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見知らぬ喜び
レッスン冒頭、先生が「お話したいことが…」とあらたまった様子でおっしゃった。
え?先生辞めるとか?引っ越しとか?と身構えたら、
「人前で弾いてみませんか?」
唐突に切り出された。
え~無理無理無理無理…~
先生が辞めちゃう話じゃなくてよかったけど、別の意味で無理。
そもそも、私は私のためだけにピアノを弾きたいのであって、誰かに聴いてもらうことなど考えていない。
という話は先生にもしてあったはず。
その発表会まで時間がないし、私にはまともに弾ける曲もないし、何しろ急な話で、事実「あまりに急な話で…」と答えるのが精いっぱい。
いやぁ、無理だよね、無理では?
先生は手を変え、品を変え、言葉を変えて懐柔してくる。
熱心に練習しているから、そういう機会があったほうがいいと思います
ぜひ経験してほしいです
あまり気負わずに、硬い雰囲気の会ではありません
気負わずにと言われましても、という感じ。
というか、実際言ってしまった。
「そうおっしゃったところで…」
先生一人の前でも緊張で手が震えてしまうのだから、気負う以前の問題だ。
頭の中の大半が「無理」という語で埋め尽くされた中、そうじゃない隙間もあるにはあって、例えばよく言う「1回の発表会は100回の練習に勝る」ってやつ。もし、発表会を経験して、少しでもジャンプアップできるなら良い機会なのでは?という期待。
あと、先生がおススメすることは何でもやってみる、という自分への取り決め。先生がいいと思ってせっかく機会を設けてくださるならやってみるべきでは?という気持ち。
初めてのことで不安が大きく、あれもこれもあれもこれも質問しまくる。とはいえ、いくら詳細に答えていただいたところで心配なことが解決するわけではない。
それでも、出てみようかな、と気持ちが傾いたのは、先生の「きっと喜びがあると思います」という言葉だった。
自分の演奏に本当に喜びがあるかどうかわからない、というか私は少し懐疑的なのだけど、先生が言葉を尽くしてどうにか翻意させようとする裏には、その喜びを知ってほしいという先生の純な願いがあるように感じて、その温かい気持ちには応えたいと思った。
加えて、先生がその会で演奏される曲が私の大好きな曲だ、ということもとても大きな動機になった。先生の演奏でその曲を聴きたい。それには発表会に参加しなくてはならない。
大きな会じゃなさそう、ということと、先生の演奏、という二点も決め手になって、出てみることにした。
会まで時間がないので、早速「曲をどうしましょうか」となり、一応二曲弾くことにして、一曲はその時点でだいぶ弾けるようになってた曲、もう一曲は先生に選んでいただいたまっさらな曲に決めた。
両曲とも一分ちょっとの小品だけど、「もしその曲が仕上がらなくても、いままで弾いた曲の中から引っ張ってこれますから」とこれも先生の温かい励ましがあり、決心できたのだった。
あれだけ人前で弾くことなんて一生あり得ないと思っていたのに、人生は何が起こるか本当にわからないなぁ。
いくら図々しい私でも、楽しみとまでは思わない、ただ単純に経験してみたいという気持ちがある。
それと、先生がそこまでおっしゃる「喜び」ってなんなのか、片鱗だけでも確かめられたらいいなと思う。
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