「優しい人だから」では済まない背信の途中退場 歴史的政権交代の幕を引いた羽田孜の失敗
不信任案で総辞職に追い込まれたのは2人
万策尽きた吉田・決断を迫られた羽田
9月27日に国葬となる安倍晋三元首相が在任中、祖父・岸信介元首相の「衆議院解散の逡巡」という「失敗の教訓」を意識していた話を前号で紹介したが、続けて首相の解散権をめぐる「失敗」を検証する。
岸田文雄現首相は就任の10日後の2021年10月14日に衆議院を解散し、31日に総選挙を実施した。実際には、衆議院議員の任期満了が21日に迫っていて、首相として解散権行使の判断の余地がない「名ばかりの解散」による事実上の任期満了総選挙だった。
衆院選は与党の勝利に終わる。8カ月後の22年7月10日の参院選も乗り切り、岸田は衆参選挙2連勝を果たした。その結果、次期参院選の25年夏まで自ら解散・総選挙を行わなければ、向こう3年が衆参無選挙となる「黄金の3年」を手中にした。
戦後、「黄金の3年」の機会に遭遇した首相は岸田の前に6人いた。1977年の参院選後の福田赳夫、80年の鈴木善幸、86年の中曽根康弘、2010年の菅直人の4人は「3年」の途中で辞任となる。残りの2人は、01年と04年に2度、「黄金」と巡り合った小泉純一郎、13年の参院選の後の安倍だが、2度の小泉も安倍も、途中で解散・総選挙を仕掛け、進んで「黄金の3年」を打ち切った。