「米百俵」、食べちゃった国

近代日本の美談

 戊辰戦争で奥羽越列藩同盟の盟主の一藩として、新政府軍に激しく抵抗した越後の長岡藩は、戦後、厳しい現実に向き合うことになります。7万4000石から2万4000石に減知され、藩士はそれこそ喰うや喰わずの生活を強いられます。明治3年に窮状を見かねた支藩から百俵の米が見舞いに贈られました。

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