新入生レビュー企画③カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』

 日々月猫通りやnoteの連載で様々な企画を発信し、多数のレビューを執筆している新月お茶の会。この企画は、新入生の活動への参加ハードルを下げるため、まずは自分の好きな・書きやすい作品でレビューを一本書いてみようという企画である。3回目となる今回は、カズオ・イシグロによる『わたしを離さないで』のレビューとなっている。

あらすじ
「介護人」キャシー・Hは「提供者」の世話を仕事としている。生まれ育った施設ヘールシャムはもう跡形もないが彼女にとっては何年もたった今も大切な記憶である。親友のトミー、ルースも共にヘールシャムで過ごしてきた。もうすぐ介護人をやめるキャシーは改めて過去に思いを馳せる。ヘールシャムの奇妙な教育、親友たちとの日々、そして救いのなかった運命に。

レビュー
この作品は作者カズオ・イシグロがノーベル文学賞を取った直接の原因とも言われている、文字通り彼の代表作である。彼の作品はブッカー賞を受賞した「日の名残り」をはじめ純文学が中心だが、近年はSFとされるこの作品を含めSFやファンタジー、あるいはミステリーなどさまざまなジャンルへと及んでいる。
 さて、この作品の魅力はなんと言ってもその語り口だろう。回想形式であることもあり、主人公はほとんど自分の感情を表に出さない。クライマックスのシーンですら語り自体は穏やかであり、全体としていわば「灰色」の印象を受ける。しかし、だからこそ、あまりに静かであるからこそ感情が揺さぶられる。前半こそ謎めいた状況からおどろくべき事実が次々に明らかになるというミステリー的要素やヘールシャムの中での人間模様がメインなものの、後半は落ち着いた語りによって過酷な運命に抗う主人公たちが描かれ、どうしようもない切なさ、言いようのない感慨に襲われる。主人公たちはなぜ施設の中で育てられたのか、「介護人」「提供者」とは何なのか。こうした謎とキャシー・トミー・ルース3人の三角関係が巧みに織り交ぜられ、全体のストーリーを形作っている。
 回想形式であることはカズオ・イシグロ作品の大きな特徴でもある。彼は、一人称の語り手が自分に都合の悪い記憶を隠しながら回想する、「信頼できない語り手」という手法を多くの作品で用いている。この作品は「信頼できない語り手」とは少し外れるものの、やはり回想で物語が進んでいくことは重要な要素だろう。回想であるがゆえに主人公の感情表現が減って抑制が効き、全体としての一定の雰囲気が保たれている。
 この小説を読むのは今回で4回目になるが、初読時と変わらずとても素晴らしい作品だと感じた。カズオ・イシグロを読んだことがないという方にもぜひ一冊目として手に取ってもらいたい作品である。ちなみに、この作品はSFということもありカズオ・イシグロ作品の中では比較的異色の作品である。「信頼できない語り手」が物語の主題になっている「日の名残り」や「浮世の画家」といった彼のいわば「王道」の作品もおすすめしたい。


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