新城定吉さんと石庭。(4
この記事は2008年12月23日にアメブロで記したものですー--
石庭についての記事が続きますが、主にわたし自身の旅の忘備禄として書き留めておきたいことを書いています。
特に、わたしたち人間が認識可能な世界は生き物であり常に同じエネルギーであるはずがないため、石庭にとってもそこを訪れる側にとってもすごくバッチグー(///∇//)な出会いのタイミングがあるはずです。
そんなことを考えながら辿ってきた道のりを思い返しています。
以下は新城さんと私の会話。
・「新城さんが石庭の石を掘り起こすようになったきっかけは、とある石に引っかかり邪魔だと怒ってよし抜いてやろうと思ったから、というのは本当ですか?」
・・「えぇ、ほんとうです。」
・「石庭にある石たちの上には、まあるい石が乗っかっているようなのを多くみかけましたが。そうそう、根付いた巨石でも掘り起こし立たせることができることをおしえてくれた石というのもたしかそうですね。」
・・「あなたはあれをみてどう思われましたか?」
・「人のようだと・・・母のような。あぁ、でもあの石だけではなく新城さんの石庭すべての石が人のようないのちある生き物のようで。それはもう恐縮です~といいながら頭を下げながら歩くようでした。それに奥にあるサークルが特に地球エネルギーにより近い母神様の存在を強く感じます。」
・・「そうか。そうか。」
新城さんはときどき腕組みをし目を瞑りながら真剣にわたしのことばに耳を傾けてくださいました。とてもとても真摯な方です。
6畳ほどの小部屋にあるテーブルの上に、石庭で採れた化石が置いてあります。
後から知りましたが、それは新城さんの著書の挿絵(写真)にあるものでした。本の中には(「室内にて皆様方に気のエネルギーを感受させている石」とあります。)
・・「これを利き手ではないほうの手で持って、もう一つの手を上にかざしてみなさい。」
差し出されたのは22cmx9cmx11cmほどの乳白色の化石。
言われたとおりに持って手をかざし気を感じると、最初にピンク色に発色するような愛を感じたのでおもわず、
・「わ、ピンク!」と新城さんの方へ向き直って言いました。
耳をすますと、美しい海の中を泳ぐ熱帯の色とりどりの魚たちとさんご礁、透明な海水、その化石が覚えている限りの美しい海中風景が目に浮かび、
・「昔ここは海の中だったんですね。覚えています。」と、涙が溢れてしまいました。
胸がいっぱいで、新城さんがなんと言ったか思い出せませんが、一通り話し終わるとある果物を冷蔵庫から出してきてくれました。
・・「今たべるか?、持って行くか?」ときかれたので
・「いま。いただきます」というと、
生まれてはじめてみる「しゃかとう」という果物を切って出してくれました。
・「なんていう果物ですか?」
・・「しゃかとうといいます」
・「わ~あま~い。おいしいです。しゃか・・・しゃか・・・しゃかなんでしたっけ?」
・・「しゃかとう。」
・「しゃかとう。^^おいしー。はじめてたべました。これはこんなふうに実がなるのに随分とかかるのですか?」
・・「いーや。3年ほどかね。」
・「どうもごちそうさまでした。こんなに食散らかしてしまってすみません。おいしかったです。しゃかがしら!」
・・「しゃかとう!(笑。おしゃかさまの頭と覚えたらいいさ。」
お釈迦様の頭と覚えて「しゃかがしらと」発音してしまったわたしだが、
釈迦ヘッドといわずしてよかった。(恥
ごちそうになった後日に、お庭へ入ったときみつけた
釈迦頭の木と果実。
実は、旅の終わりにも「今日帰るのか?」と、冷凍したこの実を2つ頂きました。
これからは、一生釈迦ヘッド釈迦頭をみるたびに、
きっと新城さんを思い出すことでしょう。
そしてそんなわたしが、
とってもうれしいです。
新城定吉さん、
心からお礼申し上げます。
Emeru