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永遠に完成しない
発表会の2週間前くらいまでには曲が完成しているのがいいのでは?と、漠然としたイメージを持っていた。
2週間前くらいにはどのように演奏するかは十分検討し終わって、あとはそれを維持?微調整?していくような、そんな感じ。
でも、先生は「前日まで迷っていいと思います」とおっしゃった。
「便宜上『仕上げる』という言葉を使うけれど、仕上がるなんてことはなくて、曲が永遠に完成しないことはピアニストならだれでも知っている。
だから前日まで検討して迷っていいんです」
先生の言葉を聞きながら、先日読んだ本のことを思い出していた。
画家の主人公は言う。
「芸術に完成はない、たんに諦めただけ」
いつまでも作品に手を入れたいけれど、いつかはサインして終わらせなければならない、それは作品が完成したのではなく完成を諦めただけ、と。
発表会もきっとそうなんだろう。
いつまででも、どこまでも練習していたいけれど、いずれ披露する時刻が来てしまう。
そのときには、そのときの自分を披露するしかないのだ。
迷いに迷った結果、これじゃなかったと後悔するかもしれない。
そのときの自分がピークにないかもしれない。
でも、その自分で勝負するしかないのだ。
あるひとが言っていた。
「コンクールが終わってしばらくしてからコンクール曲を弾いてみたら、リラックスしていたぶん本番よりうまく弾けて、さらにもっとこうしたいというのが見えてきた、だからもう少しこの曲に向き合っていきたい」
コンクールの時点では、そのときの最高の、到達点の演奏だった。
でも完成されていたわけではない。
完成はしないのだ。
先生の「曲は永遠に完成しない」という言葉を聞いて、プレッシャーがなくなりはしないけれど、少しだけ気持ちが楽になった。
どこかに完成品があって、それを目指さなきゃいけないような気がしていたけど、そんなものはどこにもない。
どこかに完成したものがあるわけではない。
自分で作っていくのだ。その作業は永遠に終わらない。
いつ弾いたとしても、それは道の途上の自分。
そのときの精一杯の自分には違いないけれど、未完成品なのだ。
せめて、未完成品しか差し出せない自分に正直でいたいと思う。
私はこんなものを作りました。
ここまでしか作れませんでした。
でも、それもまた自分だから。
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