努力の方向
ピアノでは誰もが通る「ハノン」をとうとう始めた。
いよいよ、ではなく。
やっと、でもなく。
とうとう。
わかります?この若干後ろ向きな感じ笑
BEYERが終わったらハノン、と言われていたので分かっていたことではあるけれど、事実気乗りしていなかった。
理由はふたつ、みっつかな。
ひとつは、以前少し取り組んだときに全然弾けなかったから。
誰もが「必要だ」と言うし、「やったほうがいい」と言う人もいたので弾いてみたけど、すでに2番で指が動かなかった。
音型も全然覚えられなくて、「これは無理」と思った。
たぶん、そこを辛抱してもう少し練習すればどうにかなったのかもしれないけど、突破するリソースを割くのがイヤになりすぐやめた。
このときの「無理感」が強烈で、すでにマイナスイメージ。
続けられなかったのは、正しさがよくわからなかった、というのもある。
練習の正しさ。
目的の正しさ。
ゴールの正しさ。
地道な作業は得意だし好きだけど、納得していないことはできないし、やりたくない。
それに、いかにもつまらなそうだし。
「とにかくやりましょう」みたいな流される感じも好きじゃなくて。
まぁ、あれこれあれこれ理由を並べて、ほんとに憂鬱と言っていいくらいにやりたくなかったのだけど、いざ始めてみると考えが変わっていまは前向き、少しだけ。
まず、何事にも出会うのに相応しい時期がある、と素直に理解できた。
前にやりかけたときに比べて音型がすぐに頭に入るし、指もついてくる。
少し頑張ればどうにかなる、という実力のちょっと上な感じ。
先生もそういうのを見越して「BEYERのあとで」と仰ったんだろう。
そしてそれは正しかった。
正しいといえば、努力の方向性が正しいのかわからない、というのが少し不安なところ。
ハノンに入る前に先生に言われたのは「これを攻略しようと思わないで」ということだった。
私はいざ始めたら真面目に徹底的にやるし、だいたい完璧主義だし。
先生は私のそんな性格も見越して「すぐに隅々までやり遂げようと思うな」と仰ったのだと思う。
実際、例えば弾けない部分があると、何百回と平気で繰り返したりする。
いつかジストニアになるんじゃないかな、と心配しているけど、集中するとあっという間に何百回になっちゃうんだもの。
ハノンもそんなふうに練習しそうで、それも気が進まなかった理由。
手を壊してしまう(と予想される)練習に挑みたいかって話で。
だから、先生も早々に「攻略しない」と釘を刺したに違いない。
いまは先生に言われたとおりに、ゆっくりゆっくり弾いている。
無理なく手が動く、ということだけを考えて。
でも、自分の動きはこれで正しいのか、これがどこに通じているのか、っていうのがいまいち不明確で、たぶん一番イヤなのはこの「わからなさ」なんだと思う。
「とりあえずやってみる」が無理な性格だからほんとに大変。
ハノンが腑に落ちてくれる日が来るんだろうか。
それはいつなんだろうか。
……と惑いつつ、いつかどこかに行き着くと信じる努力をしている。
って、努力の方向はそっちじゃない。