可愛いが過ぎる
子どもたちが大きくなったある日、いつまでサンタさんを信じていたか、という話になった。
私は脳天気な親だから、ふたりとも小学校を卒業するあたりまでは信じていたと思っていた。
プレゼントもちゃんとサンタさんにお手紙を書いてお願いして届いていたし、サンタさんにケーキやクッキーを取り置いて食べてもらったし。
ところが、娘は小学校3年の頃にはサンタさんはいない、と知っていたという。
家にサンタさんが来ない子が暴露するか、ませた子がひけらかすか、いずれにしろ友だち経由で知ってしまうものだが、それにしても早い。
「でもねぇ、お母さんが張り切っていろいろ用意してくれてたし、弟クンもまだ信じてたから、自分も信じるフリをしてたんだ。それが嫌だとかそんなことは全然思わなくて、クリスマスが毎年すごく楽しみだった。プレゼントもだけど、お母さんが一生懸命だったから、それが嬉しかったんだよね。サンタがいるいないはどうでもよかったよ」
すると、息子も「オレもわりと早くから知ってたよ。でもちゃおが信じてるみたいだったから、ホントのことは言えないと思って言わなかったんだよなー」
子どもの夢を壊さないようにと凝らしていた趣向は、かなり早くからバレていた。
でも、子どもたちはわざと騙されて親の演出に乗ってくれて、毎年親に最高の思い出をプレゼントし続けてくれてたんだ。
そして、子どもたち同士もお互いの夢を壊さないように優しく振舞ってくれていた。
この「告白」があったのは、もう10年くらい前のことなんだけど、こういう嬉しいエピソードがある度に、お返しが終わらないなーって思う。
子どもが生まれた瞬間、私はこの子たちにお返しをしなきゃって思った。
生まれた瞬間から子どもはあまりに可愛く、私はあまりに幸せで、この子たちの親孝行はいまこの瞬間に終わったんだって、これからは私がこの幸せを子どもに返していくんだって思った。
そのわりに真面目に子育てしなかったことは、まぁ、置いておいて💦
その後も子どもの可愛いエピソードは積もりに積もっていくばかりで、私のお返しは一向に捗らない。
ちょっと子どもにお返しをしたかと思うと、すぐに3倍4倍になって返礼があり、あの生まれた瞬間に子どもから受けた巨大な幸せをいつまでもいつまでも返せない。
よく、幼児の頃が一番可愛いって言うけど、私はそれが全然わからない。
子どもは今が一番可愛い。
いつも今が一番可愛い。
毎年可愛いを更新し続けて、永遠に可愛いの階段を上がり続けていく。
というようなことを子どもに話したら、
「お母さん、そういうの、よそでは言わないほうがいいよ」
「なんで?」
「なんで、って…それお母さん補正かかってるからだよ。ふつうは『不肖の子ども』って言うものなの」
「えー、もう散々『可愛い』って言っちゃってる(てへ)」
「はぁ😓」
下の子のある年の保護者会で、担任の先生が
「これから家庭訪問がありますが、みなさん、お子さんの悪いところばかりおっしゃるので、何か一ついいところを見つけて、家庭訪問で教えてください」と言ったことがあって、
保護者は口々に「いいところなんかない」と言っていて、私は素で驚いた。
え?ウチの子、いいところ一つじゃ収まらないんだけど。語りだしたら朝までかかるけど?ってわりと本気で思っていた。
保護者たちは謙遜でそんなことを言っているのかと思ったら、みんな「あれもこれも先生に言わなきゃ」と子どもの不満なところが次々に挙がっていき、それにも素で驚いた。家庭訪問ってそういうものだったんだ。自分の子どもの悪いところを学校で見てくださいって伝える場。家庭訪問でも子どもを褒めちぎっていた私はやっぱり外れ値だった。
その話も子どもに話したら、「それ、よそでは言わないように」と釘を刺された。
さすがに言いませんよ、空気の読めない私だって。
noteで言っちゃったけど💦
「お母さん、初売りに行こー」
「そうやってまた何か買ってもらおうとしてー」
「またお揃いのバッグ買おうよー」
「もう仕方ないなー」
子どもの何もかもが可愛いから、バッグの一つや二つではお返しは全然終わらない。
それも嬉しい。