百花繚乱編1章「いつかの芽吹きを待ち侘びて」(ブルーアーカイブ)
BLACK HOLE:EXTRA 2023年11月
『ブルーアーカイブ』の主人公は、「先生」である。
プレイヤーの分身に先生という役割が与えられている、のではなく、あくまで独立した自我と極めて強い信念を備えた「先生」という登場人物がいる、と考える読者は多いはずだ。時にはどこまでも純粋な理想論を徹底的に謳う聖職者であり、時には度し難い変態でもある、良くも悪くも突き抜けた個性を備えたこの人物に自己を投影することは難しい。
連邦捜査部シャーレの担当顧問であり、「先生」。
学園都市キヴォトスの外から来た、不可解な存在。
生徒の責任を負う者。
私生活ではいい加減。
生徒の意志を尊重する。
実は高いところが怖い。
見た目は生徒とあんまり変わらない。
事務作業や書類仕事が破滅的に苦手。
審判者でも、救済者でも、絶対者でもない。
地域住民の手助けも好む、生来のお人好し。
明日の大人になる子供を導くことが役割であり、
大切なことのためには何かを手放すことも辞さない、大人。
ゲマトリアの視点は複雑極まるため割愛するとして、それでもこのように多面的な描写のなされる、「先生」とは何者なのか?
彼あるいは彼女は、すべての生徒の味方である、という。
良く言えば誠実であり、悪く言うなら八方美人。各生徒と一対一で向きあう絆ストーリーでは別人のような言動を見せることもある。その生徒に必要な言葉を授けられる「先生」を、演じているかのように。
そのような態度を続けていたらいつか痛い目に遭うと、幾度となく忠告されている。いたずらに生徒の気を引くような所業に対するラブコメの文脈なのか、それとも。
人間は女子の生徒ばかりのキヴォトスにおいて、唯一の人間の大人である「先生」は、自身の境遇をどう考えているのか?
あくまで製作陣のスタンスとしては、「先生」はプレイヤーの分身であることになっている(公式が勝手に言っているだけ定期)。よって、その背景の全貌が明かされることはないかもしれない。
しかしながら、先日実装されたメインストーリー最新章には、「先生」の自己認識の一端を垣間見ることができる。
百花繚乱編1章「いつかの芽吹きを待ち侘びて」において、花鳥風月部の箭吹シュロは徹底してヴィランである。ミステリの文脈でいえば〈操り〉型の犯人であり、情報戦を得意とする。〈噂〉と称して人心を煽り、甘言を弄して行動を操り、最善を選んだと思い込ませて最悪に誘導する、黒幕。
彼女の趣向は物語であった。怪談家として、百物語の構成を練った。自分をよりよく見せるための「嘘」が、「演技」こそが、最悪の事態を招いた「間違い」だったのだ、という悲劇的な物語性を演出した。
つまりこれは、憑き物落としの話であるわけだ。
「嘘」は「間違い」であるという幻想を殺すことで、「先生」は百物語の特別性を零落させ、普通の学園青春物語に変えてしまった。そうすることで、生徒に寄り添い、心を救った。
概念バトルは大人の得意分野であり、生徒の心の荷を解くことは「先生」の十八番であるけれど、それ以上に。
この物語を解体するために紡がれた言葉は、「先生」自身のためにも捧げられた祈りだったのだ、と私は思っている。
嘘をつくのも、自分を繕うのも、偽りの自分を受け入れられるのも。
誰だって一度くらいはある、普通のこと。
それは勘解由小路ユカリと御稜ナグサに限った話ではない。
これまでに「先生」が救ってきた生徒たちと、同じように。
そして、キヴォトスの生徒たちが「先生」を受け入れているように。
あるいは、画面に触れることしかできない無力な私たちが、「先生」を演じていることのように。
仮に「先生」が何者であっても。
キヴォトスを訪れる前の過去が、何者であろうとも。
一人一人の生徒へと向ける顔が、つくりものだったとしても。
そんなことは、どうでもいいんだ。
すべての生徒に味方する、という俯瞰的な介入は、いつまでも続くとは限らない。誰にでも良い顔をしていたら、いつか痛い目に遭うかもしれない。
そういうのも含めて、誰にだってあることだ、と「先生」は考えているのだと思う。
仮に生徒同士の利害が対立する状況で、どちらかを傷つける結末に陥ったとしても。
喧嘩したらのなら仲直りすればいい。壊れたものは直せばいい。
生徒たちの未来には無限の可能性があるのだから、と。
それが彼の人の願いなのであれば、その言葉を受け入れることにしたい。
どんな未来であろうと、主人公は乗り越えていくのだと信じて。
(うつろなし)
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