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自己紹介② そばにいるのに寂しさが募っていく小学生時代

僕は、東京の練馬で生まれたのだが、小学校にあがると同時におじいちゃんの住む田舎に引っ越した。田舎といっても同じ東京都なのだが、自然豊かな東京都。舗装されてない道があり、川があり、林があり、野原があり、畑があり。夏になると牛小屋の糞の匂いが風にのって、離れていても鼻腔の奥を刺激する。練馬に比べたら田舎といえる東京都に引っ越しをした。

引っ越しの理由を直接両親から聞いたことは無いのだが、恐らくおじいちゃんの介護だろう。おじいちゃんは、僕の父親が子どもの頃に脳梗塞で倒れ、言葉がうまくしゃべれず、身体も活発に動かすことができない。歩いて買い物に行くくらいはできるのだが、それでも高齢で介護が必要になってきたから僕の父親が面倒をみることにしたんだと思う。

僕には今でも疑問に思っていることがある。父親は次男なのだ。そして、長男はおじいちゃんの家の隣に住んでいる。父親のお姉ちゃんも隣の市に住んでいて独身。父親の妹も車で5分くらいのところに彼氏と同棲中。おじいちゃんの介護をする人は、十分にいるように感じるのだが、なぜか僕の父親が面倒をみることになり、それにより母親の負担は、美容院経営、子育て、家事、介護と一気に増えた。なぜ、こんなにも母親に負担があるのか? 本当に今でも疑問でしかない。ともあれ、小学校がスタートすると同時に僕、父、母、生まれたばかりの5歳下の妹、おじいちゃんの生活がスタートした。

小学校にあがってから、僕はかなり身体が丈夫になってきた。田舎に引っ越してきたせいなのか、身体が成長してきたからなのかは分からないが、保育園の時ほど頻繁に寝込むこともなく、年に2,3回風邪をひくくらい。小学校1年生から6年生からスイミングスクールに通っていたのも、健康になった理由なのかもしれない。でも、僕には悩みがあった。僕は、身体が小さかったんだ。生まれたときの僕の体重は、2400グラムほど。そして、2月生まれ。4月生まれの友達からすると、約1年生まれてきたのが遅いし、もともと小さく生まれてきてる。ましてや、小学校にあがる前は、病気がちで家で遊んでばかり。身体が小さかった。背も低かった。僕は、中学校を卒業するまで背の順で前から5番目以降になったことがない。身体が小さく、ひ弱。周りからのそんな評価をされ、『弱い』と思われる、言われることが本当に多かった。それが、本当に嫌だったんだ。

小学校にあがってからも両親は共働きだった。おじいちゃんは家にいたから、鍵っ子ではない。でも、おじいちゃんは、言葉があまり話せない。だから、ほとんど会話をしたことがない。一緒に住んでるのに、ほとんど会話をしなかったんだ。実は、昼間に父親も家にいた。というのも、その頃の父親の仕事は、タクシー運転手。24時間働いて、早朝に帰り、昼間はずっと寝ている。起きてくるのは、夕方のご飯の時間。そんな生活だから、家にいても昼間は父親との交流がなかった。

僕は、小学校の行事に父親がきてくれた記憶がない。母親は、なんとか時間をつくって学芸会やが授業参観などに参加してくれた。しかし、父親がきてくれたことは無い。授業参観になると、親に良いところを見てほしくて、友達は手をあげ、頑張って発言したりする。で、教室の後ろを向き、笑顔で親とアイコンタクト。それが、うらやましかった。僕も、友達に負けじと頑張る。だけど、それを見てくれてる親がいない。それがたまらなく寂しかった。

一年の中で一番寂しさが募る時があった。それは、夏休みのお盆時期だ。その頃は、お盆休みで友達家族は田舎に帰郷する。一緒に遊ぶ友達がほとんどいなくなる。しかし、僕は家にいる。そして、両親にお盆休みはない。一緒に遊ぶ友達もいないし、遊んでくれる両親もいない。隣に住む親せきのおじさんに遊んでもらうこともあったが、毎日じゃない。とにかく、退屈。誰かと遊びたいのに誰もいない。何とも言えない寂しさを毎年、夏休みのお盆時期に感じていたんだ。

しかし、小学校高学年になると、その様子もだいぶ変わってくる。母親が自宅で仕事をするようになり、学校から帰るとほぼ毎日母親がいて、「ただいま」「お帰り」の会話ができるようになっていた。父親は相変わらず昼夜逆転の生活だったが、もうそんな生活も慣れてしまった。それに、自分でいろんなことができるようになってきたし、僕も周りの友達も親と一緒に何かをすることが減ってきた。晴れの日は野球やって、雨の日はファミコンやって。宿題も友達と一緒に協力してやってたし、夕方5時からは夕焼けニャンニャンとかみんなで見てた。だから、ぶっちゃけ学校から帰って親がいなくても、寂しさを感じることはなかった。しいて言えば、親も参加できる学校行事の時に、両親どちらも参加しなかった時ぐらいかな。それでも、もう慣れてしまってたんだ。

こうして振り返ると、小学校でも寂しさはずっと感じてたようだ。高学年になって、寂しさは薄らいだように感じていたけど、心の奥ではやっぱり寂しかったんだと思う。両親は相変わらず共働きで、僕のことをちゃんと見てくれてない悲しみや怒りがあったように感じる。でも、一生懸命、家族を養うために働いているのは感じてたから、自分を言い聞かせて我慢してたんだな。僕の家には、借金があった。だから、共働きして、何とか返済しようと頑張っていた。実は、お小遣いをくれるのはいつもおじいちゃん。両親からお小遣いをもらった記憶がない。いつも両親は、お金のことで喧嘩していたし、お金がないって母親がよく言ってた。でも、僕に水泳や習字、野球、英会話などを習わせてくれたし、ファミコンとかプラモデルとかも買ってくれた。一生懸命、お金を稼ぎ、色んなものを買ってくれた。でもその一方で、家族の交流が無くなり、僕の心に寂しさが募っていった。そして、その寂しさを外部の何かで紛らすようになっていった。

これが僕の小学生時代の全てではないけど、その側面は、その後の人生に大きく影響していると感じる。

中学生時代に続く



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