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ひらめき☆マンガ教室第5期最終課題[ひらめき] 「第5回 ゲンロン ひらめき☆マンガ大賞」完成稿感想

こんにちは、セミオです。昨年11月のコミティア142ぶりの登場です。みなさんお元気にされておられましたでしょうか。

今回はついに最終回! ひらめき☆マンガ教室最終課題「第5回 ゲンロン ひらめき☆マンガ大賞」の最優秀賞獲得に向けて寄せられたマンガの感想を言います。

\ドーン!/


ひらめき☆マンガ教室とは、主任講師であるさやわか先生がリーダーに、出版社ゲンロンが運営するマンガ教室です。マンガを描く技術よりも、「マンガ家になる!」とはどういうことなのか、マンガについて学びたい、語りたい、理解したいというひともやってくるにぎやかで普通のマンガ教室です。

あ、宣伝! 本日 3/11(土)の13時より東京・五反田ゲンロンカフェで、今回ぼくが感想を書いた課題作品の最終講評会が行われます。評者は主任講師のさやわか先生に加え、マンガ家・武富健治先生、コラムニストのブルボン小林先生、編集者の山本侑里さんです。

ゲンロンスクールの最終講評会は、「そんな評価じゃ私は俺は満足できません!」と釈明を望むひとが現れてびっくりしたり、はたまた「これがきみの最後の姿……!!」と胸が熱くなったり、ときに切なくなったりもするこころが忙しいコンテンツです(怒られないかな……)。今回はどんな雰囲気ではじまり、どんなひとが立ち、しゃべり、そして卒業していくのか。興味をもたれたかたはぜひ見届けてください。

👇放送はここでやるよ!👇

さて、そのゲンロンカフェから遠く離れたところで、一年間にわたり、途中予告ない休止を挟んで書いてきましたこの感想も卒業です。読者のみなさん、気まぐれな感想を読んでくれてどうもありがとう。今後の予定となぜ感想を休止する必要があったのかの釈明(後日公開)は別記事にまとめておきますので、もしよかったらご覧ください。

それではいよいよ、「第5回 ゲンロン ひらめき☆マンガ大賞」応募作品の感想を言いますよ!

nonakaさん『またたき』

透明人間状態を早く抜け出したいと願う女子が、彫刻を学ぶ男子に自分の彫刻をつくってもらう話として読みました。

nonakaさんの課題3で登場した「子どものうちは透明人間で、おとなになっていくにつれて身体のパーツごとに「実体化」して透明じゃなくなっていく」世界のお話ですね。

今回は、最初の2ページに「現在の(つまりこのストーリーの語り部の)」小原が登場しているので、なんとなく「ほお、若いときは人間が透明である世界なんだな」とわかり、あとは「おとなになるってことは自分とか自我が捉えられるようになっていくことだよね」という知識でもって補完することで理解できました。

P4~P9で、迷子になりました。ざっくり読むと「上半身が白くて下半身が黒い」くらいしか特徴がつかめず、まだP1~P2で提示された「物語の主人公=小原である」ことが飲み込めない状態で突入していくには荷が重く感じました。吹き出しの吹き出しているところ(「しっぽ」って言うんですね!)が背景に溶け込んじゃっている気もしました。

ストーリーについて、初読のときにはTwitterで書いた感想のとおり、
・自分より早く実体化している憧れから男子との距離が近づいた女子。
・女子はバスケ、男子は彫刻やってる。
・男子は彫刻やってて、女子と仲良くなったので、女子を触って確かめて作品をつくる。
・女子が実体化したのち、作品展でその作品見たら、触らせなかった顔だけちがってて笑った。
以上のことを読み取りました。

その後、感想を詳しく書く上で読み直したことで、
・男子は、周囲の人間より早く実体化したことでちょっかいを出されている。
・物語の前半~中盤まで、ぜんぜん実体化が始まらない小原は、実体化してるひとが実体化する秘訣を教えてくれないことにひどく苛立っていた。
ということが次第にわかってきました。

以上から、ぼくの読み方ではこの作品でnonakaさんが伝えたかったことは「若いときって自分の気になるひとのことわかろうってがんばるんだけど、そういうのってだいたい大人になって振り返ってみるとぜんぜんちがうこともあるよね、でもそういうの、いいよね」ということかなと考えました。

あと、キャラデザが雰囲気に合ってるなあ、と感じました。
P1の一コマ目に出てくる小原は、絵とモノローグによってきちんと主人公然としているし、おとなしいだけではない、なにかに困っていそうでどこか不安定なキャラクターのように見えました。また、それまで純粋に小原に質問を投げかけ、さらにはやたらと小原をデリカシーなさげに触っていく「彼」も、P33で初めて登場する「彼」の顔を見ると、ただのデリカシーのない不器用なヤツというよりは、ピュアで少年っぽいヤツなんだなという読みができるキャラになっていたように思います。

あさかたこれ太郎さん『さよならは夢のあとで』

夢見さんがむずかしい夢を見せるよう要求され、なんとかする話として読みました。

まず、課題作品が公開されている「超・ひらめき☆マンガ家育成サイト」上のアイコンが異様な頻度で変化していくことで有名なあさかたこれ太郎さんのマンガです。なんかこう、一昔前のネットユーザーが、自分の人生の節目に合わせてユーザー名を「(ユーザー名)ver1.0」「(ユーザー名)ver2.0」みたいにアップデートしていくような感じで、微笑ましく思っておりました。はい、余談です。

また、これも作品自体に関係のない感想になってしまうのですが、「超・ひらめき☆マンガ家育成サイト」上のあさかたこれ太郎さんの前作は、絵画を描き続けることで絵画に魂を吸い取られてしまった画家の死に様を描く『狂気の画家 ジェラール・ド・ローリエ』でした。
この主人公はあさかたさんご自身であるということは、ご本人がアピール文に書いていらっしゃるとおりです。そうした作品のつぎに、今回のようなストーリーをもった作品がつづいたこと。
そしてご自身が、ひら☆マンにお越しになった当初、課題1のネームのアピール文でおっしゃっていたご自身の思いはそのままに、アップデートされたかたちでこのときの思いがこの作品に結実している(ように見える)こと。

こどもの頃から現在にいたるまで心の底からコンテンツを楽しめておらず、すべてがその場しのぎの現実逃避だったのかもと思いはじめやがりました。 / しかし、当時の自分が楽しんで笑っていたのも本当だとも思います。そのおかげで救われた部分も大いにあり感謝があります。でも全肯定できないでいる。

あさかたこれ太郎『みなそこにねむれ』ネーム、アピール文より引用

そしてあさかたさんが授業でおっしゃっていた、「自分のマンガをもっと「わかりやすく」描けるようになりたい」という目標が実現されていることがわかる作品になっていて、一読者として、とても嬉しかったです。
やったあって思いました。

これからも「テキトーに」マンガ描くあさかたさんでいてください。っていうと、押し付けがましいかな。

大久保どんぶりさん『MyNameIs...』

初めて名前をつけたロボットとの別れ話として読みました。

宇宙、いいですね。ふわふわしてる感がコマ割りで表現されているところ、きもちよく目線が誘導されて楽しかったです。(P10~P12)

冒頭の入りからとてもストーリーに惹き込まれました(P1)。そもそも2コマ目で主要な登場人物3名が出揃っていて、そんでこのマンガでもっとも重要な「主人公の男性ハルがロボットにきゅー太という名前をつけた」が出てくる(P2)。わかりやすい、わかりやすいよ!! ありがとう!

ストーリーの話ばっかして申し訳ないですが、最後につかまった人工衛星にきゅー太が自分の名前を紹介するところ、いいですね(P16)。名前が引き継がれる感じがして。

いっぽう、フキダシの枠内にコマの枠が入り込んでいたり、キャラの線が不自然にコマの外に飛び出していたりするところ、また手書きの線がセリフの文字に掛かっちゃって読みづらくなってしまっているところは、まちがえちゃったのかなって思って、大久保さんの存在がぐっと近づいてきました。アピール文に「ぎりぎりでした」とあるので、たぶん間に合わなかったのかしら……。

俗人ちんさん『思春期煩悩ボウズ』

僧侶なのに平気で戒律を破るバカグループの真面目くんが、欲望に従順な仲間に流されて痛い目見る話として読みました。

1ページで溜めて、つぎの1ページで発散を最後までドカンドカンと繰り返していくリズム感が好みでした。読者としてぼくがこのマンガに期待していることは「ドタバタを楽しみたい」「何も考えずにバカを笑いたい」だったので、小難しい説明はすっ飛ばしてていいなと思いました。仏教雑学が好きなぼくにとってはもう少し五体投地くらいのカッコイイ必殺技が登場してほしかったところですがこれはわがままです不要!

ただ、もうすこし最初の方から、真面目くんの真面目さが伝わってきてもよかったかも、と思いました。よーく見てると、「なるほど真面目くんだけ真面目で、あとのふたりが「い~じゃ~んばかで~」みたいなキャラなんだな、というのがわかってくるのですが、そういうそれぞれのキャラのひととなりはすこしわかりにくかったように思います。

降原さん『眼差し』

不良少年がやっと見つけた自分の大事なものを見つけた瞬間奪われる胸糞味いい話として読みました。

この感想をツイートしたときは、正直、読後に抱いた自分の複雑な気持ちにどう「感想」をつけたらいいかわからなくなっていました。

なぜか。つまり、登場人物に感情移入しやすいマンガではなかったからだと思います。
花岡は、父親が借金まみれでDVを受けていて、暴力の連鎖を止められない青年で自分とはまったくちがう人間だし、自分の呪いなど叶ったためしがないので三上にも「寄り添う」ことができず、彼女が呪いで亡くなった村田の不幸も背負えない。同じクラスのモブキャラの誰かとして読むことを強いられました。

【2023/03/11 4:20 追記】
この「主要キャラのどちらにも感情移入できなかった」について、作者の降原さんご自身による課題マンガふりかえり文によると、「自分が嫌いな人間が誰かにとっては大切な人だったりしたときのやるせなさや憤り」が、このような描き方にさせたのだとのことです。
なるほど、降原さんもどちらにも共感したくないという思いで描かれてたんですね。
作者の意見は絶対正解というわけではありませんが、そういうキャラの作り方もあるんだ! と発見がありました。

降原さんご自身による課題マンガふりかえり文👇

自分のふだん考えていることや、過去の経験などを深く呼び起こさせるようなマンガなのに、だからこそ感想が言いにくくなるやつでした。

まず冒頭を褒めていきたい! 冒頭P1~P4が、読ませるリズムになってる~作り込みすごい~と思いました!
P1は麻莉亜が思いっきり三上の教科書を窓の外に放り投げるコマでスピード感があり、それをめくったところ(P2)にコマをはみ出るくらいの大きさでじっ……と麻莉亜を見つめる三上のバストアップが描かれる。んで次のページ(P3)で麻莉亜の大事なやーつがなんかボロボロになってる……と読み手のぼくの気持ちがざわざわしてきて、そのざわざわをごまかすように麻莉亜の周りが「くっだらねー」と笑う(P4)。ここまででもう、「このあと何が起こるんだろう」と惹きつけられます。

褒めて調子がよくなってきたので、どうして感想が言いにくかったのか考えてみますね。

おそらくこのマンガの主人公たち(三上と花岡)、もしくはマンガの作者(降原さん)から、「おまえはこのマンガを「第三者」として読むんだぞ、けして登場人物に感情移入などしてくれるな」と言われているかのような気がしたから、言い換えるとぼくが「このマンガは容易にわかったつもりになっちゃいけない気がする……!(好奇心がモリモリと湧いてくる)」とか思っちゃったんだと思います。やー、めんどくさい読者であります。

それでもぼくは、そういう読後感を作者が与えたかった可能性すらあるよね、とも思っています。下記の3つの描写があるからです。
・三上が花岡を呪えない理由に「先に」気がついて<いじめる>=<いじめられる>関係を演じることを決めたあとの引きのコマたち(P23、靴箱とバス停の前の描写)
・三上に「慈しむ心」を教えてもらって本を破いてスッキリする引きの絵(P28)
・ついに花岡が三上のことを大事にしてしまった瞬間三上がトラックに轢かれる4コマ前の絵(P31)
以上3つの「引き」の絵で、読者としての自分の気持ちと、そのページに描かれている絵とがリンクした感覚が突然やってきて、グッと来ました。そういえば上の3つの「引きの絵」は(やっぱり意図的なことだと思うのですが)背景が緻密に描かれており奥行きが感じられる絵になっていますね。これがより「おまえにこの気持ちがわかるかー!」とか言われてるような気がして、ぼくはいま人間を見てるな、美しいな、とか思って気持ちよくなりました。

はねむらさん『極貧女子と見習い女神さま』

クソなギャンブル狂い女子と役立たずの女神がそのダメダメさを使ってピンチを脱却する話として読みました。

自分の持っている性質というか性格というかが、ぜんぜん変わることなく、でもその使い方を変えることでピンチを脱却! スッキリ! というお話は最近のぼくの大好きなお話です。

冒頭2ページの引きが完璧ですね。なによりも共感しやすい金欠がテーマだし、ここぞとばかしにひとつひとつのコマにちがうトーンが描かれていて文字を読むまでもなく主人公の感情が伝わってきます。ぼくは、はねむらさんはこの一年間で心地よいマンガのリズムを習得されたと思っているのですが、もうこのはねリズムがたまらなく好きですね。で、そのリズムがセリフでもなく絵の描き込みの量でもなくキャラキャラした表情とか漫符とか描き文字とかトーンとかで描かれているところがとても好きです。主人公が実際にどんな姿かたちをしているかに目がいったの、意図的に主人公の身体を見せつけられたP9がはじめてでしたし。

あ、でも、リズムだけを見ていくことにして読み返してみると、描き文字のメタ発言、たとえばP2:「色々ぶつけた…」とか、P4:「また生活費が…」、P5:「追い払ってくださいーー」、P6:「光ってる…」、P10:「まぁさっき私も使ったけど…」、P12:「賭けには負けたのでは…?」は、メタに向かう方向が「コメディ」としてベタベタな話をして笑わせることが目的のラブコメ、という自分のイメージとズレている気がして、すこし違和感がありました。

葉野 赤さん『春に書く手紙』

他人に言いにくいことをもった主人公がほぐされて、ケーソツなことを言う先輩が口をつむる、重みのあるお話として読みました。

まず最初に、作品それ自体に対する感想でなく申し訳ないのですが、葉野さんの絵柄で、葉野さんの(ご自身は「盛り上がりがない」と悩んでおられた)リズムで、また葉野さんのこれまでの人生における選択があって、そしてなによりもこれまでのひらめき☆マンガ教室第5期で描いてきた課題作品群がひとつでも抜けていたら、書けなかったお話になっていて、その意味で、いいなあ、と思いました。
どこかSFっぽいというか、はるか遠くにいる誰かにこの物語が届いたらいいなあと思わせてくれるようなお話が葉野さんの味で、その味を惜しみなく使えていると思います。

いや、しかし、これほどシンプルな線で愛おしさを抱かせてくれる葉野さんだからこそ、「盛り上がり」……じゃないですね、具体的におばあさんが息を引き取るその瞬間の描写とか、「どうせ早う飢えて死ねと思っとるんだろう。」と悪態をつくおばあさんのその唇の生々しいアップといった、記憶に残る「この絵を見せたい!」という絵があると、なおよかったかもしれません。生々しい絵を描いても、葉野さんの絵ならその絵だけが浮き上がってしまってマンガを読みたくなくなるようなこと、起きないと思う。それは「熊」で証明されたことでした。

葉野さんは、ずっとずっと高いところに行ってしまわれた。ように思います。
そしてそれは、とてもよかった。

かわじろう『下戸のソウルフード』

母の移動式ラーメン屋台を娘が継ぐ話として読みました。

ここに出てくる具だくさんのラーメンで、2年前に出会って見つけては食べている横浜あんかけラーメンを思い出しました。うーわ食いたい。

たしかアニメのらんま1/2をイッキ見して、町中華のラーメンいいわ~と思って、深夜だし冷凍ならあるかなって思って24時間スーパーに行って見つけて食べて「思い描いてた「町中華のラーメン」!」ってなったのでした。
ビールのCMで堤真一がクーッてやるノリで、割り箸を前に開いてクーッとやっていきたい。

かわじろうさんはこの一年で、お話の全体にモノローグを配置するスタイルはそのままに、モノローグの途中ですべての躍動感をキャラに託すやり方を習得されたと思っています。それができるようになったのは、お話のなかに流れる時間をコマ割りとコマの配置でコントロールする技術を身に着けられたから。
たとえばお母さんが亡くなったあとに粛々と続いていくモノ、ヒト、場所との別れを同じ形のコマで「映画のように」時間経過を意識させるページ(P3の4コマ)、コマを排して思いっきり読者に没入感を与えたあとに落ち着きを取り戻し、ふたたび前を向く主人公の首の動かし方、そしてその後に「そういえば腹減った」とやるストーリー(P12)は、それぞれ意図的に作者(かわじろうさん)が時間を動かしているなと感じさせるページになっていました。
だから、「右側にぱちんと電気がつく提灯を配して左側にその提灯から飛び出るように前に進むトラックの描写(P10~11)」のようなキメの大ゴマがいきいきするような演出がぐーっと効くんだろうな~、いや~おいしいな~。

あ、そういえば、「主人公の女性は下戸である」という情報は、あまり入ってきませんでした。母親がとても大切にしていたトラックを娘が引き継ぐというストーリーが十二分のパワーで伝わってくるお話だったので、下戸かどうかはあまり気にならなかったといいますか……。

まあがちゃがちゃ言いましたが、だまって横浜あんかけラーメン買ってきます!

泉ころろんさん『グッドコミュニケーション』

所長から暴力を受けていた主人公が、暴力をふるう理由を知ったとたん立場が逆転するお話として読みました。

キャラの表情、セリフの配置、フキダシの形、描き文字や背景の塗りがとてもマンガマンガしていて、読みやすかったです。冒頭の主人公ヨーコとヘラとの出会い(P1~P2)とか、こっそり怪人工場をのぞきにいったらヘラが眠っていて、そぉーっと近づいたら目が合って、ドキドキしながらその場を立ち去る……という演出も、この先このふたりになにが起こるんだろう……と期待させる演出になっていました。

けれども、ころろんさんの絵柄がかわいすぎるせいだと思うのですが、所長がそんなにひどい暴行をしているように見えず、その後「所長はじつはマゾでした~」とやられても、そーかーといった感じで、ぐっと響いてきませんでした。

森紗はるきさん『試されるデート』

デートに慣れていない男性を奮い立たせる女性のお話として読みました。

ほとんど見開いたページに1回はどでかく女の子が写っていて、なるほどこれは気合いが入っているな、と思いました。
が、すみません、このマンガを読んでどう思えばいいか、意図がわかりませんでした。ほんとうにごめんなさい。2ページに1回女の子の大ゴマが入ってくるのが、ぼくにとっては女の子との距離が近すぎるのかもしれません。ぼくの好みと森紗さんの意図がズレているだけだと思うのですが……。

口元、目やまゆげの配置、髪の質感、服の皺……そのすべてに何度も何度も描きなおした「気合い」が見えるからこそ、この作品を受け取ることができなくて、もうしわけないきもち……。

qjinさん『天職』

食うことしか能のない無能なやつがそれを天職とするお話として読みました。

狂っているひとたちの狂っている世界を描くのに、qjinさんの絵柄は合ってる……というかもう、qjinさんというキャラ自体が狂っているかのようにさえみえる……。身体を張って毎回マンガをひねり出し、描いておられるんだろうなと思います。人肉を喰うやつらを見せつけられる大ゴマもしっかり効いているし(P20)、ラストの記念に撮影されたこの写真のような配置の登場人物の絵もさやわかなのにぜんぜんさやわかじゃなくてとてもいい(P25)。

コマ割りに時間のコントロールが効いているから、最後まで苦労せずに読める作品になっているのかも。

滑川王手さん『さしずめあかなめ』

普通のひととして生きるために、あかなめの一族であるということを隠して生きることを決意する男性の物語として読みました。

まず前提。こちらのマンガは、なめかわさんが課題10で提出されたネームの完成稿とのことです。

それで、どうしてかわからないので本当に申し訳ないのですが、たしか以前のネームでは笑えたところ、たとえば
・「オレがあかなめの一族であることを……!」(P4)
・好きなひとの家でシャワー浴びようとしたら親父がいた……血って怖い……(P8)
・父親にノセられてすっかりきれいに風呂のあかをなめる主人公(P12)
のシーンが、今回は笑えませんでした。

もしかしたら、滑川さんはこのマンガを笑えないように、ギャグマンガとして受け止められないように改めたのではないでしょうか。

ネームのラストシーンは、主人公の男性が下を向いて何か考えているような感じで、気になっている女性がお風呂でくつろぐ家から立ち去る様子が描かれています。
けれども今回のマンガでは、主人公の男性がパーカーのフードに顔を隠すラストで終えることで、まるで男性があかなめであることを社会に隠すように生きていくことを決めたことをほのめかしているように思えます。これは、笑えない。

滑川さんが一時期取り組まれていたように、ギャグマンガ路線をなんとか逸れたい、避けたいという思いが再燃したのではないかなと考えました。もしそうだとしたらそれならそれでもよいと思うのですが、ちょっとこの作品は、どっちに振って読めばいいのかが分かりづらいマンガだったという印象です。

でも待って。16ページでお開きになったあと、牧村さんに話しかけてるこの主人公の男、牧村さんがそれまで被ってたパーカー着てる……なぜ……わからん……。

いとしろ たかやさん『きみを想う』

久しぶりにあった同級生がイケメンになっててしかも私のことを好きになっちゃってたお話として読みました。

冒頭の颯真と結菜の登場ページのキャラの絵(P2)、いいですね~。颯真はやわらかくてちょっと抜けてて甘え上手な感じで、結菜はひとを安心させるようなパワーとどこか母性すら感じさせる髪型してて。

あと、最初のほうを密度濃くして、後ろにいくほどじっくりふたりのすれちがう恋愛感情を見せるように構成がなっているからか、最後まで惹きつけられました。

【ページごとのボケ、オチ】
・2ページ(冒頭、キャラの子供時代)

・4ページ目でボケ(「僕に恋愛を教えて欲しいんだ」)
 →4ページにわたって起承転結をやっている?
 起:結菜搭乗、承:颯真登場、転:お願いがあって……、結:恋愛を教えて

・2ページ目でボケ(「壁ドンからの甘くとろけるキス」)

・2ページ目でボケ(指舐め)

・2ページ目で意外な事実に遭遇(恋愛こんななのに颯真めっちゃモテるやん)

・4ページにわたってドキドキ、5ページ目でボケ(颯真の好きなひとって……→ちがうやん)

・3ページにわたってすれちがい、おしまい
 (颯真の告白を結菜が別のひとへのものだとかんちがい)

ひとつだけ気になったこと! それぞれのコマにキャラの感情をわかりやすくするためのトーンが貼られています。ひとつひとつかわいくて、的確なのですが、すこし貼りすぎで情報が混み過ぎ……のように感じました。画力でもって丁寧に描かれたキャラと省略してマンガマンガしたキャラとの行き来がたまらなく楽しいところに、トーンを全コマに貼っていることでリズム感に鈍りがはいってしまうように感じました。

谷なすびさん『そのパンツ僕にください』

もうこの雰囲気のバカさを……楽しんでくれよな……! というお話として読みました。

また「この」作品に関係のないところを取り上げてしまうわけですが、谷さんは課題作品への講評で先生方よりたびたび「絵は上手でないし、お話も、ごめんなさい、大したことはしていないんだけど、けれども独特の不気味さが出ていてそれが味になっている」という評価を受けておられました。その不気味さを自分の武器として、作風がその不気味さに向かってガーッと寄っていった瞬間が昨年2022年11月27日(日)、コミティア142へ向けて行われた同人誌制作課題にありました。

そして、その不気味さが、今回の作品に至ってひとつの結晶になりました。谷さんのマンガをずっと見てきた一読者として、冒頭のP1~P2を読んだときに最初に感じたのは、「お、谷さん、今回もやってくださるか」でした。この、なにか、映画のポスターなどで見たことのあるような感じのふたりのポーズ(P2)。

そして以上の「不気味さ」をずっと追っていられるのは、なによりも、丁寧なコマ割り、セリフやモノローグの配置、トーン作業のおかげだと思います。とくに今回はトーンが的確に入っていて、「うわぁ、一気にマンガらしくなった……!」と思いました。ていうかついに「女の子のパンツの味」を味わわんとするページ(P18, P19)だけトーンが限りなく薄くて、他のページはほとんどすべてのコマにトーンが入ってるってすごいですよね。決めゴマの「白さ」が前面に押し出される格好になっている。これ、印刷して読むとより不気味さが引き立っていいかもしれない。よーし、印刷するぞ。

たにかわ つかささん『シュークリームとブラックコーヒー』

ブラックコーヒーを嫌がりすぎた彼女が、わがままに気づいて苦いけどコーヒーを飲む話として読みました。(ほとんどたにかわさんがアピール文に書いているお話の解釈と同じですね)

たにかわさんはもともとジャンプ的友情努力勝利なマンガを描かれていたのですが、課題4の鶴谷香央理先生がいらしたときに、がらりとご自分の作風を変え、しかもそれがとてもよくできていて、以来紆余曲折を経てこの作風を確立されてきた作家さんです。

今回も、大人なんだが子どもっぽいところの残るふたりのキャラが、よくありそうな事件を経てすこしだけ大人になるというお話です。ジャンプの強大な悪への勝利ではなく、愚かな自分への勝利が描かれていて、まあ、そりゃあ、ぼくの好みです。

冒頭からもうキャラがイチャイチャしてていい感じです。P1の最後のページでもう「仲良さそうなカップルが登場するんですね」がわかり、次のページですぐになるほどこれはほんとうに仲が良さそうですねがわかります(P2)。だいたいこの3ページ、真ん中の3コマ同じサイズのコマが続いて経過する時間を均等に区切っているところは、たとえ読みたくなくても読ませてしまいますよね。(P1の真ん中の3コマ、P2の「はいはい」「はいはい」「はいはい」の3コマ、P3の「取ってきて」「もう座っちゃった」「取ってきて」「とってっきてとってきてぇ」「はいはい」の3コマ」)うまいなぁ。

あと、身体への触感が伝わってくる演出が要所要所に入っているところもいいですね。シュークリームを思い浮かべてよだれを垂らすところ(P3)、ぶーぶー言われすぎて「そんなに言わなくても……」となってしまうたっくんの手に握られたシュークリーム(P4)、たっくんに部屋に戻られたあとのなこが持つシュークリームの外装(P8)、頭カッカしたので外に出るなこの鼻に「ちゅ」と落ちる白雪(P9)……。挙げるとキリがありませんが、これらすべてが仲直りシーン(P14)でたっくんの背中になこが頭をもたれかけるシーンを盛り上げている。このページを見て、冒頭のイチャイチャ3コマ群とかを思い出すわけです。いやー、あたたかい。

ついでに、だからこそ、「コーヒーやだやだ!」と叫ぶふたりの顔がそれぞれ描かれていて近くにいるのに遠い距離を感じてしまう演出(P6)や、6歳のガキがワガママ咎められているのをなこが見て我が身を振り返る演出(P12)の「孤立」が、反対に効いてきます。

とにかくキュンキュンほっこりするマンガをありがとうございます。あとタイトルはよくなりましたね。ほんとうに!

つりばし わたるさん『デレないネコにさわりたい』

猫にさわりたいおじさんがかわいい話として読みました。

「デレないネコにさわりたい」っていうタイトルなのに結局デレるのは主人公の守衛さんなんだってところが好きです。好きですというか受け入れやすいです。かわいい男性はシスターフッドとか百合とか(おなじ?)ちょっとした知識教えてやんよ系とかと同じように流行っているテンプレとして消費できたので、そういう意味でも受け入れやすい、「あるある」なマンガを目指してつくったんだな、そしてそれはとてもいいことだな、と思いました。

でも、やっぱり、後半以降ところどころ出てくる下書きが表に出ているページは、ほんとうに、ほんとうにもったいない、と思いました。おじさんの「はじめて」を描くマンガとしてこれはこれでアリだなと思ったので、おじさんが「さっ さわれたーーー ーーーーーー!!」と感動する演出(P10)で没入感を得ることができなかったのはやっぱりもったいないなと思いました。

あ、あと、単純に、この守衛さんや猫のクロかわいいって思いました。ぼくはかわいらしいもの、愛おしいものが好きなので、それだけでぼくはもうマンガを読んで得たい満足は得ちゃったわけですが、つりばしさんの伝えたかったことは、それだけだったんだろうかということはやはり、気になりました。3年も我慢してついに初めて猫に触れたその喜びを表現したかったのか、それともまた別に伝えたいことがあったのか、それは最後まで判断がつきませんでした。とはいえ、アピール文に書かれているように「想定読者はひら☆マンで、今まで読んでくれた方」ということなので、ここまできちんと提出期限を守り、マンガを完成させることができるようになりましたという報告としてのマンガだと受け取るのであれば、とても素晴らしいと思います。

完成おめでとう。

千住ちはるさん『オレが娘で娘がオレで』

個人事業主とオレと娘が! 入れ替わってる~! でも日常は続く。それがおもしろいじゃないか話として読みました。

とことんサービスサービスぅ! が効いていてほんとうに清々しいマンガでした。

マンガがマンガであるためのに必要な要素(コマ割りとかトーンとか絵・セリフ・描き文。漫符の配置とかフォントとか線の質感とかリズムとかあと題字でさえ)を全部工夫されていて、ほんとうに、ほんとうにヨキヨキだナー。

あまりにサクッと読めてしまうマンガだからこそ細かい工夫を探していきたいわけですが、最後のページ(P8)までお母さんがずっと出てこない、そこまで大人と子どもっていうもう絶対的にわかりやすく区別されたキャラクターがやりとりするマンガで、キャラデザさえもぼくのようなマンガリテラシーのない読者の目線まで下げていただいている感じがして、よかったです。

よこうたださん『つれづれ日暮しパスタ』

なんでもない日に、パスタを茹でる話として読みました。

内容については触れないことにしました。

読み返す度に、ちょっとずつ味が出てきていいですね。ぼくがこれまで読んだことのない形式のマンガ(つまり文字寮多めで、絵だけを見てもなんだかよくわからないマンガ)だからなんでしょうけれど、いちばん最初に読んだときにはやっぱり抵抗感がありました。
このマンガが乗る掲載媒体によりますよね。コミックエッセイ劇場ってこういうマンガが載っているんですか? 

「ストップウォッチ止めてなかったわ」っていうオチ、あのたしか、以前よこうたださんに直接ネームを見せていただいたと思うのですが、そのときには「よくわからん、オチてない」というふうに切り捨ててしまったと思うのですが、こうして完成したものとしていま読み返すと、なんかほのぼのしてるしいいか、わかるし、というか、この作品全体でやりたいこと(=その日暮らしをつれづれなるままに描くみたいなことですかね)と合っているし、いいと思う。やっぱり、このマンガの隣に何のマンガが載ってるかだと思います。このマンガを読みたくなるかどうかは。

よこうたださんに対して、本当に申し訳ないんだけれども、よこうさんの人となりというか、ひらめき☆マンガ教室でよこうさんが担ってきたポジションやご自身が引き受けようとしている役割を引き離して、このマンガを読むことは、ぼくにはできないです。せっかくしっかり作品という形式をとって描いたよこうさんにも申し訳ないし、自分の感想で守っているいくつかのルールにも反しているというのもある。でも、例えば、不吉な想像だけど、よこうさんが今後どこかに行ってしまっていなくなってしまうようなこと、会えなくなってしまうようなことがあったら、なんか、ぼくはたぶんこのマンガを読んでよこうさんを思い出したりするんだろうなと思いました。なんならパスタつくるだろうな。ぼくという読者は、そう読むしかできなかったっていう感想になります。

完成おめでとう。

晃てるおさん『気まぐれおやじの超能力』

お話がよくわかりませんでした。

絵をがんばっていることは伝わります。筋肉質で金髪のお兄ちゃんも、おじいさんの表情も、なんかいいんですよね。モチモチの木みたいで。

なんだけれども、物語がよくわからない。なにを言いたいのかがわかりませんでした。

この作品の読者がやっぱり、ちょっと見えなかったな……。理解できず、ごめんなさい。

吉田屋敷さん『荒川さん家の家族写真』

https://school.genron.co.jp/works/manga/2022/students/yoshida444/28346/

↑読者の皆さんごめんなさい。どうしてもnoteが埋め込み変換にしてくれないんです。

どうしても状況に納得できない女の子が、粘って凛と立つ母の写真をゲットする話として読みました。


まず、作者(吉田さん)へもそうなのですが、この「作風」に対してこう言いたい。今回のマンガは、作風とストーリーがばっちり合うかたちで出会えているように思いました。ほんとうにおめでとうございます。ほんとうに。ほんとうによかった。この作風で、この筆致で、この絵柄で、そして吉田さんの描きたい女性、強く、猛々しく、たくましい女性キャラクターがこんなに胸に残るストーリーのなかで、しかもストーリーを90度転換するそのポイントで超重要な役割を果たしていて、それだからこそのかっこよさがあって。そういう舞台を作者さんが作り出せてしまったことに、深く感動を覚えています。

アピール文に書かれていますが、キャラクターの強さ、強い感情を引き出すことを目的として、「夫の浮気」という要素を入れて、しかも浮気をしていない方のお母さんが病気をお持ちであるという構成にしているのも、とてもいいと思います。そのおかげで主人公の女性キャラの強さが吉田さんの描くゴッツゴツの手とピシャッシュッシュッシュッとつりあがった眼差しにとても合います。さらに、主人公だけでは「強すぎるよ、こんな奴いねーよ」って思っちゃうところに、リョータが出てくることでほっとさせていく、みんなバラバラで愛おしいと思わせる物語にさせていく。そのへんのバランス感覚の妙もとても好きです。 

あと、「写真」がストーリーのキーになっているというのも、小説や映画など他の表現媒体でも創作できそうな要素になっていていいですね。捏造とか、今の時代やりそうだしぼくだってやりそうだし、それを見つけて「このままでいいわけないじゃん」って思う娘の気持ちもよくわかるし。

写真って残るものなんですよね。で、このままだと、この家族にとって残るものはあの合成写真になってしまう。でも、そんなことどうだっていいんですよね。いま現在の主人公の娘にとって大事なのは、やっぱりクズの父親も含めた家族写真とかではなくて、最後に娘が隠し撮りしたことが明かされる凛とした母親の写真なんですよね(P39)。これがいいんだよね。鼻っから、バラバラな家族は元に戻ってないんです。物語として解決はしてないんですよ。父親の浮気癖も治ってないし、誰も「成長」などしていない。でも、この世に存在する写真はまた一葉増えた。そういうところも、無慈悲でいい。ほんとうにいいよ。 

素晴らしいのでマンガの技術には触れずに感想を描いてしまいましたが、それは素晴らしいからなので、ご容赦を。





ほんとうはずっと書きたかったこと

セミオだよ! 感想を書き終えたので、ひらめき☆マンガ教室をつくってくれたみんなにお礼が言いたくなったので、言うよ!

まずは読者のみんなー! 一年間、感想読んでくれてありがとうございました。
読むにたえない、なげーよ、うぜーよって疲れちゃう感想もあったと思うけど、ぼくなりに読者のみんなに「ほぅ、こういう面白がり方もできるのね」とか「もう一回読み直してみようかな」とか思ってもらえる感想を書いたつもりだったよ! だから極力「すきすきすきすきすきすきすきすき」とか「おもしろーーーーーーーーーーーい」とかの感想は書かないようにしていたよ!(極力ね!)
あと、あなたがきっと読んでくれると信じてたから、いつも書くのにプレッシャーを感じてた。おかげで「おや、私はひとの作品に寄生してこれが自分のヒョーゲンだとか言ってるキモーイやーつなのでは?」とかまちがえて落ち込んだときも、「作者のみなさんとの距離感が! 距離感がわからない!」と喚き散らしたときも、あなたがいてくれたから、戻ってくることができました。嘘じゃないです。あなたのおかげです。
あなたのおかげで、なにより、感想を書く時間がとても楽しかった。だから、この記事を読んでくれたひとに、ありがとう。

そして!
今期はぼくじゃないたくさんのひとたちが、マンガと感想を描き/書き続けてくれていて、ほんとうに助けられました。ぜったいに月1は、知っている作家さんの新しいマンガを読めて、感想も読めて、ぼくもがんばれば感想が書ける場所があったこの一年で、ぼくの精神状態はぐぐっと回復しました。
1ページだけでも完成させて育成サイトにアップしたマンガも、ツイッターで見かけた三文字だけの感想も、見つけたときは、マンガの内容がどうこうとかじゃなくて、まず、うれしかったよ。「お! きた! ××さんのマンガ/感想!」ってね。「完成させる」が必勝法だもんね。だからありがとう。

なにで喜んでるのかわからない? 自分とはちがうひとの話が読めるから、かなあ。どんなマンガでも、きちんと読もうとすれば「このひとは何を伝えたかったんだろう」って思考がはじまる。その時間が謎解きみたいで楽しかった。自分とはちがうところに注目した感想を読んだりすると、「なるほどそうも読めるのか……もう一回読むか」って、マンガにもういちど戻っていくことができる。そうやってぼくはいままでの何倍もの時間を使って、「ゆたかに」マンガが読めるようになっていったんです。そこで培った時間は、他のマンガや、マンガにかぎらずあらゆるコンテンツを消費するたびに思い出すんです。いつまでもその時間はぼくを包んでくれてました。
ぼくってせっかちだからさ! すぐ作家のみんなや作品のこと、わかった気になるから。だから、助かりました。ありがとう。

んで最後になりましたが!
これをここに書くことはぼくにとって非常に大切なことなので読者しょくんにはどうか「内輪ネタ」とか言わないでほしいのだが、この感想を書くにあたって、ぼくとぼくらに惜しみなく知と恩を与えてくださったひとたちへ。主任講師のさやわか先生、センパイの大井先生、登壇してくださったマンガ家の先生方、ゲンロンスタッフのみなさん――とくにひらめき☆マンガ教室運営スタッフの堀内さん、伊勢さん)――に、ありがとう。いまここに書いてある文章は、あなたたちの完~~~~全にパクリだ。これからも、なんらかのかたちでマンガに関わりつづけることで、いつか恩返しができたらと思っています。


眠れ、水になって
絶えまなく、淀みなく、自由に
そうさ、またいつか会える
その日まで
元気で

じゃ、またね!
さようなら、ゲンロン ひらめき☆マンガ教室第5期。





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