れてあげなきゃいけない」ことの数が多すぎる。こんな人間が「好きなこと」や「やりたいこと」を見つけられるはずが無い。
「何かをしたい」「何かが好きだ」っていう気持ちが失われている原因だと思う。強制的に抜き取られているんだよ。気遣って犠牲になることが癖になっている。
金を渡されたことで、自分がどういう扱いをされているのかが改めて見えた。
金に色はない。けれども渡される行為に対しての嫌悪はあった。
思えば親と話すときも親のことを患者だと思って接している。そこまで深く興味はないからただ何となく話を合わせて時間を潰した。帰省も式への参加も、仕事と大した変わらない。出張と同じだ。
交通費込みの日当として受け取ったことにして落ち着かせることにした。