
「昇華作業」という名の独り言
2024年、私はひたすら走っていた。
論文を書き上げよう、と思って仕事もセーブし、そのために貯金もして、すべて研究と論文に時間を使えるように準備をしてきた。その予定が、予想通りに行かなくて、時間もお金もなくなっていく不安の中で論文を執筆した。
親がこの世から去るかもしれない、認知機能が変わるかもしれない…ここに父のことも書いたが、実は母も危ない時が何度もあった。相談する人がいないわけではないけど、いざとなると「自分の家のことだから」と思って、話せなかった。そして話すような時間もとれなかった。その合間も、友達、信頼している先生、もちろん指導教員にも色々話したり、励ましてもらうこともあった。
でも日々、過ごしている中で、元気になれる要素なんて何もなかった。パソコンを開いたと思えば、病院から電話が鳴る。仕事が終わり、家に帰るといつもと違った母がいる。父はできないことが多くなり、母はストレスを抱え、体調を崩した。
私には兄弟がいない。そして、配偶者もいない。
そんな中で審査は進んでいく。予備審査で、どうやら危ないらしい、と指導教員から言われた。私はここで負けたら、父の命と母の命、また認知能力をここまで守ってきたのに、すべて水の泡になるじゃないかと思った。絶対負けたくない、の一点張りだった。そして、なぜかそういう時に限って、予想だにしないところからバットでぶん殴られたぐらいの打撃もくらった。なんでこんな目に遭わなくてはいけないのだろう。私は比較的早く査読論文の本数を満たすことができたから、ここで本当の力を試されているのか?と疑った。
年が明けてようやく両親とも回復傾向となり、あとは修正作業という段階になった。「あんなこともあったよね」と笑う日が来るのだろうと思えてきていた。それなのに、なんで元気が出ないのだろう。そこで考えられるのは、
1、これまで走り過ぎた。
2、今後の不安
3、令和ロマンが見られない
これなんじゃないか。
しかも3番目、結構大きいんじゃないか?
私、もしかして「ロス」しているのか?
恥ずかしい。いい歳してみっともない。
でも、多分そう。
今日はきっと疲れている。
明日には元気になっているはず。
寝よう。
早く、寝た方がいい。
でも眠れないかもしれない?
ここ1ヶ月ほど、睡眠の質が良くない。
いや、絶対にここで負けない。
明日は、パソコンを開く。
気晴らしにピアノを弾こう。
英語もやろう。
もう少し経ったら、絶対に楽しいことや嬉しいことが待っているはず。
そして彼らは、「彼ら」になって戻ってきてくれるはず。
その間、私もちゃんと学生を修了させる準備をしよう。
そうしたら、去年とは違う青空を仰ぎながら、軽やかに歩けるはず。
これまで逃げてきたことからも、向き合おう。
4月になったら、また新入生を迎え入れよう。
足踏みをしないで、このまま進んでいくために、できる限りのことをしよう。
学生生活はもう、終わりに近づいているから。