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関西の旅2日目

2日目の旅は、京都の石清水八幡宮へ電車を乗り継いで向かった。麓から暫く急斜面をケーブルカーに乗り、降りてから少し歩き山頂に着くと、両脇に石灯籠が並び、その先に朱色に金色が映える美しい本殿が見えてきた。清々しい空気で深呼吸をしていると「ここは徒然草の一節に出てくるんだよ」と夫が言った。
「そうなの」
「読んだことないの?」
「そう言えば、noteの自己紹介に『日々に楽しまざらんや』の心持ちで、と徒然草を引用したけど学校で少しかじったぐらいで読破はして居りません」笑って誤魔化した。
「読んでごらん家にあるよ」
「どういう話か、かいつまんで教えてよ」
「長くなるなぁ、先達の言うことを聞いた方が良い、という話だよ」
「子育てで身に染みて居ります、吉田兼好先生のおっしゃる通りです」まだ観光客はまだらで、殆ど日本人のようだった。お詣りを済ませ、またケーブルカーに乗って下山した。

昼食は大阪枚方市の『ベジラーメンゆにわ』で米粉ラーメンを食べて、再び電車で京都の東寺を目指した。行ったり来たりだが、電車が身体を運んでくれるから楽勝と思った。

駅から10分程歩いて東寺に着くと、背中が汗ばんでいた。山門は高さのある堂々とした門構えで、見上げると大きな仏旗と思われる旗が、ニ流れ悠然と風になびいていた。掃き清められた広い境内に一歩足を踏み入れると、空海が823年嵯峨天皇に託された活動拠点の東寺に、自分が立っている事に大きな喜びを感じた。

境内の弘法大師像を拝んでから先に進むと「これは凄い、こんな広い土地を持っていたとは、権力があったんだなぁ。これだけの規模だったら、廃仏毀釈でも簡単には潰せなかっただろうな」夫が周りを見渡して言った。
「以前、私の地元の五代寺跡に『此処は広いから、相当な数のお坊さんが修行をしていたんだろうな』と貴方が言ったけど、その何倍もあるね、同じ真言宗とはいえ比較にならないね」
「鹿児島は明治政府の命で、お寺が全滅してるからなぁ」と残念そうに夫が呟いた。

古い講堂に入ると10人以上の老若男女が、静かに数々の仏像に見入っていた。私たちも、薄暗い中に鎮座されている巨大な大日如来や阿弥陀如来を拝んだ。一斉に沢山の仏像を見るのは初めてで、時代を感じさせる古い講堂と仏像に荘厳な雰囲気を味わった。

次は入場券を買って五重の塔の近くへ行くと、黒々として高く聳え立つ塔があった。離れた場所からは、入り口が広く開けてあるように見えたが、中に入ることは出来なかった。その扉までは高さがあり、覗き見ることも難しかった。
4回の火事で消失し、現在の塔は江戸初期に建て替えられたと説明書きが立っていた。私の実家の五輪塔の墓も同時期に建てられていたので『私の先祖も同じ時代を生きていたんだなぁ』と、畏れ多いがなんとも感慨深かかった。神業としか思えないこの建造物は、沢山の優秀な宮大工の技が集結したのだろう。趣のある五重の塔の前に立てて、有り難き幸せだった。

池のほとりの木陰で、椅子に座って涼んでいると「亀がひっくり返っているぞ」と夫が池の大きな岩を指差した。
「甲羅干しかもね」と言ったが、見ると3匹の亀が仰向けになっていた。6月半ばとは言え猛暑にバテたのかも知れない、その後は自力で起きれただろうか。

次は、東本願寺と西本願寺の総本山へ歩いて行く予定だった。
「この暑い中を歩く元気があるか」と夫が訊いてきた。しかし、何十年か振りの関西旅行で、多くの観光地を巡りたいと思っていたので暫く考え黙り込んだ。
「伏見稲荷大社に、電車で行ってみるか」沈黙を打破る夫の言葉に「行きたい」と間髪入れずに答えた。
小さな伏見稲荷駅に着くと、外国人観光客で溢れていた。伏見稲荷大社の縁日のような賑わいは、ネット情報を頼りに、世界中から集まって来る人たちで、作り出されているような気がした。

「人が多いですね」とお土産店で私が訊いた。
「まだ今日は少ない方です」とお店の青年が笑っていた。
「ラッキーでした」と言って八ツ橋のお菓子を買ってからお店を後にした。

その日の夕食のために、京都から再び枚方市へ電車で移動し『御食事ゆにわ』へ向かった。食事は18時から21時まで3時間かけて、ゆっくり楽しむ趣向になっていた。予約の5分前にそのお店に到着すると、私たちが一番乗りだった。
毎月、料理にテーマがあるらしく6月は『潤い』で柔らかく仕上げる料理だと説明をしてもらった。まずは塩のみで味付けした溶き卵入りの薄味のスープで、鶏の濃厚な出汁の旨みが際立つ一品だった。

スタッフの男性が私たち夫婦の頃合いを見ながら、食材の生産者とのご縁や食への想い、はたまた包丁の研ぎ方で味が変わる話をされた。もしかすると『切れ味』という言葉は、良く切れるというだけでなく、包丁と味の深い関係を表しているのかも知れない。

餅の清汁が出された「私たちが育てた餅米を使って、毎週この臼でついた餅をお出ししています」と、カウンターの下に置いてあるそれを指差して話された。
「毎週ですか、ホー」と寡黙な夫が喋った。
「みんなで気持ちを込めて、餅をついています」
「それは、エネルギーの高い餅ですね」と私が言った。
「はい、そうなんです、ありがとうございます」
「魂の餅ですね」最近、魂が口癖の私がまた言った。
「その言葉、戴いてもいいですか」        
「どうぞ、どうぞ」
お互いに笑った。

梅酒は、今まで呑んだ中で一番芳醇な青梅の香りがして、いつまでも口の中にその香りが残っていた。夫も「ビールが旨い」と静かに言った。
「何かの記念日でいらしたんですか」とスタッフの女性に尋ねられた。
「夫が今年の3月に退職したので、子供達が旅行をプレゼントしてくれました。それを節目節目にしてくれるので有難いです」
「まぁいいですね」と、言われた彼女は、以前私たちが住んでいた埼玉県のとある街近くの出身だった。袖振り合うも多生の縁、語ってみるものだ。

選び抜かれた食材の味や、出汁が生かされた数々の料理と、スタッフの皆さんとの楽しい会話に満悦至極だった。
塩加減が良く中がフンワリとした小ぶりの丸いおにぎりと、餅の清汁が美味だったが写真を撮っていない。

満腹になり、夫もほろ酔い気分で眠そうにしていたので、支払いをしようとレジまで行った。
「個人情報で恐縮なんですが、私たちの隣りの席の男性の方は、YouTubeでお見かけする方じゃないですか」とヒソヒソ声でスタッフの女性に尋ねてみた。
「そうですよ、スタッフのAです。話しかけて見られたら」
「いえいえ、彼女さんとご一緒でプライベートな時間ですから」
「結婚していて、彼女じゃなくて奥さんですよ」 
支払いを済ませた後にAさんを紹介して頂くと、画面通りの感じの良い方で、奥様も椅子から立ち上がって挨拶をして下さった。

もう帰ろうとした時、もう一方の隣りの女性に「お先に失礼します」と歩きながら声をかけると、椅子から立ち上がって挨拶をして下さった。
私も一旦立ち止まり、もう一声かけた。
「どちらからいらしたんですか」
「私は京都です。でも、母が鹿児島なんです」
「鹿児島のどちらですか」と尋ねると、私たちの出身地と同じだったので本当に驚いた。
「テレビでそこの『バラ園』が出ると『あっ』と思います」
「バラ園を知ってはりますか」冗談のつもりで下手な関西弁を言ってみた。
「知ってます、行きました」
「知ってはるんですか」とまた関西弁になった。
Aさんにはウケたようで、彼の笑い声が後方から聞こえた。こうなったら個人情報もなんのその、お母様の旧姓や年齢まで尋ねる始末だった。今夜のご縁に、世間は狭いから繋がる知人がいるかも知れないと思った。
「申し遅れました」と私も慌てて名字を名乗った。
それから帰ろうとお店のドアを開けて振り向くと、笑顔のAさんが大きく片手を振って下さった、嬉しくて私も笑顔で片手を振った。

「同じ名字の同級生が男女一人ずついたなぁ」と樟葉駅に向かう道すがら夫が言った。その話をお店で聞いたら私は延々と喋っていただろう、彼はそれが分かっていた。
ホテルに帰り着いたのは22時近くで、夫は入浴もせず浴衣に着替えベッドに倒れ込んだ。良い宴だった。

             つづく

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RYOKO 満天の星
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