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質より量
なぜ毎日こうも忙しいのだろうね。
時間は有限なうえにとても短いのに。
「効率の良いピアノ練習」
「こんな練習は無駄」
できるだけ短時間で成果を得られるよう、それはもういろいろ調べた。
先人たちは自分の経験から、後人が余計な苦労をしなくて済むように様々なアドバイスをしてくれる。
でも、効率よりも愚直に時間をかけるほうが自分の性に合っているようだ。
効率が悪いように見えても、無駄なことなんて何もないのだ。
無駄が無駄と分かるにも経験が必要だし。
検索より練習。
ともかく手を動かそう。
先生から本をお借りしている。
ゲンリッヒ・ネイガウスの「ピアノ演奏芸術」
そこにこんなエピソードがあった。
君はいま鍋でお湯を沸かそうとしています。まず鍋を火にかけなければなりません。そうしたらお湯が沸騰するまで鍋をおろしてはいけません。ところが君は、温度が40度か50度になったら、そこで火を消してしまい、なにか他のことをやっています。そしてふたたび、鍋のことを思い出します。そのあいだにお湯はすっかり冷えてしまい、また最初からやり直しです。そんなふうにして、そのくり返しをうんざりするまで続けるのです。君はお湯が一度で沸騰するようにするために、必要な時間を一気に使おうとしないのです。こうしてたくさんの時間を失い、そのうえ、君の<労働意欲>までも低下させているのです。
ネイガウス先生、耳が痛すぎる😢
この前段で、リストは難しい部分を100回練習した、リヒテルは2時間練習した、という例が引かれており、ネイガウス先生が真に言いたいのは、何かを達成するには集中力を短時間に一気に投下する必要がある、ということだろう。
でも、凡人である私は100回や200回はおろか、その100倍の試行が必要だろうし、やはり何かを得るためには辛抱強く時間を使い続けることが一番の近道のように思う。
敵は忙しさじゃなくて、寿命ですね。
ところで、ネイガウス先生の本には教師の立場で率直なことも書いてある。
先生にとって最も苦しい体験は、教師の誠実な努力にもかかわらず、もし学生にあまり才能がないという場合、教師がなんと少ししか助けてやることができないのかと意識することです。(中略)大量の労働、知識、それに苦痛が、ほんのちっぽけな結果しか生まないのはほんとうに苦しいものです。
そんな思いをさせているなら本当に申し訳ない。
でも、私も人を指導することがあるけれど、教えていて一番徒労感に襲われるのは、できない人ではなく意欲のない人だよなぁ。
その点、私は人後に落ちないやる気120%ですのでどうかひとつ、という気持ち。
ともかく手を動かそう。
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