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なりふりかまわず

飛び込めるタイミングなんて限られている。その時に爆発的な熱量があるかどうかだ。飛び込んだ勢いそのままどこまで行けるか、ゴールまでそのまま行ける時もあれば、途中で再噴射が必要な時もある。宇宙船のごとく体の一部を切り離しながらそれでもなお目標に近づこうとする。必要なのは熱量だ。
どこかで制限をかけないと壊れるタイプで、周りの人と関りを持つことでそれができていた。周りに合わせることで自分を守れていた。一度ハマるとどこまでも続けてしまう性質は良い側面ばかりではなかった。孤独になった今、やりたいことが溢れてきて次から次へと手を付けている。全部が中途半端になってもいいから全部がほしくて手を出した。あっちも学びこっちも取り入れ、できることが増えているかはわからないけど知識と消化した活字量は増えている。何が出来るようになるかは見えない。意味もなく教科書のページ数まで覚えていたあの頃に似ている。今の自分に没頭している。

そう、私の興味を持っている対象が結局のところ自分だ。自分が好きで自分の考えが好きで自分の生き方が好きで。どうやったら喜び、どうなったら機嫌が良くなるのかということばかりに注目がいく。自分が相手を喜ばせられたら気持ちいいだろうなと考えて相手を喜ばせる方法を考える。
あれだけ否定し続けてきた自分を一度受け入れたら、反動で自分にしか興味が無くなっている。いかに自分が、単独で幸福を得るか。それだけに注力している。

こんな話を友人にしたら「やっとか」と言われた。「普通みんなそうなんだよ」って。普通はそこまで自分を否定せず、何が楽しいのかな何が嫌かなって考えるもんだって。それが長年出来ていなかった。身をもって「自分を大切にする」という意味を知った。自分を大切にして、自己主義で、自分を尊重する。もっと矢印を自分に向けて良い。自分はどうなんだという疑問を自分に投げていい。自分の人生を豊かにすることに注力していれば、周りにもそのための人たちが集まってくる。そうじゃない人たちは自然と離れていく。それでいいじゃないか。無理に相手に寄せるんじゃなく、自分に合う人だけが残ればいい。こいつ面白いなと思う人が近くにいれば、家族でも恋人でも友達でも同僚でも、名称はなんでもいいじゃないか。

今は気になったことに没頭できるチャンス。やっと巡ってきたチャンスだと思っている。これを成果につなげようだとかお金を産もうとか、そういう考えは二の次で、まずやりたいことをやりたいだけやってみようと思う。
求人の募集が無くなることは無い。どんな仕事でも良いのならいつの時代だって募集はある。お金のことはお金が無くなってから考えればいい。
今調べている分野で、胸を張って親に言えないようなこともある。社会的にやり方がグレーな側面が強いものだったり、アダルト産業関連なものだったり。でもじゃあ親が何かしてくれるのか、周りが何かしてくれるのかというとそんなこともない。だったら面白そうなことに手を出してみて、あれもそれも経験したことがある話し手として生きていった方が楽しいじゃない。目を細めてくる人を気にするんじゃなく、目を輝かせてくれる人を大切にする。これでいいんじゃないかなと思っている。

ダメだと言っていいのは自分だけ。自分の中で許せないものは各々が各々だけの基準で持っている。私の場合はそれがパワハラとモラハラ。人が虐げられて病む姿は見たくないし、無視とか裏でクスクスするようなイジメも関わりたくない。人を殺したり金を盗んだりも法律に触れるやり方ならよくないな、法律の中にいたいなとは思うからやらないけれど、必要が出てきたらダメって言わない気がする。
迷ったら自分に聞いてみる。「これやっちゃダメかな?」って。そこでダメだと言われなければなんでもやっていいと思う。基準は自分だけでいい。
私の場合は今のところ「面白そうじゃん、やってみれば?ミスったら一緒に謝っちゃるよ。」と言ってもらえてる。危ない方とかリスクが多い方にばかり賛同してくるのがちょっと信用ならないとこだけども。


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