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瀬戸山神社と五代寺跡地


大園橋と長谷観音や名馬轟號之記念碑を後にして、4キロ近く離れた3番目の研修地、瀬戸山神社ヘ車を走らせた。
そこには、今から150年以上前、廃仏毀釈により廃寺となった五代寺跡地に広い瀬戸山公園がある。

五代寺跡地について夫がまとめた記事

この公園は、五代寺跡地で一面の芝生が驚くほどきれいに刈り込まれている。江戸時代には、泊りがけで参拝する人も多く、賑わっていたといわれている。
神社までの参道の両脇には宿屋が連なり、宿場町として栄えたそうだ。
公園の広さからすると、寺の規模は大きく、相当の数の僧侶が住み込んで修行していたと想像される。明治の廃仏毀釈により五代寺の記録は全く残っていないが、隼人の鹿児島神宮や蒲生の蒲生神社の別当寺に匹敵する規模があったのではないか。
              以上

五代寺跡地の瀬戸山公園に着くと、お昼のお弁当を配って頂き、腹拵えとなった。公園の椅子に腰掛け、夫婦仲良く遠足気分で見事に平らげた。
昼食の後、会長さんと談笑をし何年か前、垂水市役所を定年退職をされたことを聞いた。

「U君ってご存知ですか、長男の中高時代の友達で、会長さんと同じ職場だと思います」
「知ってますよ、彼の高校生の娘さんの家庭教師をしています」
「そうですか、国語や社会の家庭教師ですか」
「いえ、数学です。彼女は優秀ですよ」
てっきり文系教科の家庭教師だと思った。何でもできる方のようだ。
「U君に電話をしてみましょうか」と会長さんは、スマホをポケットからサッと取り出された。

U君に会ったのは、友人と2人でお母さんのお悔やみに伺った10年以上前になる。
久し振りに聞く、彼の元気そうな声や会長さんのお心使いが嬉しかった。
それにしても、大隅半島の全人口は28万人にもなるのに世間は狭い。

暫く公園を散策すると、黄色く色づき、真っ直ぐに伸びた銀杏の木が印象的だった。そして、他の樹木の紅葉や開放感を楽しんだ。

五代寺跡地の瀬戸山公園の紅葉


次は、少し移動し五代寺について話を聞いた。真言宗のお寺として室町時代の創建で、江戸時代末期まで瀬戸山神社の別当寺として存在していた。

私が子供の頃は、五代寺跡の仁王像の首から上がなかった。ちょっと不気味な感じで、辺りも薄暗く近寄り難い雰囲気を醸し出していた。その後、埋められていた頭の部分が見つかり、元の姿に戻り文化財として大切にされ記念碑も建立されていた。

役員のKさんが、記念碑の後ろからヒョイと顔を覗かせ「〇〇さんは、もしかしてお父さんですか」と少し離れた所にいる私に向かって、大きな声で父の名前を言われた。
「はい、そうです」
どうやら父の名前が記念碑の裏に掘られているようだった。
2番目の研修地、名馬轟號之記念碑の裏に刻まれた祖父の苗字を記憶されていたのだろう。

公園の別の記念碑でも、父の名前を見つけた。地元のために奔走する背中を見ていたが、具体的なことを知ることは稀だった。
地元の市議で、いつも忙しく来客が多かったが、一生懸命に役目をこなしていた。

次は、いよいよ瀬戸山神社で最終の学びだ。五代寺跡地から徒歩2、3分で神社の鳥居の前に着き、83段の急な階段を登り切り、ハーッと息を吐いた。正面には、朱色に塗られた綺麗な社が現れた。
構えの大きな神社ではないが、以前より立派な姿になっていた。
日本最南端の修験道の地は、空気が冷んやりとして、霊験あらたかな雰囲気だった。


瀬戸山神社は、蛍の名所として知る人ぞ知る場所で、鹿屋市外からも多くの愛好家が訪れる名所になっている。
令和3年、神社の御神木が倒れ社殿が崩壊した時、蛍愛好家から多くの寄付金が寄せられたそうだ。

毎年3月初旬になると、五穀豊穣と無病息災を祈願する、伝統行事の棒踊りが瀬戸山神社で行なわれる。
浴衣のような衣装に、赤や黄色の鮮やかなたすきを掛け鉢巻を締めて、威勢のいいかけ声とともに2人で棒を打ち合う。そして何組かで揃って踊る。
昔は、踊りを町内の青年が担っていたが、青年が少なくなり、だんだんと中学生が踊るようになっていった。
棒のカタカタとなる音と、地元の年配男性の歌声が相まって、祭りが盛り上がっていく。
今でも耳に残る音と声、懐かしい祭りの風景。
「そーれはヨーオー、オオオオオー」
「よいさ、さのさっさ」
久々に祭りを見に行きたい気持ちになった。

町内会長さんの説明によると、元々は自然が御祭神だったらしい。現在は、水波能女神(ミズハノメノカミ) 大山祇神(オオヤマズミノカミ)などの神様が御祭神であると説明書きがあった。

研修会当日は、照りもせず降りもせず、良い天気に恵まれた。主催者の大隅史談会の皆さんの段取り、運営も行き届き、素晴らしい一日を過ごすことができた。
家を出発する時は、あまり興味がなかったが、故郷の歴史と祖父や父の関わりを知り、帰宅すると少し高揚していた。

令和3年11月21日の大隅史談会現地研修会を終えて

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RYOKO 満天の星
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