「一人ひとりの生きた証しを伝えたい」--TBS西村記者はなぜ安楽死を追うのか
Yahoo!ニュースでは、テレビ局や新聞社などコンテンツパートナーの取材力・執筆力とYahoo!ニュースの知見をかけ合わせて記事を制作する共同連携企画に取り組んでいます。その一つとしてTBSテレビと連携して「安楽死」をテーマとした企画を連載中です。「安楽死」を選択した人、思い止まった人、反対する立場の人などさまざまな当事者への取材をもとに問題提起する中身になっています。取材をするのは、TBSテレビの西村匡史(にしむら・ただし)記者です。これまでも「命」をテーマに取材を続けてきた西村記者は、「安楽死」を取り上げるにあたり、「20年の記者人生の中で最も悩み、葛藤の連続だった」と話します。西村記者はなぜ「安楽死」を取材し、社会に発信するのでしょうか。その背景や、記者としての原点に迫ります。(取材・文:Yahoo!ニュース)
生きてほしいのが一番の望み
——記事を公開し、周囲からの反響を含めてどのような手応えを感じられていますか。
TBSテレビの『報道特集』でも放送をしましたが、安楽死という大きなテーマを46分間の放送を通して考えてもらうために、安楽死を選んだ方、安楽死を思い止まった方、安楽死に反対する方など取材対象者6人の方にそれぞれの選択や立場を表象する役割を託して描く手法をとっています。ただ、それぞれの当事者一人ひとりの顔や人生を伝えきれないものがありました。今回Yahoo!ニュースとの共同連携企画で発信できる機会をいただけたことによって、1人のストーリーを1本ずつ、まとまった記事として描くことができました。取材に応じてくれた当事者の方々には、苦しい思いを感じさせながら答えていただくこともありました。私にはその取材をした責任がありますので、安楽死の現場を伝えるとともに、一人ひとりの生きた証しを伝えることができたならば嬉しいです。
——Yahoo!ニュースのコメント欄では、1記事へのコメント投稿数が3,000件に迫り、議論の必要性を訴える声、制度化に慎重な声、また取材対象者に敬意を表する声など多様な意見が寄せられました。
たくさんの反響をいただき、議論が生まれたことはありがたいと思っています。安楽死を遂げた方からは「自分の最期の姿を通して、安楽死についてみんなで考えてほしい」との思いを託されていたからです。一方で考えてもらうこと、議論が広がることで、安易に安楽死を容認する社会につながってしまうと脅威に感じる方がいることも理解しています。そうした方々のことを思うと、心苦しい部分があったのも正直なところです。ここが私にとっての大きな葛藤でした。
——取材を進める中で、西村さんは安楽死について率直にどう感じましたか。
賛否については結論を出せませんが、この手段を選択せざるを得ないほど苦しんでいる人を目の前にしていると、彼らにとって安楽死という選択肢は「心のお守り」のような役割を担っているとも感じました。
でも、生きてほしい。これが、自分の中で一番大切にしているメッセージです。だからこそ、今まで手がけた取材の中で最も恐ろしさと葛藤を感じながら執筆しました。記事を読むことで安易に安楽死を選択する方向に流れてしまう人がいるのではないかと、リスクを感じているからです。今後はYahoo!ニュースとの共同連携企画で、安楽死が認められることを脅威に感じている方々の声も取り上げていこうと思っています。
あえて遠慮はしない
——当事者の方々とは、どのように信頼関係を築かれたのですか。
取材に至るまでに、何度も手紙やメールを送りました。自分の書いた本、監督をしたドキュメンタリー映画も送りました。すべて命を取材したものです。なぜこれを伝えたいのか、自分の意思をしっかりと伝えるようにしました。そこには多くの時間をかけています。信頼関係がないと取材は成り立ちません。手紙を書く場合は一通一通、まずはパソコンで書いてから何度も推敲して、最後に手書きで清書するまで書いています。取材が成立するまでに9カ月くらいやりとりが続いたケースもありました。手紙を書いてまずは信頼してもらい、その後は直に対話を重ねて、少しずつ理解してもらって取材に至っています。取材対象者に対して、時には厳しい問いかけもします。思い出すこと自体がつらいという方もいます。だからこそ、取材の前には「こういう意図を持っています」ということを丹念にお伝えして納得してもらってから、踏み込んだ質問をするようにしています。
——聞き手として心がけていることはありますか。
過度に遠慮して「壁」をつくることは失礼だと思っています。ですから自分の家族や友達と話すような感覚で話を聞くように心がけています。相手に心的負担を与えてしまう問いかけをしなければならない時は、その質問がどうしても必要だという理由を事前に説明をするようにもしています。その上で、一番苦しい時のことを繰り返し聞くことがあります。なぜなら、最もつらい部分にこそ、生きるためのヒントが含まれることがあるからです。その思いを聞くことで同じように苦しんでいる方々にとって、共感してもらえたり、考えてもらうきっかけにしてもらえたりすると考えています。無理強いはしませんが、可能であれば理解してほしいと説明した上でインタビューを進めています。
——取材で時間を費やしていくと、当事者との距離も縮まります。今回は、取材対象者の「最期」を見届けました。冷静さや客観性を保つのは大変ではないですか。
これまで真剣に向き合ってきた方との死別を経験するわけですから、とてもつらかったです。連載1本目のジュリアン・クレイさんにしても、2本目の迎田良子(むかいだ・りょうこ)さんにしても、最後の最後で迷いがあるのであれば、何とか生きる方向に変えることはできないか、何度もディスカッションをしました。ただ、私が友人のような感情さえ抱くようになったクレイさんのある一言が私の心にずしりと突き刺さりました。「激しい痛みから逃れるために、一番大好きなお母さんを犯罪者にしてでも、自分を殺してほしいと頼んだこともあった。だから安楽死できるということは救いなんだ」。それを聞いた時、私には「これ以上、生きてほしい」と言うことができなくなりました。最後に涙を浮かべながら旅立っていく彼を見た時に、私は1人の友人を失う悲しさとともに、「ここまで頑張って生きてきたんだよな」と、彼の人生に敬意を抱きました。私がクレイさんと接した日数は長くはなかったかもしれませんが、出会えた幸運を今でも感じています。そうした思いがあるからこそ、死別後も何とか平静さを保てているのではないかと思います。
生きるヒントを伝えるために
——西村さんはこれまでも「命」をテーマに取材をしてきました。なぜでしょうか。
入社1年目に経験した、ある遺族の取材が原点にあります。1985年に起きた日航機墜落事故から18年目の命日にあたる2003年8月12日、墜落現場である群馬県の御巣鷹の尾根を登る老夫婦がいました。高齢にもかかわらず水が満タンに入ったペットボトル3本を杖にぶら下げて慰霊登山に訪れた夫妻は、3人の娘の墓標に水をかけ続けていました。「熱かったね、ごめんね」。運んできた大量の水は炎に包まれて亡くなった娘たちを冷やすためのものだったのです。それまで遺族である事実を近所の人にも隠してきた夫妻でしたが、新人記者である私と何度も交流を経た後、遺族である過去が知られるのを覚悟で取材に応じてくれました。その後、私はプライベートで毎年3回の夫妻の慰霊登山のお伴をし、21年経った今も家族ぐるみのお付き合いを続けています。3人の娘を亡くし絶望の淵にあった夫妻が何を支えに生きてこられたのか。それを伝えることが、同じように苦しみを感じている方々の生きるヒントにつながると信じて、「命」の取材を続けることになりました。
——社会人1年目の取材経験がきっかけになっているんですね。
私も記者を続けていく中で、壁にぶち当たることが何度かありました。そんな時、1人で御巣鷹の尾根を登って原点にかえることもあります。記者になってから最初の10年間は事件や事故、震災、自死、戦争などの被害者の遺族の歩みを無我夢中で追ってきました。その後、命を奪ってしまった加害者の存在に目が向くようになり、死刑囚やその家族の取材も行うようになりました。なぜ、加害者がそのような事件を起こしたのか、その背景に社会が眼差しを向けない限りは再発防止につながることはないと思ったからです。そして2019年9月からロンドン特派員として赴任することが決まったことを契機に、日本では認められていない安楽死の取材をしようと思うようになりました。スイスに渡ってまで、安楽死する日本人が出始めていたからです。
伝える努力はやめちゃいけない
——インターネットで検索すればさまざまな情報を手軽に知ることができる時代です。足と時間を使い、1次情報を得ることの意義は何だと思いますか。
たしかにスマートフォン1つあれば簡単に検索できて、知りたいことがあればすぐに答えが見つかるのが今の時代です。ただ、手軽に知ることができる情報ですべてが分かるわけではありません。1人の人間の取材を尽くして世に伝えることは、手間も時間もかかりコストの面からはマイナスかもしれません。しかし、それをやめてしまったら社会にとって大きな損失になると思っています。また、私の場合は命のテーマを追う中で、当事者や大切な方を亡くされた方からお話を聞く際、もう1度つらい思いと向き合わせ、重い負担を背負わせています。だからこそ、当事者の生きた証しを世に残すことは私の恩返しでもあるのです。「情報」だけではない「人生そのもの」を私は伝えたいのです。私は人間が大好きだからです。
——この仕事だからこそできることですね。
私は今の仕事が自分の生きがいでもあります。記者の仕事の一番の喜びは出した放送、執筆した記事そのものですが、それと同じくらい、取材で出会った方たちの存在があります。出会いのきっかけは、悲しい出来事があったからこその出会いです。それでも取材対象者の方に「あなたと出会えてよかった」と言ってもらえるような関係が築けると、「記者になってよかった」と、心から思うことができます。そうした方たちの存在は私の「宝物」です。記者との信頼関係が築けたからこそ、伝えることができるメッセージがあります。だからこそ、私は伝える努力だけはやめちゃいけないと思います。