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森友公文書改ざん 命を絶った職員の妻 単独インタビュー
“森友文書”の改ざんを命じられ
自ら命を絶った職員の妻が
単独インタビューに応じました。
「もう後悔したくない」
カメラの前で初めて語った
孤独の日々。
そして裁判への思いとは。
(7月14日(火)news23より)
赤木雅子さんは
夫の写真を手にインタビューに応じた。
夫・赤木俊夫さん。
財務省に森友文書の改ざんを命じられ、
それを苦にして、自ら命をたったという。
雅子さんは寝室に2枚の写真を飾っている。
改ざん後の写真と改ざん前の写真だ。
夫はどのように改ざんを命じられたのか…。
なぜ、死に追いやられたのか…。
真相を知りたいと
雅子さんは国と当時の理財局長だった
佐川宣寿氏を相手に
損害賠償を求める裁判を起こしている。
国有地が8億円以上も値引きされて、
森友学園に売却された「森友問題」。
理事長だった籠池泰典氏が
言うところの神風は、なぜ吹いたのか、
誰が吹かせたのか、いまも判然としない。
昭恵夫人はここに建設予定だった
小学校の名誉校長を引き受けていた。
値引きに安倍総理や昭恵夫人が
関与したのではないか…。
そんな疑惑に対し
安倍総理は2017年2月17日
こう言い切った。
雅子さんは安倍総理のこの答弁が
改ざんのきっかけになったと考えている。
総理の答弁から一週間後、
財務省の理財局長だった佐川氏は…。
佐川氏の発言から2日後、
俊夫さんが勤めていた財務省の近畿財務局に
改ざんの指示が来たという。
その後、一部の交渉記録は
存在していたことが明らかになった。
俊夫さんが残した手記には…。
改ざんは
国会議員や昭恵夫人の名前などが
削除される形で行われた。
改ざんを強いられた直後から、
雅子さんは俊夫さんの変化を感じ取っていた。
「大きな声で笑ってとにかく明るく誠実な人」
俊夫さんの人柄を雅子さんはこう評す。
これは俊夫さんの書斎。
棚には趣味であった書道の筆が
所狭しと置かれている。
お気に入りの墨を持って
笑顔を見せる俊夫さん…。
改ざんの半年前の様子だ。
赤木さん夫婦に子どもはなく
俊夫さんは甥に書道を教えることを
楽しみにしていた。
改ざん後の俊夫さん。
この頃には笑わなくなったというが、
甥の誕生日に少しだけ
柔らかい表情をみせている。
改ざんから4ヶ月ほど経った2017年7月、
俊夫さんは「うつ病」と診断されて、
休職を余儀なくされた。
ふたりは誰にも助けを求められない
孤独の中にいた。
その間、俊夫さんが自宅のパソコンで
改ざんの経緯をまとめたものがあの手記だ。
手記には赤字で記された箇所がある。
2017年12月。
神戸の街を見渡す公園。
雅子さんは「気分転換になれば」と
俊夫さんを連れ出した。
俊夫さんは街を一瞥。
終始、落ち着かない様子だった。
この3か月後、
俊夫さんは自宅で自ら命を絶った。
最後の日、こう書き残している。
心配して仕事を早めに切り上げた雅子さんが
変わり果てた夫を見つけた。
警察にはすぐ
「119番」通報するように言われた。
俊夫さんの死から2日後、
佐川氏は国税庁長官の辞任を表明した。
この日になって、
初めて応じた記者会見では…
佐川氏にとって俊夫さんは
会ったこともない一職員だった。
その後の証人喚問でも
改ざんの経緯については口を閉ざした。
俊夫さんの死後3か月後にまとめられた
財務省の調査報告書。
佐川氏の関与について
「改ざんの方向性を決定付けた」
との指摘にとどまっている。
当時、俊夫さんの手記は
公開されていなかったため
調査に反映されていない。
雅子さんは今年3月、
再調査を求めて手記の公開に踏み切った。
再調査を求める署名は35万筆集まった。
ただ政府は、
再調査は「必要ない」との立場だ。
裁判で国と佐川氏は
請求の棄却を求める方針だ。
佐川氏は
「国家公務員が職務で損害を与えた場合、
国が賠償の責任を負う」
などと主張する見通しだ。
裁判を控え、
雅子さんに不安はないのか尋ねた。
動画はこちらのURLからご覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=xni3Qc_FoXk