大家族の確執
私の体験した大家族のよさは前回の記事に。今回は大家族の「確執」について書いてみようと思う。
【確執】自分の意見を強く主張してゆずらないこと。またそこからくる争い。
私が記憶として覚えているのは、物心ついたときから、喧嘩の絶えないいえであったこと。
大きいばぁちゃんVS小さいばぁちゃん、おじいちゃんVS小さいばぁちゃん、小さいばぁちゃんVSお父さん、小さいばぁちゃんVSお母さん、お父さんVSお母さん、お父さんVS叔父、お父さんVS叔母、お母さんVS叔母…怒鳴りあいの喧嘩が絶えない家で、いつ喧嘩が始まるのかビクビク脅えていた毎日であったと記憶している。「私が悪い子だから喧嘩が起こるからいい子にしていよう」と幼心にずっと思っていたし、小学生の時は家に帰るのが嫌で嫌で仕方なかった。思春期になると、私も自分の考え方が確立し始め喧嘩の渦中に巻き込まれることとなる。
無意識に、大きいばぁちゃんの前でも、おじいちゃんの前でも、小さいばぁちゃんの前でも、お父さんの前でも、お母さんの前でも、叔父の前でも、叔母の前でも、親戚の前でも、いい子で可愛い私でいようとしたことで、それぞれの確執の板挟みになり、苦しくてどこか寂しくて、大家族で豊かではあったのだが、孤独であると思っていた。さらに追い打ちをかけるように、日に日に精神的にも追い詰められいたであろう父母からの躾、3人姉妹の長女としてのあたりが当時の私にとってはとても強く感じ、よく泣いていた。この頃から始めたバスケットボール、母に褒めてほしくて、母を独り占めにしたくて、頑張って頑張って「何でも一番になりなさい」と言われて育てられたので頑張って頑張って…頑張り癖はこの頃から始まった。
今だからわかる。全てのことは今の私には必要なことであり、板挟みになり、いい子でいようと学んだことで、瞬時に複数の人の気持ちをよむことができる。頑張り癖が一番になるまで諦めない心を育ててくれたから企業できた。あの頃の辛かった思いが今の私の最大の糧となって今の私を形成している。
あの頃の私に言うよ「頑張り屋さんのめぐみさんへ。今は辛いだろうけれど、その辛さが糧になり、あなたは社長になって楽しく暮らせるよ。頑張らなくてもいいことに気付いた社長のめぐみさんより」