昨日は一人で高尾山にのぼった。もくもくと上り、もくもくと下山した。足がぱんぱんになった。かつて一緒にのぼった友人たちの顔をふと今文章を書きながら思い出した。昔山を登ることは開放的な気持ちがした。しかし今、そのような気持ちとは違った。日常に冒険があるのかもしれない。予想外の出来事を迎えるために、僕は自然と本屋に向かった。

昨日買った本

「天地明察」冲方丁
「ファウスト」ゲーテ
「七月に流れる花/八月は冷たい城」恩田陸

さっそく「七月に流れる花/八月は冷たい城」を読み終えた。
高尾山に登った足、身体中から疲労感が生まれている。

ただ、本がすらすらと進んでいく。

森の奥の城で、隔離された亡くなる寸前の患者の親と、その子どもたちが最後再開する。

そこでは、「みどりおとこ」という感染症から免疫をもち、生き延びた存在がキーになっていた。

コロナを暗示していたとも言えるのかな。

好きな作家であり、作家題名と装画に惹かれて読んでみた。

すこし少年向けな文体だったが、久しぶりに読んでみると気持ちがいい。



本を選ぶ体験、読む体験、すべてアナログが当たり前でなくなったからこそ

「本を選ぶ体験、読む体験、すべてアナログが当たり前でなくなったからこそ」というフレーズは、デジタル技術の普及によって本の選び方や読む方法が変わってきたことを指しているようですね。紙の本を選んで読むというアナログな行為が当たり前でなくなり、代わりに電子書籍やオンライン書店が普及しています。こうした変化の中で、アナログの良さや価値を再認識する機会とも捉えられるかもしれません。

例えば、紙の本には独特の手触りや香り、ページをめくる感覚など、読書体験をより感覚的に豊かにする要素があります。また、書店で本を手に取り、思いがけない出会いを楽しむ体験も、デジタルでは味わいにくいものです。こうした背景の中で、アナログな体験の魅力が見直されているという意味が込められているのではないでしょうか。

あなた自身の体験や考え方に照らし合わせて、このテーマについてさらに深めることもできそうですね。

CHAT GPTより

本を読むことが仕事になる人ってすごいと思う。

作家になりたいという気持ちは昔あったけど、今はそんなにない。

ただ本はいづれつくってみたい。

こうして毎日Noteに投稿できる、本を読むだけの余裕があればいい。