新入生レビュー企画④山尾悠子『初夏ものがたり』
あらすじ
ダークスーツをまとった謎の日本人ビジネスマン、タキ氏。彼のビジネスとは、「あちら側」の人々の「こちら側」を再び訪れたいという願いを叶えること。遺した娘に会いたい、最後に恋人と話したい、あるいは……願いの理由は人それぞれである。しかし、「こちら側」を再び訪れる機会は一度きり。しかも、それがどんな理由であろうとも、蘇った人々が「こちら側」にいることができるのは、午後十二時までの間だけ――。
レビュー
初夏。春のうららかさを留めつつも、心地よい暑さと湿り気に満ち光に溢れる日々。やがて来る長い雨と盛夏の熱がすべてを押し流し、夏の終わりごろにはすっかり忘れ去られてしまう夢のような時節。そのような初夏のイメージを、この作品ほど美しく鮮やかに描いてみせた作品を私は知らない。
この作品はもともとは集英社のコバルト文庫収録の短編集『オットーと魔術師』に収録されていたものである。この作品が6月の始めという初夏に復刊されその時期に読むことが出来たのはまことに僥倖であった。この作品と別の時期に出会っていたら、初夏というイメージをはっきりと掴まえて読むことはできなかったであろう。まさにこの時期に読んだからこそ、『初夏ものがたり』は私に鮮烈な印象を与え、私の中で初夏のイメージは永遠のものとなった。
さて、実はこれ以上述べるべきことはあまりない。美しい幻想は美しい幻想としてそのまま受け取るのが良い……というのが私の考え方である。それに、あまり詳しく内容に踏み込んでしまうとネタバレになってしまう。解説の東雅夫は山尾悠子の小説には『夢の棲む街』や『遠近法』のような幻想世界を描いた系譜と『月蝕』(以上三篇は、現在だとちくま文庫所収の『増補 夢の遠近法』で読むことができる。この作品集もすばらしい。)や『初夏ものがたり』の系譜があると言っていたが、後者の系譜にしても山尾悠子が書く現実世界にはどうしても幻想が溢れ出す。『月蝕』は言うなれば京都という土地が生み出す幻想だったが、『初夏ものがたり』は初夏という時節が生み出す幻想である。
駄文乱文失礼した。私ごときの文章では山尾悠子の魅力を語り尽くすのは到底不可能らしい。段々暑くなってきているが、夏の盛りまでは猶予がある。まだ時期を逃してはいない。どうか書店に行って『初夏ものがたり』を手にとってほしい。そこには夢のような季節である初夏と、それが生み出す幻想がある。
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