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国連防護軍の将校たち-1
「サラエヴォに行こう」。
クロアチアの首都ザグレブにぶらりとやって来た、自称フォトグラファーの19歳ハンガリー人が突然言い出した。クロアチアとボスニアの内戦の写真を、個人で撮っている若者で、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のザグレブ事務所で出会った。19歳とはとても信じられない、どう見ても40顔だ。
ボスニアの首都サラエヴォに行こうって言ったって、セルビア軍に包囲されていて、外部と行き来する手段はUNHCRの輸送機しかない。それに乗るには、サラエヴォで着用する防弾チョッキを用意すること、サラエヴォに身元引受人がいること、が条件となっている。防弾チョッキは買えば10万円以上する。半月の滞在費が飛んでいってしまう。ザグレブ市内にレンタルもあったが、デポジットがやはり10万円。戻ってくるとはいえ、滞在中に食い詰めるのは目に見えている。身元引受人だって、大手メディアじゃあるまいし、物見遊山同然の自分やハンガリー人の彼にいるわけはない。
「大丈夫だ。交渉すれば何とかなる」。
欧米人らしく、その辺は大雑把だ。
ハンガリー人の彼と一緒に、ザグレブ空港に行く。ここからサラエヴォまで、UNHCRの輸送機が飛んでいる。少々紛らわしいが、運航管理は国連防護軍(UNPROFOR)。いわゆる国連軍、PKOだ。搭乗の希望はUNPROFORの事務所に行く。ザグレブ空港にはカナダ軍が展開していた。
事務所には190センチはありそうな大柄なカナダ人将校が座っている。かくかくしかじか、防弾チョッキもない、身元引受人もない、でも行きたいから乗せて、と話す。連れのハンガリー人は、ドイツ語は流ちょうらしいが英語がほとんどだめ。交渉役はこちらだ。
カナダ人将校、表情を変えずに書類を差し出し、サインしろという。搭乗機が落ちて死んでもUNHCRのせいにしない、という文面。それにサインして終わり。サラエヴォに行けという。
欧米人というのはこういうとき、ダメとは言わない。相手を尊重してチャンスを与えてくれる。これが個人主義だと思う。例えばPKOに参加する自衛隊が我々のような連中に出くわしたら、迷わず追い払うだろう。
カナダ人将校に礼を言う。
「お前ら、帰ってこれなくても知らんぞ」。
と、気を使ってくれた。
滑走路に行くと、ロシア軍のUNHCR機がエンジンを回していた。すぐに出るという。乗り込むと、
「東洋人が乗ってきたぞ、日本人か」
と、ロシアのパイロットたちが陽気に出迎えてくれた。
写真は全て当時のポジをスキャンしたもの。