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何が役立つかわからない
発表会。
リハーサルのときこそ緊張度MAXだったけど、本番は落ち着いていた。弾き直してしまったときでさえ頭の中は凪いでいて「最後はちゃんと決めよう」と比較的冷静だった。
私は仕事で、講義や会議の進行をすることがけっこうある。そういう「人の目が集中する経験」を踏んでいたことは、少なからず役に立ったかもしれない、といまは思う。
会に参加するのを決めたとき、多くの人に向かって何かをする、という意味で講義と演奏は似ているし経験が役に立つかも、とチラッと思わないでもなかった。
でも、比べようもなく演奏のほうが困難と思い直した。
まず、初めてであること。
未熟であること。
知らない人ばかりであること。
何より、始まったら止まれない、ということ。
講義も司会も、自由に止まることができる。
2~3秒黙り込んだところで、「どうした?」とはならない。
「さっき説明し忘れたので2ページ戻ってください」みたいなことはしょっちゅうあり、それで何ら問題ない。
「その発言はいまは散らかるので、後にしてください」と場を仕切ることもできる。時に沈黙が有効だったりもする。
でも、演奏は、止まったりやり直したりができない。
この「止まれない」ってことが、最大のプレッシャーだ。
だから、止まるリスクをさげるために暗譜も綿密にするし、少しでもリラックスできるように対策する。
本番前に先生は暗示をかけてくださった。
「あまり視野を広げずに、自分とピアノの空間だけ見ていたほうがいいですよ」
でも、いくら客席を見ないようにしていても、視線が自分に集中しているのは肌でわかる。
その視線が怖くなかった。
そういう、たくさんの人が自分だけを見ている、という場面自体は何度も経験済みであって、その感覚を思い出したときに、チェックリストにひとつチェックを入れることができた。心配だったことのひとつにカタが着いたような感じだった。
落ち着いているな、と自分でもわかった。
だから弾くことに集中できた。
どんな経験も、どこかで思わぬ役に立つことがある。
講義でジョークがスベッた後よりも、弾き直したときのほうが全然冷静だった。
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