大学と直談判 - New York の大学入学許可が来ない・・・
連絡無しの日々
既に、指定されたデザイン画も、ニューヨークに送り、書類も全て提出した。大学からは、なんの連絡も来ない。やっぱり不合格なのかな?それならそれで、連絡があるはずだし・・・。
これは、離婚後3年半ほどして、アメリカ留学を決意してから2年弱、経過した頃の話。
ニューヨークのマンハッタン島内にある、F.I.T. (Fashion Institute of Technology / State University of New York = ニューヨーク州立ファッション工科大学)で、ファッション・デザインを勉強しようと決めて、TOEFLの必要点数も取り、大学入学申請に関する全ての事が終わったのが、96年の夏の始まる頃だった気がする。
当時、emailのシステムも、一般化されてなくて、最も早い連絡手段は電話。悲しいかな、もう夏休み真只中で、何度かかけた電話も、とってもらえず、たどたどしい英語の留守電に、折り返し国際電話なんて、返してくれるはずもなかった。
信じられないけれど、20年以上も前の、州立大学の事務のシステムなんて、こんなものだった。
New York に、行くしかない・・・
まだ、離婚後に就いた、秘書の仕事をしていたけれど、休暇を取るしかないと思った。でも、すごく怖かった。行ってどうするんだ?誰に会うんだ?
初めてF.I.T.の事を知った本に、実際に大学に、留学した経験のある人達で、構成されている、同窓会の連絡先が載っていて、以前にその集まりに行った事があった。
それを思い出して、その時に頂いた、何枚かの名刺の連絡先に、電話をして詳細を話すと、その中の一人の人が、今現在、日本人でF.I.T.で勉強している女性、Aさんを紹介してくれた。
何となく、運が開けてきた気になった。
着いた時は、既に感謝祭
私は、翌年の1月からの入学を、期待していたので、もう時間もあまりなかった。色々と準備やら、調べ事に、時間をかなり取られたけれど、ようやく直接大学に行って、事情を把握できると思った。
着いてみて、余りにも街中が、静まり返っていたのに驚き、どうしちゃったのか?と、動揺した。で、感謝祭であることに気付いて、納得した。昔から、どこかスコーンと抜けている所があった。未だにあるのですが・・・。
鏡の前で練習開始
気を取り直し、週明けに大学へ行く事にして、実際に大学に行ったら何と言うのかを、練習しようと思い、妙に大きな鏡の前に立った。
今思えば、Madison Square Park (5番街とブロードウェイが交差する、23丁目にある公園)の近くにある、おんぼろホテルに泊まっていた。
テレビをつけようと、スイッチを引っ張ったら、取れた。仮想通貨があふれる今の時代には、信じられない旧式モデルのテレビだと思う。
当たり前の門前払い
一度だけ、新入学生とその保護者向けの、説明会に参加する為に、F.I.T.には来ていたので、全くの不案内ではなかった。でも、心臓が飛び出すくらいに、バクバクしていて、緊張していた。
ビルに入り、受付で説明をした。外国人留学生の入学に関する、担当者は今いないから、わからないと言われた。いつなら、その担当者に会えるのかと聞くと、オフィスの中へ入っていき、訪ねている様子だったが、結局答えは一緒で、わからないと言われた。
未知の世界
とぼとぼホテルに帰った。考えてみれば、これがニューヨークで暮らす事の不便さを知る始まりだった。日本の様に、親切丁寧に、応対してくれる事が普通と思っていては、時々かなりのカルチャーショックを受ける。
翌日には、紹介されていた日本人の女性、A さんと、会う事になっていたので、そこに希望を繋いだ。
彼女のアパートに着くと、引越しの準備中だった。ボーイフレンドと一緒に住む事になったから、と言っていた。自分には、全くの未知の世界のことの様に聞こえた。
彼女の部屋にあった、ドレスフォームを見た時、「自分もいつか、こんな風に、ドレスフォームを置いた、アパートにひとり住まいをしたいな」と、思ったけれど、すぐに現実に引き戻されて、「まだ入学さえできるかどうか、わからないんだった。」そんな想いが、頭の中でぐるぐるしてた。
大学に日参する毎日
ありがたい事に、Aさんに事情を話すと、「この人に会って話してみて。」そう言って、一枚の名刺をくれた。その人物が、留学生担当学部長の、Mr. Pigeon だった。
Aさん自身も、入学する時にお世話になったと言っていた。
又、元気が戻って来ていた。
翌日、又大学に戻り、Mr. Pigeonに会いたいと言った。例の受付の女性に、約束は取ってあるのかと聞かれ、「無い」と答えると、ではダメだ。と言われた。
では、アポを取りたいと言うと、彼がいないから、彼の予定がわからないと言った。「はぁ〜?」いい加減、「ホントに、気が利かないのか、性格が悪いのか、どっちかだ。」とまで、思い始めた。
すると、オフィスの中から、男性が出てきて、「いつ来るのかがわからないのだけれど、今週一度は来るはずだ。」みたいなことを言ってくれた。オフィスの中にいる人達にも、Mr. Pigeonの予定を知っているのかを、聞いてくれている様だったけれど、誰も知らなそうだった。
それで、それから多分3日間ほど、大学に1日、2〜3回、毎日通ったと思う。やる事他にないし、大学入学許可をもらいに来たのだから、そうでなければ、帰れない。と、ひたすら自分を励ました。
留学生担当学部長に会う
その日が来た。大学にいつもの様に出かけた。もう既に顔馴染みになっていて、いつもの受付の女性が、私の顔を見ると、「ちょっと、待って。」と言って、オフィスの中に入っていった。
しばらくして、大柄で、眼鏡をかけた男性が笑顔で出てきた。Mr. Pigeonだった。もう、涙が出そうだった。
本当に感じの良い人で、(実際にそれから、卒業した後も、彼が定年するまで、何年間に渡り、連絡を取り合う事になった、本当に良い人だった)ニコニコ笑いながら、私の名前を呼び、自分の部屋に案内してくれた。
積み上がった郵便の中から、私の入学申請書類を取り出してきて、「ポートフォリオも確かに受け取っているよ。」と言った。
「問題はね、Associate degreeへの編入枠が、いっぱいで、来年の9月入学になるんだね。9月まで待てるかね?」
なんて事だ。せっかく、ここまでたどり着いて、定員いっぱいとは・・・。ダメだ。ここで待てると言ったらダメだ。3〜4秒くらい、頭の中がすごい勢いで計算処理をしてる様な感じで、思考回路を全開にしていた。
"NO I can't. I can't wait till the next September." ”I have to study now!" 9月までは待てないと、キッパリ言い切った。「今、勉強しないとダメなんです。」とは、我ながら、よく言ったものだ。
それを聞いてMr. Pigeonは、又色々と書類をめくり出して、「2年制のコースを1年で終わらせる、短期集中コースが、ファッション・デザインの学部にあるのだけれど、それならば1月入学が空いているよ。」
”I take it!" この短期集中コースがどれだけ凄まじいものになるとは、考えもしなかったけれど、こうして、私は学部長のMr. Pigeonと直接交渉をして、入学許可を手入れた。嬉しかった。
まとめ
こんな突拍子もない事を、時々してしまうのだけれど、よく言えば、行動力がある。悪く言えば、無鉄砲。
どちらにしても、人生生き抜くのに、邪魔にはならない気がする。
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