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自分に根ざした、自分らしさ --- 後編

「こんな英語じゃ、恥ずかしい。」「これやったら、笑われそう?」わりと、こんな風に思ってしまう事って、普通にあるんです。でも現実は、自分が感じているほど、自分は変じゃないし、カッコ悪くもない。

大まか実践3法
1. 言葉が出なければ、単語でもOK <-- 習慣化され、心地良くなってくる
2. 「変?」とは思われていない <-- 例え思われたとして、それがどうした?
3. 細部にこだわらず、臨機応変に行動するが吉 <-- いい加減で結構

これは、前編で書いた、海外での新生活を、楽にこなす為のマインドセットを作る方法です。簡単かつ直ぐに実践できます。しかも、何も要らず、もちろんお金も掛かりません。

1. 言葉が出なければ、単語でもOK
私はF.I.T. (Fashion Institute of Technology, State University of New York)の食事プラン付き(有料)学生寮に入りました。食事は、基本的に大学構内のカフェテリアで食べてました。
ある日、テーブルに座って食べ始めて、胡椒が欲しいと思って見渡すと、Salt & pepper が隣のテーブルにあって、その前には5〜6人の学生のグループがワイワイと賑やかに食べていました。

私は、"could you please pass me the pepper?"いや、これはちょっとバカ丁寧すぎるな。"Please pass me the pepper?" こっちの方がいいかな?などと、頭の中で考えてました。
すると、後ろの席にいた別の生徒達のひとりが、”Hey! Salt!" (ちょっと、塩!)みたいにぶっきらぼうに言って、手を伸ばしました。そしたら、その5〜6人の学生達の中にいた女の子が、”Excuse me?! Salt, PLEASE!!" 「ちょっと、失礼ね。お塩、お・願・い・し・ま・す。でしょ!」と言って、笑いながら塩の入れ物を渡していました。
その後、”We have a mom here!" 「お母さん登場!」みたいに誰かが言って、みんなでゲラゲラ笑っていました。

その時、頭の中で、文法をこねくり回して、文章を完成させてから喋ろうとしている自分が、滑稽に思われたんです。
ニューヨークという、少し他とは違った、雰囲気のせいもあるかもしれませんが、アメリカ人は外国人の喋る英語に対して、寛大ですし、逆にそう言った事で、外国人を公の場でからかったり、辱めたりする事は、最低で愚かな事と考えられています。

慣れてくれば、自ずと反射的に英語で考え、それが実際に口から出てきます。人によって個人差はあります。でも、言語とはそんなものです。自然と、喋る事に心地よさを感じてきます。とにかく、より多く喋って、聞く。を、ひたすら繰り返す事です。だから、最初は正しい文章になっていなくても、単語を並べるだけでも良いのです。大事な事は、一生懸命に、communicationを取ろうとしている事を、相手に表現する事です。相手の目を見て、口元を見て、会話をする。何も自分の英語に対して、劣等感を持つ必要はありません。

2. 「変?」とは思われていない
学生寮で洗濯をしていた時の事、"What are those bags for?" 洗濯機から、衣類の入っている洗濯袋を、つぎ次と、取り出している私に質問が来ました。"Laundry bags to protect clothes." どうも、この洗濯袋なる物を初めて見たらしく、結構不思議そうに見ていました。

彼女は、乾燥機から終了した洗濯物を取り出していました。どんどん取り出しては、大きな袋に詰め込んでいました。ブラも下着も、何もかも一緒だったので、思わず、「ぎょえ!ブラも乾燥機に入れるのか!」と、心の中で、反応してしまいました。

私は、日本から小さな洗濯物干しを持ってきていて、下着類や、その他デリケートなものは、それに留めて、部屋に干していました。吊るすところがないので、タオルで目隠しをして、勉強机の端っこにぶら下げていました。

元、日本人の専業主婦としては、やはり家事一般にはこだわるわけで。学生寮の自分の部屋も、土足厳禁にして、段ボール箱を広げ、床に敷き詰めて、その上にシーツを敷いていました。部屋に訪ねてくる寮の子達が、いちいち質問してきたのが、最初の頃は、何となく煩わしかったです。「そんなにこういう日本人のやる事、珍しいのかな・・・?」確かに、自分のクラスにも、日本人一人もいないし、この学生寮でも見かけないな。と、思いつつ、なんだか、こういう日本では日常普通にやってる事をここでやってる事が、気恥ずかしく思えてきました。

これがまさに生活習慣の違いであり、異文化を持つ者同士の共同生活なわけです。寮の部屋で、納豆を食べれたのかどうか、もう昔の事で忘れてしまったけれど、「面白い」とか、時には、"cool!"などと、興味深く思われても、「変なの」と、見られている事は、まずありません。一般的に、外国人は日本の文化に興味があるし、説明すると、ホントに熱心に聞いてくれることが多かったです。(これは、かなり時間が経って、慣れてきてからの話です。)

例え、「変だ」とか、多少異様に見られたとしても、全然気にする事はありません。所詮、異国の人たちですから。理解を示さない人に、反応をしても無駄な訳です。

3. 細部にこだわらず、臨機応変に行動するが吉
Fashion Designを専攻していたので、毎回授業では、沢山の道具を使っていました。
大きな生地を広げて、裁断したり、机の横で、マネキンに生地をピンで止めたり。パターンのクラスでは、バシバシ紙を切ったり、貼り付けたり。教授の講義が終われば、作業開始となり、教室内は、結構凄まじかったです。
クラスの中には、周囲を気にせず、ひたすら自分の制作に没頭するタイプの生徒が2〜3人いました。

紙は広げるだけ広げる。使ってる道具は、人の物でも、知っているのか、気づかないのか、目につけば勝手に使って、そのまま自分の手元に置いたまま。裁断した生地の切れ端は、全部自分の作業範囲から押し出して、でも本人は全然知らん顔。

私は、非常に几帳面な性格だったので、作業しながらも、全ての道具や、机周りがきちんとしていないと、とても落ち着かない感じでした。道具を貸してと言われて、いいよって言ったら、全然帰ってこないし、気がついたら、自分のパターンペーパー、間違えて勝手に使われてたり。こういう、しっちゃかめっちゃかな状態が、ひどく苦手なタイプだったんです。

ある気付き
ある時、ふと自分の制作スピードがとても遅いと気付き、「これはいかん!」って、焦りました。今まで、裁断した生地や紙の切れ端は、一定の所において、後で分別するみたいにしていたのを、切った先から、全部床に落として、踏んだりして滑らない様に、足で机の下に蹴飛ばしてみたんです。(実は、教授も教えながらそうしてた。)

なんだか、すっごく気持ちよくなって、ガンガンとスピードに乗り始めて、作業が捗って行く様になったんです。

これは、ホントに取るに足りない、些細なことです。でも、こんな自分も居たんだって思って、今まで気づかなかった「自分らしさ」を発見した事が嬉しかったです。それから、私の性格に、どんどん新しい一面が出てきて、帰国の度に、実の両親でさえ驚くほどでした。

「考え方を変えてみる」
よく、性質は変わらないけれど、性格は変わる、と言います。(いや、性格は変わらないよ、という方も居て、それはそれで良いです。)これは「考え方を変えてみる」と、いうことではないのかな、と思ったりします。

日本人らしさを失いたくない。それは今でも思います。でも、180度違う環境に自分を置いた時、自分自身を改善して、自らを開発して行くことはあって当然だと思います。どんなに変わった様に見えても、又変わったのだとしても、これも又、「自分」という深い根っこの部分に根ざした「自分らしさ」なんです。何故なら、私自身が変化した自分を心地よく思っているから。




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