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/ (スラント)~クライフの空間詩学~(5)

7.戦術論の虚構

4-2-2, 4-3-3。
われわれ観戦者はしばしば、そして指導者は頻繁にフォーメーションを数字の羅列で表記してきた。「単なる電話番号だ」とメノッティやグアルディオラは言う。確かに数字表記は、ゲーム開始時の布陣、選手のポジションを明確に表現して便利だ。だが、その表記はあくまでもある特定の時間を切り取った布陣だ。しかしフットボールはそもそも選手がゲームを通して流動的に動く、動的な競技である。静態的な数字の羅列で表現できるものではない。「数字表記のフォーメーション」は虚構である。サッカージャーナリスト西部謙司の言葉を待つまでもなく、それは自明なことかもしれない。4-3-3が攻撃的、4-4-2が守備的、というのもすべて虚構に過ぎない。だがその虚構は長い時間をかけ磨かれ、精緻になり、選手の共通理解においても、指導の上でも、観戦者の理解を助けるにも有効な手段となった。
 フットボールにおいては、戦術ならびに戦術史は2層構造を持つと言える。選手や監督、指導者
等のゲーム当事者の視点と観戦者の視点である。前者はリアルな戦術を実際に体現する主体であり、後者はリアルな戦術を「虚構の分析装置」で理解する主体である。

数字表記の戦術論がフィクショナルなものである、という仮説。
人とボールの群れで構成される動的な競技を理解するために、あるいは相手チームに勝つためにルールに基づいた戦術を、人は記号や数字を使用したのではなかったか。
それは、まさに詩や散文を分析、理解を深めるプロセスそのものである。
であれば、4-3-3, 4-4-2をシンボル、記号、として理解する手法も有効であろう。数字表記によって体系化されたフットボールの戦術論をひとつのジャンルの言語として理解する、あるいは詩的言語として理解する。
詩や散文を科学的に精緻に分析、批評できることをロシア・フォルマリズムは実証しようとした。
このジャンルには固有の言語があることをバフチンは論証した。

この2層構造の戦術観に今、ひとつの転回が求められているのかもしれない。
サッカー専門誌「Footballista」は、2016年4月号の特集「戦術パラダイムシフト」で次の問いを発している。

「フォーメーション表記が難しいサッカー」
言い換えれば、数字の並びで戦術メカニズムを表現するという従来の価値観が通用しなくたっているのかもしれない。

あるいは、「フットボール批評」は、2017年3月号の特集「サッカーの見方を変える戦術の「新常識」で、

可変型システムが興隆を極めるなか、果たして4-4-2, 4-3-3などでフォーメーションを数字で表す時代は終わりを迎えるのか?

とやはり同じ問題を提起している。
いずれも、2014年ワールドカップ・ブラいじる大会で優勝したドイツ代表や、そのドイツ代表に多数の選手を送りこんでいるバイエルンミュンヘンの監督ペップ・グアルディオラのサッカーがその文脈にある。ペップのサッカーとは、ゲーム中に目まぐるしくフォーメーションを変えるもので、それを「可変型システム」のサッカーと表現したのだ。もはや「可変型」ゲームは数字表記では追いつかない。
つまり、従来の「虚構の戦術分析装置」が破綻をきたし始めているのだ。この状況を打破するためにさまざまな試みがなされ始めている。従来の数字表記を、攻撃時、守備時、攻守トランジット、守攻トランジットの4つの局面での分析モデル提示する方法、あるいは、時々刻々と変化する選手のポジションを頂点とした多角形にみたてる多角形分析。これらの試みに異を唱えるつもりはない。別の試みはないのか。本論考の動機はここから発している。静態的な見方でない、動体的な見方はできないのだろうか。動体的=感じ方、あるいはイメージの捉え方、直感的に感じる、そのような分析は可能か?こうして筆者の新しい見方の模索が始まった。

そして、本論考の冒頭の「一枚の写真」がその解答の発想を与えてくれた。フットボールを観戦するという行為において見ているもの=「ボールの軌跡」、「選手の動き」。さらにボールと選手が動く必然をつくる要因として「空間」。前章まではその「空間」を軸に、従来のサッカーの見方、あるいは「虚構としての戦術」論のリブートを目指し、現代サッカーの戦術史を現代から遡る作業を試みた。
この作業の集大成をひとつの記号で表したい。動的な競技をありのままそのまま動的なものとして観戦し、理解するためのひとつの記号。

  軌跡=集散/空間

まずこれは数学で使われる四則演算を表記したものではないことをお断りしておく。「=(イコール)」だけは「等しい」の意味に用いているが、数学で使用されるほど厳密な記号としてここで使っているわけではない。
「軌跡」はボールの運び、あるいはボールの動いた線を意味する。「集散」は選手の動きを意味している。個々の選手の動きというより、選手の群れのイメージが強い。「空間」は、ピッチ上の可変の空間を意味する。最大値はピッチ全体だが、それはオフサイドでカットされ、クライフやサッキに気づかされた、伸縮可変の「空間」である。「/」は分数や割り算の記号ではなく、「スラント=斜線、ライン」のことで、ここでは「空間の切断面」を意味する。斜線=スラントの記号をもってきたのは、「クライフの斜線」細川周平の論による。いまはディアゴナルな動きとして、よりコモデティ化されている、選手の動きである。
 繰り返すが、数学のように四則演算が可能であると証明したわけでないので、あくまでもこの式はイメージとしてとらえていただきたい。
  ボールの軌跡を追うのが観戦の初心者であるらしいが、出発点はまさにその軌跡を追うこと、なのだ。軌跡はどのようにして生まれるかを本式で表したつもりである。一定の空間における選手の集散、つまり右辺は密度を表す。ここで「/」は「空間」を分母、「集散」を分子とした割り算の記号を意味するのではない。そうではないが、誤読いただいてもよいほどのイメージは残している。本意は、本論考でもたびたび触れたクライフの斜線=スラントの意である。
  右辺は密度を意味する。
  密度=密集がボールを運ぶ=ボールの軌跡を形作る。
  密度が少なければ、つまりマイナスであれば、そこはボールの通り道、パスを通しやすくなる
  しかし、現代サッカーでは密度がプラスでもマイナスでもボールを運ぶ、パスでもドリブルでも。
  バルセロナのチキタカ、あるいは密集のなかでドリブルで突っかけるメッシやマラドーナのような突出した個、などは本式を破壊する特別な条件、特別な因数である。

  この式は本論考でたどってきた空間、集散の因数から、フットボールのダイナミズムを導くイメージを式の形にまとめたものである。
式である以上静態的なもの以上にはならない。その意味では前述のフォルマリズムになんらかわるところはないかもしれない。本式に解答はない。本式によって局面、局面で計算された累計、つまりは本式を積分すれば、フットボールのダイナミズムが見えてくるかもしれない。
  が、いまはまだその方法を知らない。
 いや、サッカーという「寸足らずの毛布」を最適化する、ということは、上の式を永遠に計算し続けるプロセスの表出なのかもしれない。

8.非対称の空間 カテナチオとテレサンターナ

消えた戦術、特異な空間

  カテナチオの構造、マウリツィオ・ビシディの分析
  非対称の空間、意図的な空間
  カテナチオの歴史、イタリアの特性
  なぜカテナチオが生まれたのか
  1982年 カテナチオの完成形

  もうひとつの非対称の空間の歴史、
  1982 代表キャプテン、オスカーのメモ、
  ブラジルの伝統、なぜ非対称なのか、
  ワールドカップのブラジルチーム、1958、1962、1970
  ガリンシャ、ジャイルジーニョ、特異なウインガー達
  ストリート=閉じた空間が育んだスキル

  スペイン・ワールドカップ1982 テレサンターナの非対称
  チーム作り
  1978年のアルゼンチン大会での失敗と反省
  1980年 ブラジル対ソ連 チームメンバー
  1982年 ブラジル対ソ連
        ブラジル対アルゼンチン
        ブラジル対イタリア
  エデル、レアンドロ、現代のウイングバックの原点
  ローテーション・サッカー
  1985年 メキシコワールドカップ予選 エバリスト監督からテレサンターナへ
        レナトの離脱、レアンドロの重用 ウイングへのこだわり、現代ウイングバックの原点

9.バルセロナ以後、現在進行形の戦術革命

バルセロナ、そしてバルセロナを骨格としたスペイン代表の隆盛も2016年をもって終わりにちかづいたようである。

2014年ワールドカップ・ブラジル大会のドイツの圧勝劇、スペインの惨敗
2016年欧州選手権 スペイン・ドイツの敗退、

ここで見えてくるのは、ある戦略・戦術が生まれるとすぐに対策がたてられ、日々時々刻々と進化しているのが、現代サッカーの現状である、ということだろう。
そのなかで、2010年から始まるスペインの隆盛期間が長かったのは特筆ものである。
さらにスペインチームの骨格をなすクラブ、バルセロナの隆盛も忘れてはならない。
その後に続くドイツ、あるいはバイエルンの隆盛も含めて、戦術家ペップ・グアルディオラの存在があった、ということは言えるだろうが、ペップについては一旦は留保したい。
ペップの戦術改革については後で述べる。

戦術的な観点でいえば、バルセロナ以後はパラダイムシフトの状況と言えるのかもしれない。
Footballista4月号特集にもあるように現在はペップを中心に戦術が語られることが多い。
ペップは革命を起こしたのか、あるいは起こしつつあるのか。
ゼロトップ (メッシのセンターフォワードポジション)
偽9番
ゼロセンターバック
サイドバックのインサイドハーフ化(バイエルン ラーム)

ペップの布陣は、一般的な考え方とは異なる仕様の選手を各ポジションに配置する異化作用を生んでいるが、本論考では各選手の仕様を考慮に入れないところで「空間」と選手の「集散」を論じているので、本論考の文脈における「戦術革命」にはあたらない。

本稿で焦点をあてた空間論的視点から現在をみると、むしろ革命は別のルートで行われているように見える。
それは、ゲーゲンプレッシングと呼ばれる、ドイツ発のショートカウンタ戦術=集散の新たなパラダイムシフト、である。ラングニック、クロップが率いたレバークーゼン、ライプチヒ、ドルトムント、ザルツブルグ。さらにはクロップ=リバプール、ポチェティーノ=トッテナム、ラニエリ=レスター、コンテ=チェルシーのプレッシングサッカーは、さらに地域をまたいで曹=湘南ベルマーレのシームレスサッカーへとつながる。
 ザルツブルグからライプチヒへ。
 両えクラブのスポンサーとしてレッドブルの資力が後押しをするなかで、看板戦略として、勝つための戦術としてもチームのイメージ戦略としても進化を続けていく予感がする。

以下次号。


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