NEET 3泊4日の禅修行体験
チッスチッス!NEWTこと新時代NEETです。今回は就活前に気を引き締める機会が何か欲しかったので、思い切って京都の禅の修行が体験できるお寺に飛び込んで参りました。
今回お世話になったお寺は京都駅から山陽本線で約30分+徒歩20分ほどの臨済宗「宝泉寺禅センター」さんです。場所は嵯峨嵐山から保津峡を渡った先にあります。京都の中心地から少しだけ離れた郊外にある亀岡市の「馬堀駅」という場所にあります。(↓Googleマップのリンクです)
こちらが馬堀駅の写真です。写真に収められませんでしたが、この線路の反対側には、現在大きなサッカースタジアムが建設中です。仮称ですが京都スタジアムというらしいです。完成が楽しみですね!
宝泉寺はこの馬堀駅から東に行ったところにあります。近くに看板もないですし、駅前の交番に聞いてもわからない様子でした。南改札から出て左にまっすぐ行くと橋があります。その橋を渡る時、目の前の山肌にお寺らしき建物が見えます。そのまま住宅地の細い路地をひたすら迷いながら進んだ先にあります。
「宝泉寺禅センター」はまさしく街の一番上の静かな場所に建っていました。人里離れるとはこういうことだと感じました。時折聞こえる山陽本線の走る音、蝉とウグイスの鳴き声以外しか聞こえません。(宝泉寺からの景色)
六月の初夏に、寺への坂道を歩くのは結構きつかったですが、ここから修行が始まっているのかもしれませんね。
受付を済ませ、禅堂と呼ばれる「坐禅を組む場所」兼「一般男性修行者の生活スペース」(女性はログハウス)に荷物を置きます。1人1畳、「単」と呼ばれる場所が与えられ、ここで修行中は坐禅&寝泊まりすることになります。もちろん単と単の間に仕切などはありません。
一日のスケジュールは公式ウェブサイトに写真付きで詳しく載っています。Webサイトも丁寧でわかりやすいのでこちらを参照してください。
僕にとって一番感動したのは、「粥座 (朝食)」と「薬石(夕食)」です。
受付後に簡単な説明と案内を受けたら、「薬石」と呼ばれる夕食から修行生活は始まると思います。まず修行者は1人1セット「持鉢」と呼ばれる大中小の三種類の大きさのお椀とお箸をもらいます。
修行期間中の朝食と夕食はこの持鉢で行います。この持鉢ですが、基本的には洗剤や流しでは洗いません。(どうしても気になるひとは、自由時間に洗わせて貰えます)
食後に一枚だけ「たくあん」を残して置き、大きな器にお湯を入れて、たくあんでこすって洗います。細かいお作法手順はありますが、箸と器は全てこのたくあんと手で洗い、布で丁寧に拭きます。そしてそのたくあんとお湯も、きっちり合掌した後にいただきます。
このお作法(?)には全く無駄がありません。修行は一番身近な食事から始まっていました。この一発目の薬石で「嗚呼、禅寺に修行に来たんだなぁ」と実感しました。
逆に作務と呼ばれるお勤めを終えた後の「斉座」と呼ばれるお昼ご飯は、礼儀もきっちりしたものはなく、他の修行者やお寺の方々と和気あいあいと喋りながら行います。
メニューもとてもバラエティに富んでいて、とってお美味しいです!僕の時は「トマトスパゲティ」や「ざるそば」が出ました。(ここでもお肉やお魚は使いませんが、本当に工夫がされていて美味しいんです!)
斉座の後は、夕方までの自由時間です。お寺によく来る「もじゃ」と呼ばれる野良猫です。こいつは一日中日陰を求めてウロウロしてます。修行者の癒しです。
今回たくさん修行の様子を書こうと思ったんですが、冷静に考えると修行中はほとんどスマホも触らなかったので、ほとんど写真が撮れてなかったです。でも、逆に言えばそれだけ集中して打ち込むことができました。
デジタルデトックスってやつですね笑
和尚さんの法話も仏教の話ではなく、臨床心理士という資格を活かした、現代的なテーマを扱ったお話でした。専門用語をわかりやすく説明し、デカルトの夢分析の話がお寺で聞けるとは思いませんでした。
修行中の4日間はいろんな人との出会いがありました。個人情報なので詳しく話せません。老若男女様々な方との対話で、勉強させていただきました。
こんな自分でも、多くの課題を見つけることができました。「修行を受けたらスッキリして集中力とか上がるのかなー」と短絡的に考えてました。
結論をいえば、下山した直後はモヤモヤした気持ちで、プログラミングも手に付きづらかったです。
修行本来の目的は、自分の課題を見つめ直すことだと私は感じました。できないことが多く、情けない自分を叩き直して生きて行くことが、生涯修行の精神なのかもしれません。
丁寧に修行をサポートしてくださった和尚さん、常在さん、他の修行者の方に感謝です。合掌低頭。