第9回 用意周到で首相に、リクルート事件で短命政権 後継者の人選で最大の失敗を犯した竹下登

「財政再建と税制改革」で消費税導入を
大平が託した「遺言」と受け止めた竹下

 5月15日、沖縄返還50年を迎えた。返還実現の1972年5月、首相は佐藤栄作だった。

 佐藤は前年の71年7月5日に最後の内閣の改造を行った。官房長官に、在任2年7カ月の保利茂(後に衆議院議長)に代えて、秘蔵っ子の竹下登(後に首相)を抜擢した。

 竹下は島根県議を経て、58年5月の衆院選で初当選した。同期初当選組に金丸信(後に自民党副総裁、副総理)や安倍晋太郎(後に外相、自民党幹事長)らがいた。

 「講和の条約 吉田で暮れて 日ソ協定鳩山さんで 今じゃ池田で所得倍増 10年たったら竹下さん トコ、ズンドコズンドコ」

 竹下は60年代前半の池田勇人内閣の時代、仲間たちとの宴席で、吉田茂、鳩山一郎の両元首相の名前を盛り込んだ替え歌を歌って、周囲を笑わせた。10年でというのは無理な話だが、「将来は首相に」と夢見てきた。

 佐藤内閣の幕引き官房長官は初入閣であった。その後、竹下は次の田中角栄内閣でも官房長官として首相退陣に立ち合った。

 竹下は佐藤、田中の両政権の下で、与党内の利害調整や国会対策で奮闘し、根回し、気配り、駆け引きの才を磨いた。77~78年、自民党は「三角大福中」(元首相の三木武夫、田中、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘)の時代である。次代を担うニューリーダーと言われたのが田中派の竹下、福田派の安倍、中川一郎(元農水相)、大平派の宮沢喜一(後に首相)、田中六助(後に幹事長)、中曽根派の渡辺美智雄(後に蔵相)であった。

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