「保守の本命」を意識して長期政権を夢想死闘の抗争で落命した大平正芳の失敗
ロシア・ソ連の危機と宏池会首相の因縁
岸田文雄と大平の共通項は大派閥依存
2月24日、ロシアがウクライナに軍事侵攻を開始した。昨年の10月4日に登場した岸田文雄首相は就任後、4カ月半後で思いがけず世界情勢の大異変に直面した。
その約42年前の1979年12月、ソビエト連邦(現ロシア)がアフガニスタンのクーデターに乗じて軍事介入し、同じように世界の批判を浴びたことがあった。ソ連軍は完全撤退の89年2月まで約9年、現地に居座り続けた。
自民党の派閥・宏池会の会長のまま政権に就いた岸田は、宮沢喜一元首相に続く5人目の宏池会首相である。偶然の一致だが、62年にソ連がキューバ危機を引き起こしたとき、日本の政権担当者は宏池会の創始者の池田勇人元首相だった。ソ連のアフガン侵攻は2人目の宏池会首相の大平正芳内閣の時代に発生した。さらに宮沢首相時代の91年、ソ連が崩壊し、ウクライナが独立を果たした。
岸田はウクライナ危機発生の直後、対ロシア関係の白紙化と各国との協調制裁を決断した。「したたかで徹底的な現実主義を貫く外交を」と岸田流を強調する。首相就任前のインタビューでも、「宏池会の理念は軽武装・経済重視と言われるが、その時代に徹底した現実主義を貫いた結果と思っている。イデオロギーや主義主張にとらわれず、時代の変化に応じて徹底した現実主義で」と答えた。