第6回「たなぼた・名ばかりの首相」でなぜか高支持 選挙制度改革で失速、解散権喪失の海部俊樹
海部と石原慎太郎が交差した瞬間
総裁選出馬を封じられた2人の現職首相
1月9日、海部俊樹元首相が91歳で長逝した。続いて2月1日、石原慎太郎元東京都知事が追いかけるように89年の生涯を終えた。自民党では、思想・信条、政策・路線、政治手法などは対極の印象が強かったが、過去に両者の政治選択が交差した瞬間があった。
1989年7月、参院選で自民党が大敗した。リクルート事件、消費税導入、宇野宗佑首相の女性問題などが響いて、55年の結党以来、初めて参議院で過半数割れとなった。宇野政権は2カ月で終わる。8月に自民党総裁選が実施され、海部と石原が共に出馬した。
選挙結果は、竹下登元首相、安倍晋太郎元外相、河本敏夫元通産相が率いる3派が推した海部が 279票で勝利を握る。もう1人の候補の林義郎(後に蔵相。林芳正現外相の父)が120票、石原は48票で3位だった。
海部内閣時代、竹下をインタビューして海部擁立の狙いと計算について質問した。
「実は自民党では、相当前からリーダーの世代問題が隠れた課題だった。『昭和ひとけた生まれの壁』をどうするか。僕ら大正生まれの世代の後、昭和ひとけた生まれは極端な人材難だ。次の昭和ふたけた生まれには有望株がたくさんいる。敗戦の影響で、昭和ひとけた世代には政治をやろうという人が少なかった。いても、保守ではなく、革新陣営に行く人が多かった。この『10年の壁』をどうやって乗り切るか、ずっと考えてきた」