自分流の進退の哲学を貫徹し政権の座を降りる 福田康夫に新時代を切り開く開拓者精神はあったのか
自民党結党後「衆参ねじれ」は5回
解消で自民・民主大連立を狙った福田
岸田文雄内閣の漂流が止まらない。2022年9月以降、内閣支持率の低迷が続く。それでも首相交代論が噴出しないのは、21年10月の衆院選と22年7月の参院選で、衆参とも与党による過半数確保を果たしたからだ。
衆議院で過半数を握る与党が参議院で過半数割れとなるケースは「衆参ねじれ」と呼ばれる。1955年の自民党結党後、ねじれは5回あった。89年の参院選後(宇野宗佑、海部俊樹、宮沢喜一の3内閣)、98年の参院選後(小渕恵三内閣)、2007年の参院選後(第1次安倍晋三、福田康夫、麻生太郎の3内閣)、10年の参院選後(菅直人、野田佳彦の2内閣)、12年の衆院選後(第2次安倍内閣)だ。
ねじれ下で首相だったのは計9人(延べ10人)だが、時の首相と与党は「政権の危機」のねじれ政治にどう対応してきたのか。
1回目は海部政権の自民党幹事長だった小沢一郎(後に民主党代表)が公明党、民社党と「自公民」路線を構築し、ねじれの壁を乗り越えた。2回目は小渕首相が就任1年2カ月後の99年10月に自民党、公明党、自由党の「自自公」連立政権を樹立してねじれを解消した。