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自分に根ざした、自分らしさ --- 前編

外国で暮らすとなった時、自分は問題無く新しい環境に馴染めるのか?大抵の人は、多かれ少なかれ思うだろう。結論を言えば、何とかなる。
1997年1月、New Yorkでの大学生活が始まった。多分その1週間くらい前に、36歳になっていた記憶がある。離婚から5年経っていた。

2つにひとつのパターン
1. 自分らしさが思う存分発揮できて、大した抵抗無く、新生活が楽しめる
2. 自分らしさと、全く違った環境•文化•習慣が、上手く溶けあわずに悩む
大まかに、この2つのどちらかになると思う。勿論私は、2番。1番に当てはまる人達は、自然と順応性が活かされて、問題無くスルスルっと溶け込んでいくので、何も言う事はない。花丸。

十人10色
何においても、できる人から見れば、できない人は、もどかしく思えるもの。やるべき事をやっていない。間違った事をやっている。やり方が悪い。正しい意見だが、自分を無理矢理捻じ曲げれば、無理は来る。

つまり自分が納得していなければ、自分の脳は、健やかに反応しない。例えば、外国に行ったら、自分の言うべき事ははっきり言う。そんな事は今や、大抵の人が熟知している。生活第1日目から、皆んながその通りにできるはずが無い。だから、十人10色

Be Yourself - 自分らしさを尊ぶ
大切な事は、自分色を失わずに、いかに自分色にグラデーションをつけ、明暗を加えたりしながら、そこにピッタリと調和する配合色を見つけるか。それが、自分らしさを失わずに、という事になる。"Be yourself"

控えてこそ美しい、図々しいは醜いのか?
立体裁断の最初のクラスで、生徒全員が1学期中ずっと使う、自分のドレスフォームを選ぶ。教授の説明が終わるか否か、クラスメートは皆んな教室の後ろに並んでいた、ドレスフォームを物色し始めていた。いや、もう教授が喋っていた時から、目星を付けていたと思う。

その迫力に圧倒され、出遅れた自分が選んだドレスフォームは、かなり使い込まれて、ピンでだいぶ傷んだ場所もある様なものだった。たまたま、それが作られた年度が古すぎたので、ましなフォームに取り替えられた。

こういう選び合う(=取り合う)と言う状況は私にとっては、苦手、というより、あまり経験のない事。多分日本であれば、きちんと全生徒に公平に割り振られていると察する。

クラスの中の小動物
卒業後に、何人かのクラスメートで集まった時に、学生時代の思い出話をしていた。ある友人が、私の事を『いつもクラスの隅っこに、チョコンて座っていてハムスターみたいだった。』と言った。『小動物系かい?』彼女が冗談で言ったのは分かってたし、腹も立たなかったけれど、成る程そう見られていたか。と、納得した。

世代を越える
ドレスフォームに限らず、似通った経験は幾度もあった。私は、普通に高校を卒業して入学してきたクラスメートより、18歳年上で、ある時、極端な例だけれど、クラスメートのお母さんと、同じ年齢だと判明した事もあった。

でも、時間が経つにつれて、私のいわゆる『キャラ』が定着してきても、誰も私を、年上だから、という風に扱う事はなく、それはとても心地よかった。週末に、出かけるとなればいつも誘ってくれて、当たり前と言えばそれまでだけれど、只単純に、かつ純粋に『友人』や『クラスメート』として、自分を見てくれている事が嬉しかった。

きっとこの年齢差に関する違和感の無さは、20年以上経った、今現在の大学生活においても変わらないと思う。多くの留学体験談や、ブログでも、それは、語られている事と思う。

大まか実践3法
1. 言葉が出なければ、単語でもOK <-- 習慣化され、心地良くなってくる
2. 「変?」とは思われていない <-- 例え思われたとして、それがどうした?
3. 細部にこだわらず、臨機応変に行動するが吉 <-- いい加減で結構                                                            *後編へつづく

この辺で、前編を終了します。後編は、又、私の経験ですが、そこからどの様に『自分らしさ』を感じていったのか、など、綴ってみようと思います。お時間有れば、又お立ち寄り下さい。近日中に、できれば明日には、公開したいです。

お読み頂き、ありがとうございました。

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