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[レポート] ミュージアム探訪「大東市立歴史民俗資料館」

たんぽぽの家では、伝統工芸・伝統産業等にかかわるミュージアムと連携して、障害のある人や高齢者、子どもや外国人等、さまざまな地域の人たちと伝統的なものづくりを学んだり、地域の歴史文化に触れることができるラーニングプログラムの開発を行っています。

この夏は、多治見市美濃焼ミュージアムで美濃地方の土で染めたオリジナル陶土バッグをつくるワークショップを行いました(レポートはこちら)。それに続きまして、来年3月3日(日)には、大東市立歴史民俗資料館にて河内木綿について体感する手つむぎコットンワークショップの開催が決まりました!

本レポートでは、夏休み終わりに大東市立歴史民俗資料館ご訪問して、いろいろとお話を聞かせていただいた内容をレポートします。

大東市立歴史民俗資料館とは

大東市立歴史民俗資料館とは、大東の歴史、文化遺産の魅力を市民に伝える役割を担っている資料館です(リンク)。1987年開館。2012年に現在地に移転。昭和40年代の小学校の建物をリニューアルオープンして、今ある資料館となりました。

ここでの市民は一方的に情報を与えられる存在ではありません。大東市歴史民俗資料館のスタンスを象徴するのが、市民学芸員制度です。
https://rekisupo.com/archives/rekisi/simingein

1年間にわたる養成講座を受講し、基礎知識を身につけた専門スタッフ(市民学芸員)となり、館といっしょに調査、研究、展示を担います。古文書の調査なども、市民学芸員さんがお手伝いされているそうです。すごいですね!

館長・森田拓馬さんと学芸員・森井綾乃さん

8月31日に応対してくださったのが、館長の森田拓馬さんと学芸員の森井綾乃さんでした。森田さんのご専門は、保存科学やレプリカ作成。森井さんはなんと学生の頃、市民学芸員としても活動したことがあり、今は館の学芸員のお仕事をされています。

創意工夫あふれる展示・企画

土器や古文書、だんじりなどの常設展示に加えて、当日は森井さんが企画した特別展示「昼からナイトミュージアム ―くら~い展示室で、みる!きく!さわる!たのしむ!―」が行われていました(イベント案内はこちら)。
関連企画として立ち上げた、手作りの提灯をもって夜の堂山古墳を登る「夜の古墳ツアー」は、告知したその日にすぐ定員が埋まってしまったという人気企画だったそうです。郷土の特産物、菜種油を想起させる提灯で、郷土の歴史遺産である古墳にのぼる。大東ならではの企画。満員御礼で行けなかったのですが、実はこの夜の古墳ツアーにも行ってみたかったんですよね~~

「昼からナイトミュージアム」展の様子

元小学校の校舎を改装した場所だけあって、まさに「夜の学校」にこっそり忍び込んでいるような雰囲気がして、実はひそかにびびっていました笑

おそるおそる近づいてみると、電気のついていない展示室の向こうで、鳴り響く、電話機の音。暮らしの道具の音も味わえる。そして、隙間風に時々はためくカーテン。どきどきわくわくした展示でした。

想像してみてください、黒電話の音が急に鳴り響く室内を。
こちらはあかりの燃料を紹介する部屋。大東市では、菜種や綿花など植物由来の油が採れたそうです。

照明を暗くした展示室で、五感を使って鑑賞する仕掛けがたくさんちりばめられた「昼からナイトミュージアム」展。この展示については、担当学芸員の森井さんにこれまでの経緯や企画意図などについても詳しくお聞きしたインタビュー記事が公開されていますので、ぜひ以下のリンクをご覧ください。

大東市の歴史は治水の歴史でもある

当日は、館長の森田さんが大東市の歴史をわかりやすくかいつまんでおしえてくださいました。

縄文時代までさかのぼるという大東の歴史。最初は海、そのうち湾、湖と、古くから水とのつながりが深い地域だったそうです。歴史を一変したのが、1700年代に行った大治水工事。たびたび洪水を起こしていた大和川をつけかえ、新大和川を開通し、新田開発に力をいれました。それにより、木綿、菜種などの栽培もさかんになり、特産品・河内木綿が生まれ、菜種や綿実から油づくりも行われるようになり、天下の台所、大坂を下支えしたそうです。

常設展示。ふと気づけば、船頭さんが頭上に!

もともとは海だったということもあり、大東市付近は、水はけのよい土地柄ではありませんでした。それは近年まで続いており、「大東水害」と呼ばれる昭和47年の集中豪雨で死者はなかったものの長期間排水がなされず、甚大な水害が起こりました。その後の市政は水害を乗り越える街づくりにいっそう注力することになったそうです。

余談ですが、大東といえば、「野崎まいり」の野崎観音が有名ですが、近松門左衛門の浄瑠璃戯曲『女殺油地獄』も野崎観音での逢瀬をモチーフに書かれたそうで…。そういった話ひとつとっても、逐一ぐっとくるものがありますね。河内地方は上方文化の発祥地のひとつであることは間違いありません。

暮らしの道具のアーカイブ

8月31日の訪問の際には、収蔵庫も見せていただきました。たくさんの道具が所狭しと並べられており、圧倒されました。水車など、大型の道具もどーんと置いてありましたが、ちょっとした籠などもいろんな種類がありました。

森井さんいわく、「暮らしの道具(民具)は意識して集めないと、家が壊されたときに捨てられてしまう。日頃からアンテナを立てておく必要あり。市民のみなさんへの意識づけも大事で、寄贈の話をいただけると喜んで向かう」とのことでした。

このお話をきいて、奈良の東大寺正倉院の宝物のことを思い出しました。正倉院には、天皇や天皇にゆかりのある高い身分のひとたちが贅を尽くしてつくらせたいわゆる「宝物」が大切に保管されているイメージがありますが、それ以外にも、当時の役人たちが散逸を防ぐために公文書の保管にも使っていたそうで...。管理目的の書類とはいえ、当時の民衆の様子が記された書類は今にしてはとても貴重な資料になります。収蔵することにより、当時宝物でなかったものがいずれ宝物になる。

その意味で、収蔵庫のなかにある民具を実際につかってみたいという願いが生まれました。さいわい、森井さんは、河内木綿という地域文化を知ってもらうため、現代の一般のご家庭ではまず見ることはないであろう綿くり機と糸車機を小学校の教室に持ち込んで糸引きをするという出張ワークショップを定期的に行っておられます。これを小学生以外にもひらいたワークショップにできないかとご相談して、来年3月の開催が首尾よく決まりました!

学芸員の森井さんが市民学芸員さんと種から育てている河内木綿の綿花。資料館で育てた綿花をつむいで糸にして、よこ糸に織り込み、70センチくらいの布にする織物教室も行っているそうです。
小学校での出張ワークショップでも育てた綿花を使用するとのことでした。写真中央が森井さん。

取材日:2023年8月31日(木)
取材:後安美紀(レポート)、中島香織(写真)

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