元特捜検事の複眼(`21/8)
我らの胸に深く刻まれた
真夏の「八時一五分」と「一二時零分」が到来
忘れず、忘れないための慰霊追悼式
~一分間の黙祷でもって
広島に原爆が投下され、終戦勅書の玉音が流された時刻。この時刻に併せて官民一体となって行われる黙祷。昭和二七年五月「政府主導追悼式は宗教色のない黙祷で行う」とした閣議決定で、現在まで続く。宗教色を理由に「合掌、礼拝、お辞儀」等の伝統的作法は排除されたが、黙祷には「過ちは二度と繰り返しません」と、戦没者·被災者と一体となった「同甘共苦」と「当事者性」があって万民の腑に落ちる。されど、その間を「一分間」とするには、どれ程の合理性·妥当性があるのか?