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自分の矢印は、勇気を持って外に向けよう。
こんにちは!ふじです。
初めて来てくださった方のために簡単な説明からさせていただきますね。
「あなたの悩みは、ただの錯覚かもしれない」
みたいな事を「錯視」を用いて“見える化”する試みです。今回はひっそりと第4段。
では早速タイトルについてなんですが、これをこれから証明しますね。
あ、その前に、今日の結論を先に書いておきましょう。
「あなたの挑戦をバカにする奴なんて大した事ないぞ」
聞き覚えのある文句かもしれませんが、きっとこの記事を読み終わった頃には、この文句は今まで以上に信じられる言葉になっているはずです。
では、今日題材にするのはこの錯視。
もしかしたら最も有名なものかもしれません。
信じられます!?
“そう”言われても信じられないほどです。
人間の目は本当に不思議です。
そして思っている以上に単純です。
何でも見極められそうに思うのに、すぐに騙されてしまいます(決まり文句)
これが錯視だと知らなければ。
この補足の説明がなければ。
僕は疑いもせずに「下の方が長いじゃん!」と主張すると思います。
「だって見たらわかるじゃん!」と。
仮にこれを錯視だと知らない僕が、
「これ、同じ長さなんだよ」なんて言われようものなら、
「もしかして...バカなの?」
そう思ってもおかしくない程です。
念のため、疑ってしまうあなたの為にも証拠を見せますね。
ほらね。嘘じゃないでしょ笑 驚きです。
たった2本の縦線を設けるだけで、この錯覚は解けます。
けど....もしこの線がなければ...?
少し...怖くなりませんか?
ただでさえ自分を疑いたくなるようなこの錯視。
今回はこれを用いて、今度は“驚き”ではなく、
“納得”と“スッキリ”をプレゼントします。
ただ、その為には少しだけあなたの協力が必要です。
ちょっとだけ、付き合ってください。
では今から、少しだけ違う見方をしてみましょう。
さっき“長さが違って見えた上下の線分”を“人間”に置き換えてみるんです。
そして更に、僕が書いた通りに、
“まずはそう信じて”見てください。
矢印の向きを素直に受け取ったなら、
上の矢印の人は「開いている人」
下の矢印の人は「閉じている人」
そう解釈しても間違っていないような気がしました。
...そうです。
僕には見えたんです。
上の人は「自分を外向きに伸ばそうとする人」で
下の人は「自分に蓋をしてもう伸びる事はない人」です。
更に言うと、下の人については、
「伸びるどころか、これから縮んでいく人」です。
まず断言しておきます。 あなたは“上の人”です!
□ noteを頑張っているあなた。
□ それ以外でもSNSやブログを伸ばそうとしているあなた。
□ 何かの夢や目標のために頑張っているあなた。
きっとそういうあなたの周りには、
「なんて意味のない事をやっているんだ」
「夢見てんじゃねーよ」
そんな事を言ってくる人たちがいるのではないでしょうか。
断言しますが、その人たちは“下の人”です!
さぁ大事なのはここからです。
・上の人達は、矢印が外向きなせいで自分を短く小さく感じてしまい、
・下の人達は、矢印が内向きなせいで自分を長く大きく感じる。
そう、「錯覚」しているんです(迫真)!!
今一度、真実を書いておきますよ。
本当はどちらも長さは同じなんです(迫真)!!!
年上だとか先輩だとか学歴だとか、そういう要素が含まれない分、
「そもそも長さが違うんだよ!」
「人間は線分なんかで表現できる訳がないだろうが」
そんな理屈もあるでしょう。
突っ込んでいただいて結構。否定などできません。
もう先に謝らせてください、バカでごめんなさい。
でも、気にしないしやめません。
いや...正直気にはなるけど、もう僕はそんな人のことまで気にすることに疲れたんです。
失礼にあたるかもしれませんが、もうそんな人達の事は“下の人”だと思う事にしようと思うんです。
誰かの主張や言い分の粗(アラ)を見つけて批判したり、否定したりする事は本当に簡単です。
noteではあまりそういう人はいない気がしますが、そういう方達は多い。
悲しいほど多いです。
言い返したい自分もいるけど、言い返したら僕も“下の人”と同じになってしまうかもしれないから、それは極力しません。
僕は“上の人”でいたいからです。
...なんだか愚痴っぽくなっちゃいましたね。スミマセン。
本題に戻りましょう!
半分自分に言い聞かせる意味でも書きますが、
そんな人たちに負けちゃいけませんよ!
自分を信じて矢印は外に向けましょう!
数ヶ月なのか、数年後かは分からないけど、きっと未来ではこうなっているはずです。
こうなればもう、錯覚ではありません。
上は伸びて、下は縮んだんです。
上は大きくなって、下は小さくなったんです。
きっと、こうなってさえしまえば、下の人はもうさっきのような主張は出来ないでしょう。
だってこれは本当に疑う余地もない真実だから。
万が一変わらず同じようにバカにしてきたり否定するような事を言ってきたとしても、場合によっては“声が小さすぎてもう気にならない”かも。
僕はまだ元の線のままなのでその景色は分かりませんが、そんな気がします。
本当の事は行ってみたら分かる筈だから、あとは目指すのみです。
手前味噌ではありますが、「この錯覚」に気付いた時、今まで読んだどんな自己啓発本より、YouTubeに溢れるどんな動画よりも、自分にスッと落とし込めたような気がします。
偉い人や賢い人にどんなに理屈や理論で説明されても、どこか納得できませんでした。
分かる気はするけど、なんだか分からない。
理解した気もするけど、多分理解できていない。
そんなふわふわした感じでした。
それはきっと「実感」や「体感」が伴っていなかったからだと今は思います。
でもこれは、「錯覚してしまう自分」を認めた上での考察です。
「錯覚していたのかもしれないな」という、“実感が伴う納得”が出来たのだと、少なくとも僕はそう感じています。
ここまで読んでくださった方にとってもそうだったらいいなとマジで思っていますが、読んだ方はどう感じてくれたのでしょうか。知りたいです。
今日はここまで。
この「錯覚からの解放シリーズ」は、もう少しだけネタのストックがあります。
フォローやコメントをいただけると、絶対次回の活力に繋がります。
顔も名前もお互い知りませんが、できれば色んな人と本当に話し合ってみたい。
ぜひ、友達になってアドバイスをください笑
ではまた次回〜。
読んでくれてありがとう!