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20個の梅干しも21個の梅干しも同じという考え

1人殺すのも2人殺すのも…は違う。母数が少ないし単純に倍になってる。20くらいあると21になってもあんまり気づかない。正直財布の中に千円札が何枚もあったとして7枚だったか8枚だったかを把握できる自信はないので、そもそも20もいらないのかもしれない。

あー嫌なことがあったなあ、嫌だなああれ。思い出したくないなあみたいなことが今までの人生多々ある。思い出して嫌なこともあれば今やっていて嫌なこともある。こういうときは「まあ今さら1つくらい増えても変わらん」と考えて逃げることにしている。
失敗なんて山ほどある。嫌なことなんていっぱい抱えてる。向き合いたくないことばっか。だからと言って、もう後悔したくない、よし後悔しない人生を歩むぞとはならない。ならないというか、できない。どうせどっかで失敗して、どうせどっかで嫌な思いをする。皮肉なことに今までの人生がエビデンスだ。私の丸メガネのフチが片方四角くなりそうだ。

なので未来に構えたり、はたまた憂いたりというのはする必要が無い。失敗が多い人生で恥の多い人生を歩んできた人こそ覚悟を決めるべきだ。どうせミスると。どうせミスるんだよあなたは。どんだけ準備しようと、どんだけ心配して身構えようと絶対にミスる。嫌な思いも後悔もする。絶対に。
なんなら周りが大成功だね、うまくいったねと褒めたたえたところで、あんときミスったなあって思い返すし、こんなことしなきゃよかったなあって思う。たとえ肖像画を額に入れられて飾られたり街に銅像が建てられたとしても、それを見る度恥ずかしくなってあんなことしなければよかったと思う。

これからやること全てが、未来から見たらやらなければよかったことだらけだ。未来の自分が成長しているとすると、今の自分ができないことばっかだって格好良く言えるけれどそういう意味ではなく、未来の自分はどうせ大した成長なんてしていないし、未来から見たらなんなら過去の今の自分の方が良く見えることだってある。
知らなければよかったなあということばかり知り、気づかなければなあってことばかり気づく。そういう生き方しかできない。エビデンス通りだ。エビデンス通りだというエビデンスはありますか?そろそろ逆側のフチも四角くなりそうです。

母数をどんと増やすことのメリットとして、あんま気にしなくて良くなるっていうのがある。大きな海を見たらもうどうでも良くなるというファンタジーに落とし込んでもいいし、ここまで禿げたらもういいかとスキンヘッドにしてしまうのもいい。大切なのはマイノリティであろうと意地を張るんじゃなく、シェアの大きい方に身をゆだねるということだ。マジョリティに対してマイノリティであろうとするのは気持ちいい部分もあるけど、それを格好いいなと評価してくれる人がいて初めて成り立つこと。ましてや自分の中だけのことなら、少数派の私かっこいい!ってやったところで大した気持ちよさはないはずなので、早めに軍門に降ってしまった方がいい。少数派であろうとする努力ではなく、多数派であることに慣れる努力をした方がいい。

とかいうのをクリエイターが言っちゃダメなんだよな。大衆の意図に答えるとか一番気持ち悪いんだから。誰かが欲しがるものを出すのはクリエイターとかアーティストの類がやっちゃいけないことだよね。クリエイターは病んでなんぼだし、終わりのない内省に強烈な外部刺激を与えることで爆発的に何かが生まれるもんだと思うし。計算し尽くされたユーモアは計算し尽くされたユーモアの域は出られない。

じゃあどうすんの、どっちにいんの。うーん、クリエイティブな心は持っていたいし生き方はあくまでアーティストなつもりで、ユーモア全振りの生き方をするけども、疲れたときは多数派のプールで泳ぐことにするよ。すいません、シマシマの浮き輪借りれます?あの紫と黄色の。

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