MY PARK STORY | 100人の公園論:公園で学ぶ生と死。人生体験を学ぶ場所としての公園。 -Episode1 面木つよし氏(日本ベンチ協会チェアマン)
魅力的な生き方をしている人は、"自分にとっての公園(MY PARK)"と呼べるような居場所を持っているのではないか?という仮説のもと、人生と公園の関係性を、多種多様な100人との対談を通して深掘りするMY PARK STORY。
記念すべき1人目は、面木つよしさん。面木さんは熊本の商店街で生まれ育ち、広告プランニングやフィットネス企業のブランディング等を手がける傍ら、まちの「ベンチ」価値向上を目指して日本ベンチ協会チェアマンとして活動しています。
丁度、特製ベンチを大宮のビストロ「デリカ」へ納品しにいくという面木さんの現場にNEWPARKでお邪魔しました。ベンチを置くだけで、道端がちょっと一息いれられる居場所になる。そんなベンチに着目した活動を展開する面木さんのMY PARK STORYに迫ります。
世の中にコミュニケーションをつくる。
渡辺:日本ベンチ協会チェアマンとしての面木さんの活動を教えてください。
面木:日本ベンチ協会は、2017年に設立して活動を始めました。略してNBA(Nihon Bench Association)。バスケも大好きでミニバスのコーチもやっています。だから実はアメリカのNBAと掛けてるんですね。笑
ある時から、自分たちの求めている暮らしと、まちづくりのギャップを感じるようになりました。もっと気軽にできるまちづくりって何だろう、と思った時にベンチに辿り着いたんです。ベンチは、コミュニケーションの最小単位だと思います。ベンチに座ると、知り合いでもなんでもない人が向かい合ったり、同じ方向を向けるっていうのがいいんですよね。
日本には「縁台」というものがあるけど、あれがなぜ縁台っていうか知ってますか?端と端に人が座っていて、片方に座っている人が立ち上がる時にバランスを取るために「すみません」と声をかけることから縁台と呼ばれるらしいんです。
日本ベンチ協会は、いわゆるライフワークとしてやっています。右手にライフワーク、左手にライスワークっていいますよね。ライスワークだけだと辛い人生だけど、ライフワークがあれば、ある意味仕事はなんだっていい。ライフワークもいくつもあったほうが豊かだと感じています。
ライスワークは、企画づくりを主としたプランナーをしています。広告からまちづくり、フィットネスジムのブランディングなどジャンルを問わず企画をつくるということが仕事です。企画づくりの面白さは、有名無名に関わらず、企画自体が面白ければ誰とでも仕事ができること。親父は僕のこと、合法的詐欺師って言っていましたけどね。笑
総じて、「世の中でコミュニケーションをどうつくっていくか」ということをしているのだと思います。
ベンチがあるまちは、豊かなまち
渡辺:ベンチに着目したのはいつからですか?
面木:企画の仕事をするなかで、僕はずっとリアルなコミュニケーションにこだわってきました。ニューヨークなどに行っていると、まちのなかにベンチがすごく多い。自治体がベンチを積極的に置いているシティベンチもあります。僕は若い時、旅行をしていてベンチで時間を潰したり、そこが居場所になって助かったということもありました。東京に来てみて、ベンチが少ないなぁという印象を持ったんです。
渡辺:面木さんは以前から、「ベンチがあるまちは豊かなまちだ」と言われていますよね。
面木:東京のベンチは、真ん中に肘掛けがあったりと意地悪なベンチが多いですね。ホームレスが寝ないように、っていう名目らしいですけど、色々調べてみると、どうやら最初に寝始めたのは日本のサラリーマンらしいです。実はそれを対策するために防止器具をつけたと。ホームレスの人たちは、むしろ人に迷惑かけないようにと気を遣っている人もいるそうです。
例えばカナダでは、ベンチの上にあえて屋根をつけたりして、ホームレスに優しくしようという取り組みもある。そういう面でみると、どっちが本当に豊かなまちか?というのは考えてしまいますね。
渡辺:ベンチ協会の目的は、まちにベンチを増やしていくことですか?
面木:ベンチも増やしていきたいけれど、どちらかというとベンチを通じて「まちがこうだったらいいよね」という気づきを与えることができたらいいと思っています。僕自身はベンチの専門家ではないので、ベンチのことを調べて、みんなで考えてみようという団体です。
雑多なまちなかで育った少年時代が、「売れる企画」に繋がる感覚を養った
僕は熊本市内の、上通商店街のど真ん中で育ちました。東京で言えば渋谷みたいなところ。商店街には大きなアーケードがかかっていて、友達の家に行くのも、窓から出て、靴を履かずにアーケードを通って行ったりしました。まちのど真ん中だから、行商の人もいたり、商店街の裏側にある飲屋街だったり、いわゆる赤線地帯もあって。色んな人がいる雑多なまちで育ってきました。だから、ませた子どもでしたよ。笑
僕が企画やブランディングをするにあたって、自分の感覚というのがあるんです。小さい時商店街で育ってきて、繁盛する店、繁盛しない店など色々見てきました。そのせいで、自然と売れるものを見極める感覚が身についているいるんじゃないかと思います。
人生体験をする場所、それが公園。
面木:自分にとってのMY PARKは、熊本・上通の近くにある二の丸広場かなと思います。熊本城のなかにある、遊具もない、野っ原です。当時はそこで野球やフリスビーなんかをして。そこが僕のホームグラウンドでした。僕の原体験の場所であり、MYPARKという意味で真っ先に思い出す場所です。
何もないただの広い原っぱだけど、だからこそ僕たちはなんでもやれたわけです。秘密基地をつくって木に登ったり、上半身裸で長髪のお兄さんたちがフリスビーを投げているのにも憧れましたね。それがきっかけでフリスビーを本気でやって、九州大会に出たりもしました。
ある時は公園で、変なおじさんに追いかけ回されたりしたこともありましたよ。でも、世の中にそういう人たちがいるっていうことも知れました。
当時の公園には、動物の死骸なんかも転がっていて。時間がたつと匂いがしたりして、匂いをたどって草むらをかき分けて死骸を見つけると蛆虫がわいていることもありました。子ども心に、「おえーっ」ていいながらも、リアルな死がそこにあることで、死に対する畏怖や、殺生に対する罪悪感みたいなものも覚えたように思います。公園って、そういうこともひっくるめて、人生を学ぶ場だったと思うんですよね。
渡辺:なるほど。けっこう衝撃的な体験の場ですよね。
面木:そうですね。公園って、ある意味で小さい子供にとってはそれが世の中の全てだったりする。まさに人生体験の場ですよね。
渡辺:熊本の人にとって、熊本城はやっぱり特別なものなんですか?
面木:熊本城はまちのシンボルであり、熊本人のシビックプライドを形にしているものともいえるかもしれません。地震で崩れてしまって、いままさに再建しているけれど、個人的には城を再建するよりも先に、まだまだやるべきことがあると思う。もし今も城主がいたとして、良き君主であれば民の生活の再建を第一にって言ったんじゃないかと思います。まだまだ仮設住宅で生活している人たちもたくさんいます。むしろ、城はあのままにして地震遺産にするっていう手もありますよね。城の修復をする前に、ベンチがもっとたくさんあった方がいいんじゃないかとか、そういう話があってもいい。
ニューヨーカーがセントラルパークを「MY PARK」と呼ぶのには、ニューヨーク市が経済破綻をして公園管理もできなくなった時、お金が出せる人はお金を、手を貸せる人はスコップを、花の種を出せる人はタネを・・・というように、みんなが自分にできる形でセントラルパークを再建したという歴史が大きく関わっているんです。本当は熊本城も、そうなったらいいなあと。そうなると、熊本城は本当の意味でみんなのMY PARKになるんじゃないかと思います。日本の公園で、それぞれのMY PARKと呼べる公園がどれくらいあるでしょう?
渡辺:今の面木さんにとっての公園的な居場所はありますか?
面木:今の自分にとっての居場所は、仕事のなかでつくっていっているという感覚があります。
ブランディングの仕事をしたエニタイムフィットネスには、「ハイスクールパス」という高校生が無償でフィットネスジムを使える仕組みをつくりました。なぜかというと、日本はいま10代の自殺者が増えていて、やっぱり居場所がないんです。学校にも、家にも居場所がなく、デジタル空間だけが居場所になってしまっている。だから社会とつながる「居場所」としてのフィトネスジムをつくりたいと思ったんです。
10代にとっては、体を動かすことが大事だと思いました。体を動かすことで、自分と向き合うことができるんです。昔は、とにかく体を動かすことで自然と自分に向き合うことができたけど、いまは学校と家の往復だけになっている子どもたちも多い。子どもたちにそんな居場所を提供したいと思って仕組みをつくりました。全国で2万人くらいの高校生が利用しています。エニタイムが、彼らにとっての公園的な居場所になれば嬉しいです。
だから仕事のなかで、自分にとっても、誰かにとってもMY PARKと呼べるような場所をつくるようにしています。
公園的な思考で、世の中のコミュニケーションや日々の暮らしを考える
渡辺:ハイスクールパスの話を聞いて、MY PARK的な居場所は自分と向き合あう空間/時間でもあるのだと気付きました。
面木:公園には1人で行ってもいいし、誰かと一緒に行ってもいい。テーマパークだと1人で行くのは憚られるけど、公園だったら1人で行ってもいいじゃないと。飾らなくても自分を受け入れてくれる、まちの余白ですよね。
渡辺:これからの公園的な場所に期待することや、こうなったらいいなという姿はありますか?
面木:商店街にある僕の実家は、もともとビルが建っていたんだけど、地震をきっかけに一度更地にしてしまいました。再建築をするのにはとてもお金がかかるとがわかった時に、アーティストを呼んでイベントをやってみたりと色々試しました。その試行錯誤の中でわかったのは、建物じゃなくてそこにどう人が集まるか、ということが大事だということです。
そこで、僕の兄貴はサラリーマンをやりながら、実家のあった場所を「オモケンパーク」という名前の民間公園にしたんです。一階にはカフェを入れて、町の縁側になれればという想いで形にしました。
そういう事例も手伝うなかで、僕はこれからは公園的な思想・思考で、公共も民間も色々なことを考えて世の中のコミュニケーションや日々の暮らしを考えられたらいいなと思っています。
面木:世の中のデジタル化が進んでいるけれど、僕はデジタルの振り子の反対は、フィジカルだと思います。これからますますフィジカルの価値が上がると思うし、今を生きる人たちは欲するようになると思います。
渡辺:デジタルの反対がアナログだと共存が難しいけれど、フィジカルは共存できますね。
面木:そうなんです。公園もフィジカルな価値とともに、デジタルな価値が加わることでより良くなるといいなと思います。
(Text by Mayuko MITANI)