横浜駅の短い横断歩道で、人間の幸福とは何かを知った
信じられないくらい短い横断歩道、ありますよね。
先日、主張で横浜駅に行った際にも見つけました。
高島屋の近くで見かけたそれは、3mくらいだった記憶です。
もちろん(?)、何人かは信号を守らずに、赤く照らされた道をガンガン突き進んでいました。勇敢ってこういう人たちを指すんだろうな…
信号無視をする大人たちへ贈る言葉
これは正義なのでしょうか。
いや正義ではあるのでしょうが…
これを実行するヒーローは日本に存在しません。
今更、歩行者の信号無視を咎める人はいませんね。
赤信号を認識しない彼らは皆、リスクを背負っているのです。
罰金2万円という支出を覚悟したうえで、
その場にいる全員が恐れ慄き、身体が硬直している状態の中、
その足を一歩前に、悠然と踏み出しているのです。
こう聞くとかっこいいでしょう。
やってることはめちゃくちゃ違反ですけど。
実際のところ、「世界はやったもん勝ちである」という考えが日々強まっている僕からすると、信号無視については違反だろうが本人がやりたいならやればいい、という感想しかありません。
恨みもしないし、急いでいる事情があるのだろうとこちらの脳内で片付けて、それ以上は何もなし。
同様に、電車の優先席も座ったもん勝ちです。
見た目ではわからない不調を抱えている可能性を誰も暴けないので、座りたい放題です。
ヒルティの幸福論にある「愛」ってもしかしてこれ?
三大幸福論の一角を担う、スイスの哲学者カール・ヒルティ。
キリスト教徒の彼が唱える幸福の条件の一つとは、人間への惜しみない愛です。
彼の幸福論には「人間が幸福に生きるためには、愛が必要だ」と3部に分けて飽きるほど論じられていましたが、その正体を横浜駅付近で掴んだかもしれません。
私がその赤信号に出くわしたとき、闘牛が如く突き進む人間は二名。
30代くらいの女性と、50代くらいの男性でした。
私は、彼女らを咎めることなく、また、心の中ですら罵声を浴びせることはしません。
ただ何もせず、傍観しました。
私にも彼女らにも見えない愛で二人を包んだのです。
結果的には、私の心には何もわだかまりはありません。
むしろ清々しい気分です。
その清らかな心のおかげか、白黒の横断歩道がすべて白に見えるほどです。
視線を前に戻すと、赤信号に映る歩行者のシルエットが、聖母マリアの形となり、私にうっすらと微笑みかけていました。
私が愛した、二人の迷わず突き進む子羊へ
余談
ヒルティの幸福論、キリスト教激推しで面白いです。
「キリスト教の前提とする生き方=人間の幸福の一般論である」
という主張が、幸福論の主な内容になっています。
が、「困難は、とりあえず神に祈ればなんとかなる」のようにも読めるので、神に解決策をぶん投げているようで、扱いが雑だとツッコミたくなります。
神って便利ですね。ヒルティ先生ありがとう。
この先、私が困難に遭遇したときは、とりあえず神に任せます。
明日、難しい商談が控えていますが、神がオンラインで参加し私を救済してくれることでしょう。
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